「母は現役JW。未信者だった父の葬式、こうしました」#2
生前に葬式を決めておくのは、「ひどい」じゃないと思う。
どんどん衰弱していく親を見て「これはいよいよ死にそうだ……」と思っても、やっぱり「でも、まだ生きているのに、葬式だのお墓だの考えるのって、子どもとしてひどくない? 親の死を願ってるみたいじゃん」と考える人は多いと思う。
もちろん私だってそう思ったし。
でも、全然、ひどくないと思う。
むしろ、決めておかないほうが「ひどい」だと思う、って言い切っていいんじゃない?と思うほど、全然ひどくないと思う。
あらかじめ考えたり決めたりしておいたほうが、いざその場面になったとき、いろいろと(主に気持ち的に)少しは落ち着いて臨める。
生きてハルマゲドンを通過するご予定の方はひとまず措いて、人はいずれ死ぬ。親もいつか必ず死ぬし、自分だって必ず死ぬ。それが今なのか、ちょっと先なのか、だいぶ先なのかっていうだけの違い。
ただ、この「ひどい/ひどくない」は、その人の死生観によるかもなーとは思う。
私の死生観は、いちおう、「命は一度きり。死んだら終わり。死後の世界はない」。いちおう、がつくけど。
もちろんこれは、早く死んだほうがいいってことじゃなくて、「だから一度きりの命を一生懸命に使ったほうがいいと思う」ってことなんだけど、死後の世界とか輪廻や転生を信じる人には、「この、いちごって人が、そもそもひどいやつだからなんじゃないか」と思われてしまうかもしれないので、というかそれは正解かもしれないが、親の生前に葬式を決めるのはひどくないと言い切るのは「死後の世界はない」を前提にしてるからだ、ってことは、先に明言しておきたい。
死後の世界があるから、亡くなった親は「俺が死ぬ前から葬式を決めてたのか……」って知ったら悲しむじゃないか、と考える人に反論するつもりはない。
あと、「葬式って、誰のためにやるものか?」についての考え方という問題もある。
乱暴に二択でいうと、「亡くなった本人のため」か「遺された家族のため」か、だ。
「どっちも、だ!」が最適解ってものなんだろうなとは思うけど、私は死後の世界はないと思ってるから、葬式は「遺された家族のため」だ。
生前の父がもし(もし、だ)自分の葬式を見てたら、どうしたらいちばん喜ぶかなと考えながらも(も、だ)、遺された家族がいちばん納得のいく形でやるのがいいんじゃないか。
そういう前提で、考えた。
家族の誰も、それを言い出さない
前置きが長くなったが、我が家も、家族それぞれ、内心では葬式やお墓のことがだんだん気にはなっていたのだ。でも、誰も何も言わなかった。
父が亡くなる半年ほど前、弟とふたりで面会(当時はコロナ禍がまだ続いていたため、Zoomでの面会だった)をしたとき、「この様子では、いよいよもうダメかもしれない……」と思った。
母は現役JW。
実は教義自体はさほど信じているわけでもないんだろう、ただ、もうJWにしかお友達がいないから、いまさらやめることもできないんだろう、と私はみているが、だからこそ、お仲間への体面から、他の宗教の色があるものに参加することはしたくないのだろう。
親戚のお葬式などでも母は、いちおう参列するにはするのだが、宗教色が濃い場面(お焼香とか)になると、そっと席から離れていったりする。
「なら、そもそも来なきゃいいじゃん……」と、娘としては苦々しく思ったりするわけで、そして、「親戚一同には、娘もどうせ同類だと思われてんだろうな……」とか思うと、怒りや悲しみが再燃したりするわけだ。
しかしさすがに人様の葬式で親子ゲンカするのはどうかと思うと、その感情のぶつけどころもよくわからなくなってくるし。
その点、自分の父親の葬式なら好きに親子ゲンカしたっていいじゃないか?とか、うっかり感情が高ぶって、うっかり思ってしまったりするかもしれない。
「だいたい、お母さんがエホバの証人だからじゃない! 今まで、私がどんな思いをしてきたか、全然わかってないわけ!?」とかって、父親の葬儀で突然ブチ切れてみる……とかも、参列者にはちょっとしたエンタメになるかもしれないけど、まっとうな大人としては、そういう事態は避けたい……。
やはり、父の葬式のことは事前に家族で話して、決めておきたい。
私は以前からそう思っていた。
ちなみに、父自身は無宗教だった。
