Feb.22.Fri/家族…
何か問題が起きたり、行き違いやすれ違いで物事がスムーズに運ばない時
その、事柄の解決策を話すだけに留めず
相手の性格やら、昔の出来事とか持ち出して物事を複雑にする人がいる。
そして自分の気持ちにばかり注目して、気持ちを訴えてくる。
しかし、すれ違ったり行きたがったりして時、双方に、或いは各々に…それに関わっている人数の分だけ、気持ちはある。
皆んなの気持ちばかり汲んで、あーだこうーだやっていると、ドンドン解決から遠のいて行く。
あの時も、あの人があー言ったから、こーなったのょ!あの時、私はこーしたかったのに…とか。
あの人はいつもそうなのょ。あの人のこーゆう性格がまた今度の問題を引き起こしたのょ…
だから、私はもうあの人とは関わりたくないのよ…とか。
そのうち、間に入っている方にもとばっちりが来る。
あなたがはっきりした事言わないから…とか。あなたはどっちの味方なわけ?…
何か問題が起きるたびに、必要のない相手の性格についての傷つけあいが起こる。
アホらしくてやってられない。
それを回避しようと、相手の挑発に乗らないようにする人は、何を言われても聞き流し、サンドバッグのように、とばっちりを受けながら、ひたすら問題の解決に励む。
人間性を否定され、バカにされ、時には罵声やら罵倒やら罵りを受けながら、受け流し聞き流す。
何とかして、話すべき問題点だけを話そうとする事に神経をすり減らすが、時には反論せずには居られなくなり、うっかり反論しようものなら、何倍も傷つけられる。
何かすれ違いや行き違いが生じるたびに、親子や親族で価値観が合わないだとか、気が合わないだとか、そんな…壮大な話を持ち出してどうするんだろうか…
親子や親族間に、価値観の一致は果たしてありえるのだろうか…
夫婦は少なくても価値観に多少なりとも一致する部分がないと夫婦でいられないけれど、兄弟姉妹は、別々に互いのパートナーを見つけ、生計を別にする様になったら、例え親子でも兄弟姉妹であっても、価値観なんて少しずつすれて行くものだし、そもそも…価値観はだれか1人の人と全てが一致するものなんだろうか。
どんなに親しい人とでも、一致する部分もあれば、しない部分もあると思うのだけど。
家族間で、何かトラブルが起こるたびに、価値観の違いやら、性格の違いやら、それを責めあって、昔のことを持ち出したり、気持ちがどーとかあーとか…そんな遣り方していて解決できるんだろうか…と嫌になって来る。
そうして、やっと…事の収束が見えて落ち着く頃には、また新たな心の傷が増えていて
きっとまた、なにかあった時に、今度はこの事をまた思い出して、罵りあって責めあって、一向に解決しないのだろうと思う。
家族って、何なんだろう。
家族って必要なんだろうか。
何か起きた問題を、気持ち…とか感情とか、そんな当てのないもので解決しようとする人とは、関わりたくない。
誰だって、みんな気持ちはある。感情があれば気持ちはある。気持ちが納得するかどうかで事柄を解決しようとすると、人数が多くなると非常に複雑になる。
家族ほど厄介な存在はない。