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現場と作品は同じではない

AV作品のウソホントが気になる、というのは俺もよくわかるし、TV番組を見ててそんなふうに思う時もある。
TVの裏事情は知らないが、AVの作り方としては、撮影現場と作品も同じでないということは書いておきたい。

つまらない撮影現場をいかに面白い作品に作り変えるかが、監督の仕事のかなりのウエイトを占める。
厳密に言うと、つまらない現場を面白くするというより、せいぜい傷を少なくするくらいしかできないが、稀に最低の現場を「特上・上・並」の「上」くらいには作り変えれることがある。
これはウソとかホントとかでなく、作り手としての本能であり、たまに「上」を「並」に作り下げることもあるだろうけど、まあ、普通に編集をやれば1ランクは上がってるはず。

だから「ホント」の撮影であっても、編集で「見せたくない部分」を隠し「よく見える部分」だけで絵つなぎするわけで、仕上がった作品はウソというわけではないが、真実とも同じでない。
目標はあくまでも「刺激物」という実用の具だ。
そういう心つもりでいる。
つまり「上・並・最低」の現場を頭と手でコネコネしてるわけで、ハナからホントを見せようという立場にはいない。

数年に一度「特上」の現場が訪れる。
至福に満ちた現場だ。
「特上」の現場は、どうやっても「上」には編集できるが「特上」に仕上げるのは難しい。
それは「特上」の現場をカメラが切り取った一部が素材映像だし、その一部をさらに縮めたのが作品だからだ。
言わば、作品は「特上」の空間と時間を切り取った残骸。
結晶や昇華にならず、どうしても作り下がってしまう。
最高の1時間を30分にするのは難しい。
編集を終えたあと、作り下げた自覚があると男優と女優に「すまんなあ」と思う。
が、これは数年に一度。
多くの編集は、パソコンの前で怒鳴りながら、自分や誰かのケツ拭きをしているのである。

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