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栞ひとひら

 僕が駅に駆けつけた、と同時に、汽車の扉は無情にもぴたりと閉ざされた。次の汽車が来るまで、あとだいたい一時間半。
 さて、どうしたものか──と頭をかいてあたりを見回すが、ほんとうに周りには店ひとつとしてなく、さらに言えば駅にも待合室すらない。
 まあ、今日は晴れてて、今のところ寒くないのが救いかな、と呟いて、僕はプラットホームに備え付けの木のベンチに腰を下ろし、マダム・シーラが持たせてくれた本をぱらぱらとめくる。
 ──困難だらけのつらい人生にもめげず、一家言を持てた偉いひとたちの、教訓とも警句ともつかぬ言葉たち。そのどれかがすとんと腑に落ちるには、僕はまだ年若く、そして子どもなのだろう。瞼が重さにふらふらしはじめ、黄色や紅、飴色セピアに彩られた山さえ靄がかかったように見えてくる。
 あ、でも、ここで寝てはまずいと、本を読むことを諦め、栞代わりになりそうなものはないかと、バックのなかをごそごそとあさる。けれど、栞の役を果たしてくれそうなものは──マダム・シーラと、最初にお世話になった路地裏の酒場からの紹介状、この二通だけだった。
 どちらも分厚い封書ではない。けれど、『紹介状』と書かれたきれいな字から伝わってくるのは、つかの間の来訪者に過ぎない僕をねぎらってくれて、次の世界への扉を開いてくれる鍵を与えてくれたやさしさだ。
 ──このふたつが僕の旅の栞、なのかな。
 でも、こんな素敵な栞を持たせてもらえるこの旅は、きっと悪くない。
くすぐったくなってひとしきり笑えば手がふるえ、褪せたページも揺れる。その奥からひらりと舞いだした紙片に気づき、風に乗る前に右手で受け止めた。そのまま、何気なく目にしていたそれは──おんなじ顔、色違いのリボンとワンピース、そして白いエプロンを身につけた六歳くらいの女の子が、できるだけいつものように笑おうか、どうか迷っているようなところまでそっくりな一葉の写真だった。
 マダム・シーラとマダム・サーラ。
 一晩では足りないほど語り合って、朝ご飯のときも、お弁当に、とバゲットサンドを作ってくれていたときまだ喋っていたふたりは、そろって僕を送り出してくれて──今また、あのオランジュ色の扉のカフェで、どんな話をしているのだろう。
 僕なんかが祈るのも生意気なのかも、しれないけれど、でも──どうかふたりとも、しあわせでありますように。
 カフェのあるほうへ、なるたけていねいに、僕は頭を下げる。それと同時に、遠くのほうから、次の旅路へと誘う汽笛の音がゆるやかに聞こえてきた。

novelber 11.栞

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