色づく葉
「東の果てには『コトノハ』という単語があるそうよ」
すてき、とマダム・ロクサーヌが、あまい蜜とぴりりと辛いスパイスとを掛け合わせたような声で囁いた。
彼女をいとおしむ「誰か」のあることを色濃く感じさせるマダム・ロクサーヌの歌は、ひとつなりと恋をしたことがある人間には、胸のやわらかくよわいところに、深く刺さって容易くは抜けない──これは店主の言だ。しかしそうと聞いてしまうと、世のつれづれから取り残されたような路地裏の酒場に集う、腕っ節と威勢の良さが売りの酔っぱらいたちさえ、彼女の歌の前では神妙な顔になるのを、おかしなことと眺めていた自分が、なんとも子どもだったように思えてくるから不思議だ。
──とはいえ、マダム・ロクサーヌが東の果てにある単語を「すてき」と評したのか、そのあたりは子どもらしい素直さを特権に尋ねてみると、マダムは目尻を下げ、うふふ、と笑いながら口を開く。
「色づいた葉は 歳月を経た恋文」
節回しをつけて歌うマダムと、それを聞く僕。そんなふたりを渡るように、窓の外、セピアとアンバーを混ぜた色の葉が、地へと落ちゆく気配が伝わる。
「……マダム、それなら公園や舗道を埋めている落ち葉は失恋のようなもの?」
首をかしげた僕に、マダム・ロクサーヌは「ノン」と、すこしきっぱりした口調で答えた。
「ひとつの結末は冬を褥に、つぎの季節の糧になる」
彼女は微笑み、窓の向こう、色とりどりの秋を語る葉へと視線を向ける。
「──過ぎゆく秋の葉に、想う言の葉を託して眠りましょう。いつかまた、恋に出逢う日のために」
猫のようにつかみどころがないように見えて、熱を帯びたマダム・ロクサーヌの言葉と声は、僕のような子どもさえ、たしかに射止めてしまう。そんな彼女の『コトノハ』を、ふたりだけの親密な空気のなか、耳元でこころゆくまで聞ける誰かがいるとしたら、それはひとつの、なかなか手の届かない特権で──その「誰か」がなんだか羨ましい、と僕はすこし思っていた。
Novelber 3.落葉
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