近頃、と言っても去年くらいから心がけている事がある。 『母親を褒める』という事である。 私は母親に正しく褒められた試しはなく、90点を取ればそんなものは0点と変わらないと言われたし、容姿に関しても太っている、醜い、しか言われた事がない。 典型的な毒親であった。 では、なぜ母を褒めるのか。 褒めると母はとても嬉しそうにするからだ。 母親自身が、恐らく全く今まで褒められてこなかったのだろう。だから、誰かを貶めて、自分の存在を肯定するしかなかったのだろう。母は、祖母から褒められ
心が壊れてしまった時、 先生に、『もう頑張らないで。』と言われた。『もう頑張らないで。しっかり休めばいい。完璧な人なんていない。頑張らないで。』と。 これを言われた時、私はもっとも絶望した。 先生は私を励まそうとしてくれているのだと、頭ではちゃんと分かっていた。でも、その答えに絶望した。 今まで、自分が納得するために頑張ってきた。 愛されたい人から愛してもらうために、たくさん頑張ってきた。 頑張らないで。という言葉を聞いたとき もう、挑戦しなくていい。負け試合に出ていくな
高校3年生の夏。 私は全ての肉と牛乳を食べることを禁じていた。 今からする話は全て当時の話なので安心して頂きたい。今の私はもちろん焼き肉も牛乳も大好きだ。 ただ、当時の私は、動物性の食べ物を口にしなかった。高3の春くらいから動物性の物を見ると吐き気がして食べられなくなってしまっていたのだ。 牛や鳥といった肉や、牛乳を口にするとそこから邪念が入ってきてしまう。(お願い引かないで下さい) 邪念が入ってきてしまうと勉強に支障が出てしまう。そうなれば合格は出来ないと本気で思っていた
中学2年の時、祖父が死んだ。 毒親育ちの私の唯一の祖父。祖父の死は、安全地帯の崩壊を意味していた。 亡くなってから遺体を焼くまでまで、4日くらいあったと思う。両親が何をしていたのかは覚えていない。昼はずっと祖父に話しかけていた。夜は隣で寝た。 骨になった祖父を家に連れて帰った日、 私の心は壊れた。 祖父がいた頃の幸せな気持ち。守られていた気持ち。自分の性格。それらをすっかり思い出せなくなってしまった。祖父が死ぬ前の私と、今の私は、確実に違う『わたし』であると感じていた。
大学受験の予備校である四谷学院のキャッチコピーに 「なんで、わたしが東大に?」 という物がある。 私の答えとしては、「あなたが出願したから」 なのだが、このキャッチコピーはかなり深いのではないかと最近思う様になった。 どんな夢や、想いも、それを出力しなければ叶うことは一生ない。人間誰しも、特にこの国に住む人は、自分の夢を語る事やそれを形にあらわす事が苦手なのでは無いかと思う。私も未だその1人である。 医学部に入学した後、友達が数人出来た。心を許せて過去を話したり出来る親友
いわゆる祖父母という人が、私には一人だけだった。生まれたときには母方の祖父しかいなかったから、 お年玉もおこづかいも祖父がくれた。祖父は賢い人だった。 祖父は幼い私の唯一の家族だった。 そんな祖父が亡くなる半年ほど前から、毎週お見舞いに行く度に私に1万渡してくれる様になった。 最初は嬉しかったが、祖父の認知症も進んでしまったものだと思っていた。 祖父は必ずこのお金を使いきるように言った。 でも、当時私は中学生。服にもバッグにも美容品にも興味が無かったから、本を飽きるまで買
こんばんは。 いちはです。 note初投稿で少しどきどきしています。 軽く自己紹介をします。 去年二十歳になり、 今は大学で医師になる勉強をしています。 毒親育ち、うつ病持ちです。 noteを始めたきっかけは、 ・自分がいま伝えたい事を記したかった ・自分の体験を書くことで、いま毒親に苦しんでいる子供達の何かしらの支えになりたい ・日々感じた事(楽しい事や気になった事)を綴りたい ・他の方のnoteを読むため です。 よろしくお願いします。