「楽天性」と「祝祭劇」
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イベント前なので飲み会を自粛している。飲み方によっては大丈夫と思うが念のため。
西堂行人『ゆっくりの美学 太田省吾の劇宇宙』を読んでたら、「楽天性」と「祝祭劇」という言葉に出会った。代々木組での活動を終え、俺も元の自分に戻っていく時間となっている。小劇場運動が盛んだった時代を振り返る時、太田省吾の演劇論は読み直したかったが、「楽天性」と「祝祭劇」は面接シリーズの特徴でもあった。
例えば、この記事で取り上げた吉岡実『僧侶』。
「奇怪にして典雅、ワイセツにして高貴、コッケイにして厳粛なる暗黒の祝祭」という飯島耕一の言葉があるが、これまた「ザ・面接やなあ」と思うのである。
肉と骨と血を舐め吸いしながら、延々と二十年以上続く祝祭。
俺はとっくに死んで、木に吊るされて嗤っているようなものであるが。</b>
「楽天性」と「祝祭劇」、人生もまたそう生きていきたい。
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