地元に「先祖代々の墓」があって、てことは当然どこかのお寺の檀家になってるはずだけど、「ウチって何宗だっけ? あれ? ……ま、『仏教』だよ!」って言う、日本人にはたぶんいちばん多い、「いちおう仏教徒って言ってるけど、実質的には無宗教」の人だ。
(そして、元JW2世には、これがいちばんうらやましいタイプだ)
もうひとつちなみに、私は生前の父本人に葬儀の希望は聞いておくことはしなかった。
この手のいろいろな本には、「できれば、親が元気なうちに、どんなお葬式をしてほしいかも聞いて、話し合っておけるといいですね」などと書いてある。
それはそうかもなあとは思う。死後の世界はない派的には、本人の希望は聞かなくてもいいでしょなんだけど、こっち派であっても「こういうお葬式にしたいって本人が言ってたしな~」があると、なにか迷ったとき(は多かれ少なかれある)決めやすいかもしれないし。聞けるなら聞いておくといいのかもしれない。
「葬式を考えておこうよ」と口火を切った
さて……、我ながら全っっ然話が進まない文章だなと思うが、
「この様子では、いよいよもうダメかもしれない……」と思ったZoom面会を終えて自宅に戻ったとき、そろそろ誰かが言わねばならないと思い、私がその口火を切ることにした。
「あのさ、お葬式とかお墓とか、そろそろ考えておいたほうがいいよね。いやあの、急にだと、あれよあれよと普通に仏教式の葬式でやらざるをえない流れになったりとかもするみたいだしさ……」とかなんとか。
しかし、言い終えないうちに
母「そうね」
弟「そうだね」
ふたりとも即答。
実は「あんたはやっぱり冷たい」とか言われたりするかも、つか、やっぱりって我ながら何?とかみたいなことを思ったりもしてたのだが、むしろ、誰かが言い出してくれてホッとしたような様子だった。
母なんて、新聞に入ってきた葬儀社の広告を、何社か出して来た。こっそり集めてたらしい 笑
このときまでに私がイメージしていたのは、だいたいこんな感じ↓だった。
●宗教色なしの葬儀にする。仏教式でもなくJW式でもなく、「宗教の色」があるものは、できるだけなしにする。
●通夜は不要。
●読経・位牌・仏壇とかも、もちろん不要。
●いろいろな意味で「最低限」の葬儀にする。
※この時点では用語とか違いとかあんまりわかってなかったが、
「火葬式」だけでいい、ってことだ。
●参列者は直接の家族だけにする。
●親戚は呼ばない。
※親戚が来ると、仏教式のこともやらないわけにいかなくなるため。
●お墓は近隣で新たに設けたほうがいい。
※先祖代々の墓は遠いのと、今後の供養に参加しないわけに
いかなくなるため。
※この時点では「散骨」も選択肢としては考えていた。しかし
位牌もつくらないので、「故人をしのぶ場」が何もないのはどうか、
親戚に葬儀の参列はお控えいただくとしても、
「お墓参りくらいは行きたい」は尊重しよう、ということにした。
……等々と挙げてみたところ、母も弟も異論はないようで、「なーんだ、だいたい同じようなことを考えてたんじゃん」と、だいぶホッとした。
そして、母が出してきた葬儀社の折り込み広告をみんなで熟読。
幸い……と言えることなのかどうかわからないが、地元密着型の小さな葬儀社が、かなり近くにあることがわかった。
わかったっていうか、私も弟も葬儀社だと認識していなかっただけで(なにかの宗教施設だろうと思ってたので、よく見たことがなかった。これは「宗教は一切キライ」になりがちな元2世あるあるかもしれない)、そこはかなり前からあって、母は、そこに聞いてみたらいいのではと薄々思ってはいたらしい。
思ってたなら言え!だが、母は母で、「お父さんはまだ生きてるのに、お母さんはひどい!」とか言われるんじゃないかと思って言えなかったんだろう。
家族葬のほうがいいんじゃないかと考えている我が家としては、地元密着型の小さな葬儀社のほうが合っていそうだし、近くならなにより。
まずは何社か、話を聞いてみることにした。
といっても何を聞けばいいのかよくわからなかったが、電話をして「葬儀の事前相談をしておきたいのですが……お願いできますか?」と言ってみたところ、いいですよとのこと。日時を予約して、翌々日に行ってみることにした。
(電話でも相談は受け付けてくれると思うが、どんな葬儀社か雰囲気を知るためにも、現地に行って相談したほうがいいと思う)
……ということで、次回は葬儀社での事前相談から。話が全然進まない……。