満たされていないと書くのか…書けないのか。或いは書かないのか。またその反対も…人によりけりね。枯渇した何かを埋めようと書くのか書くと埋まるのか。書く内容にもよると思う。年代の違いもある気もする。私の場合…明らかに時代が1つ終わって次に突入しかけている狭間にいる気がする
栗ご飯。子供の頃から良く食べていた母の作るそれは…ピンク色のおこわご飯に栗が入っていた。私はそれが大好きで良くねだった。仕事で忙しかった母にとって手間のかかる作業と知ったのは30も過ぎてから。食紅でピンクに染めたモチモチの栗ご飯。今は真似して自分で作るが…いやはや面倒くさい!笑
昔…娘の家に手伝いに行ってた頃。気持ちの行き違いを上手く説明出来ず、理解し合えないまま家路に向かう時…眩しい光の方を振り向くと"天使の梯子"が掛かっていた。人には理解されなくても私の心に偽りがない事を私は分かっているから良んだ…と切ない気持ちを振り切った事を思い出す。
まだ、と言うか…来るのか…。アウトプットするエネルギーが湧いて来なくなったのは…いつからか…。暮らしの記録も手帳に書いて終わる様になったのはいつからか…ここへアウトプットする意味…私は誰かと繋がっているんだろうか…。五十肩と腰が痛い。頸椎ヘルニアも良くない。