教典第5章「ひながた」(2)
たすけ一条の道
不思議なたすけ
をびやためし(天保12年(1841)教祖44歳)
をびや許し(おはる、嘉永7年(1854)教祖57歳)
清水ゆき
「ふしぎなたすけ」を願って寄り来る人々
初めて四合のお米を持ってお礼にこられる(文久2年(1862)ごろ)
おつとめの教示
慶応2年(1866)秋「あしきはらひたすけたまへ・・・」
慶応3年(1867)十二下り。以後3年かけて手振りと節付け
明治2年(1869)正月より、おふでさき御執筆(~明治15年頃)
明治3年(1870)ちょとはなし、よろづよ八首
明治6年(1873)9月 かんろだいの模型
明治7年(1874)6月 かぐら面お迎え
明治7年(1874)12月26日 赤衣を召され、さづけを渡される
明治8年(1875)6月 ぢば定め
明治8年(1875)「いちれつすますかんろだい」
明治10年(1877)女鳴物を教えられる
明治13年(1880)鳴物を揃えて、おつとめが初めて勤められる
明治15年(1882)かんろだいの石没収。「あしきをはらうて」「いちれつすまして」に改められる。おふでさき御執筆終了。