見出し画像

祝・再開:ミラクルギフトパレード論2

2020年2月にコロナ禍による休園が始まってから、再開園後もそのまま中止されていた、ミラクルギフトパレードが2023年6月17日から再開されることが、公式にアナウンスされた

このミラクルギフトパレードは、私が最も心を動かされ、ピューロランドにハマったショーであったので、コロナで中止となってしまい、ずっと残念に思っていたし、再開を願っていたものだ。一昨年の株主総会で、再開を願って質問までしようとしていた(けど、当てられなくてできなかった)。

どうしてこのパレードが素晴らしいと私が思うかは、3年前にミラクルギフトパレード論として書いておいたが、もう一度、述べておきたい。

簡単に言うと、心のあり方と現実世界の相関をよく表現しているからである。スピ系の書籍などでも言われていることではあるが、それは心のあり方によって、目の前に起きる現実は決定されていくという、法則がある。
「引き寄せ」とか「予祝」とかいうのはこの応用である。何を心で見るかによって、現実は変わるので、それであるなら、自分の良心を見れば自分の望む現実が現れるし、他人の良心を見れば、他人の良き面が現実に現れるということである。

例えば、私たち普通の人は、迷惑な人が近くにいると、あの人は迷惑だからどこかに行って欲しいと望み、またその排除を企てて、先生やスタッフや警察などに頼ったりするものである。現実的にはそれで仕方がないのだが、それは心の法則を使った対応ができないために、そうしてしまっているとも言える。
迷惑な人の心の中にある、良心(ミラギフでは「スリーハーツ」と表現されている)は、ある宗教では「実相」と呼ばれているし、スピ系では「ハイヤーセルフ」などとも言われるが、それは通常隠れているものである。良心をこちらから見ることができれば、その良心の面が現実に現れるのである。
そのような考え方の源泉は、古くは浄土系の仏教の中で言われていた「如来蔵」に遡れるし、チベット仏教のニンマ派で「リクパ」と言われているものにもある。

しかし、他人の良心を見出し、それを現実に持ってくるのは、非常に難しいものであるし、なかなか現実にできるものではない。それをするには、ある程度の「徳」が備わっていないとできないからだ。
ミラギフではキティさんは、闇の女王のスリーハーツを見出し、輝かせることに成功し、見事に闇の女王を改心させた。キティさんには、それが可能な「徳」を持っていからできた技であろう。そう、キティさんは、まるで高僧なのである。

「徳」があれば、「みんな仲良く」のようなきれいごとに聞こえる振る舞いであっても、実際できてしまう。逆に言うと、「みんな仲良く」ができないのは、端的に言えば、徳が低いからでもある。私もそうだ。生きていく中で、そんな徳の高い振る舞いはできて来なかった。
ただ、そのようなことが、徳を積めば可能だということを、ミラギフは教えてくれるのである。そのような希望を見せてくれるという意味において、大人こそが見る価値のあるパレードである。

作者が意図したかどうかはわからないけども、意図せずこのような、深遠な内容のメッセージを込められたとすれば、このパレードの存在自体が、奇跡(miracle)であり、神からの贈り物(gift)なのであろう。まさに、ミラクル・ギフト・パレードだ。

再開を心から歓迎したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?