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古戦場

 朝日が窓の桟を縁取るころになって、酔っぱらいたちはようやく家路につく。やれやれ、あとは掃除が終われば、僕もベッドへと辿り着ける。噛み殺そうともせず、おおっぴらに解放した大あくびでとともに背をぐいっと勢いよく逸らし──飾り棚のチェス盤と駒のひとそろいに気がついた。
「ああ、そいつな」
 まかないの朝食を作っていた店主が、僕の視線に気づいて口を開く。
「そいつは古戦場だ」
「古戦場?」
 またずいぶんとおおげさな、と思いつつ、僕は最前線に立つ白のポーンを人差し指の先で軽くつついた。
「今はもうだいぶ昔、この店の権利をかけて戦ったのさ」
 白い駒は飴色に、黒い駒はいくらか褪せているけれど、かれらはやけにのんびりしているような気がする。ということは、店主と誰かが戦ってからずっと、酒場の片隅という平穏に安住しているわけで──
「で、いま店主さんがこの店をきりもりしている、ということは……このチェス盤ひとそろいは勝利の記念ですか」
「いや、戒めさ」
 温かいスープをマグカップに注ぐ店主の顔が、いつになくきりりとしている反面、苦いものを奥歯で噛んだようなしかめ面にも見えた。
「ホットラムやらヴァン・ショーを挟んでの三番勝負だったが、相手はわざと駒を落としたり、ボケたような手を差して俺に勝たせてくれた──ってのを知ったのは、勝負からもう十年も過ぎたあとでな。
 それだけ無宿渡世だった俺に賭けてくれた、って嬉しさと、若造だからって手加減しやがって、甘く見んなよ、って悔しさが今も俺のなかでは綯い交ぜになってる。
 けど、それでも──いや、だからこそ、か。世間でどんな秋風が吹こうが、俺はこの店をそう簡単には手放せないし、ましてや潰すなんてもってのほか、と思ってるのさ」
 店主の声としんした秋の寒さが、ストープの熱にゆるく溶け、温かい空気と混ざり合いながら店内に満ちていく。そのぬくもりを受けて、飾り棚のチェスの駒たちは、遠い昔の戦いを懐かしみながらまどろんでいるように、僕には見えていた。

Novelber 5.チェス

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