イル○ゾンテの水筒

私には夫がいる。歳は3つ上で、月とすっぽん、いや、月とミジンコくらいの能力差があるにもかかわらず、ミジンコのような私を1人の人間として同等に関わり、祖父母みたいな角度から日々愛情を注いでくれる世界でも稀な男だ。

Twitterで知り合った仲の良い友だちには水筒オットの名で知られている。
それは付き合って初めての私の誕生日に「これから暑くなるから」と、イル○ゾンテの水筒をプレゼントしてくれたことを面白がった私が勝手に呼んでいるだけなのだが、おかげで夫と面識がない友人たちも「水筒さん元気?」などと声をかけてくれるようになり、私を仲介して安否確認をしてくれるほどになったのである。

それはそうと、誕生日に水筒をもらった人はこの世界にどれだけいるのだろうか。イル○ゾンテのしっかりした紙袋が見えたときの6年前のときめきは今でも覚えている。
「キーケースだろうか、カードケースだろうか、財布だったりして、、、そんな素敵ものを貰っていいのだろうか。この人ったら、、、、、。」頭の中に駆け巡る心の声。アクセサリーや化粧品でないところがまた彼らしい。イル○ゾンテはユニセックスなのでさぞデイリー使いしやすいものなんだろう、センスもいいんだなと感心したばかりだ。

しかし、袋から出てきたのは細長い箱だった。箱。細長い、箱。ちょっとよく分からなかった。たちまち検討がつかなくなり「えぇ、、なんだろう、、、、、」などと薄ら笑いを浮かべながら、本当になんだか分からないまま、細長い箱に手を伸ばし出てきたのは、財布でもカードケースでもなく1本の水筒だった。

イル○ゾンテのロゴがついた正真正銘イル○ゾンテ公式の水筒だ。水筒売られてるんだ。まずそこからである。ハンカチまでは知ってたけど、水筒もあるんだ。
マットなホワイトとスタイリッシュなサイズ感で持ち運びにちょうど良さそうだ。水筒。。。

正直リアクションに困ったが、5月の頭に誕生日を迎えた私に「これから暑くなるから、水分補給してね」という、ばあちゃんよりばあちゃん、じいちゃんよりじいちゃんの優しさで水筒を選んでくれたのだと思うと、とてもいじらしく可愛らしい人だと思った。プレゼントそのものというより、少なくとも私に元気で居てほしいと思ってくれているその気持ちを、大好きな人から受け取れたことが嬉しかった。何はともあれ、やっぱりこの人好きだなと思った。

誕生日プレゼントだよと丁寧にラッピングされた箱から出てきたものがもしも水筒ならば、人によっては衝撃を受けるだろう。がっかりする人もいるかもしれない。まあ、水筒だし。誕生日プレゼントと水筒が結びつく人はなかなかいないんじゃないか。友人には、子どもだったら泣いていると言われ妙に納得したので、私がそれなりの大人でよかったとも思った。

しかしどうだろう。水筒は水分を持ち運ぶためのものだ。生きるために必要な水、いのちの源を運ぶもので、とても崇高なものなんじゃないか?なんだか水筒がとても尊く厳かなものに思えてきた。
暑くなるから水分をこまめに摂って、これからも長生きしてね。僕と一緒にこれからの人生を過ごしていこうね。そんな強い想いが込められていたのではないか。それはもう紛れもなく愛である。プロポーズだったかもしれない。それなのに気が付かなかった私は水筒を甘く見過ぎである。もっともっと人間どもは水筒を大切に扱うべきである。

そんな水筒オットの愛がとぷとぷに詰まった水筒は、申し訳ないことにここ3年一度も使用していない。社会人になった私にはあまりにも小さいので自然と使用頻度が減ってしまったのだ。実家の食器棚の多分右上の方のどこかで静かに眠っているので、実家に取り残された水筒には足を向けて寝られない日々が続いている。

私の人生で水筒の立ち位置はちょっぴり特別だ。水筒を見るたびにこのエピソードを思い出すのも、くすぐったく面白い。それに、毎日使っては洗いまじまじと見ることもないであろう水筒にだれかの気持ちが込められるだけで特別になったのも嬉しい。

もし将来子どもや孫ができたら、「水筒こそ本物の愛、水筒をくれる人は大切にしたほうがいい」としつこく話して聞かせていきたいと思う。

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