2014年 いわき民報 「暮らし随筆」
ずいぶん前に地元の夕刊で3か月間、好きなことを書かせていただきました。清航館の修復工事はまだ終わっておらず、家族で中之作に移住してすぐのころですので、近所からはとつぜん建物を大勢で直し始めた変な移住者に見られてました。でも、古民家改修を楽しんでるのが伝わてきます。やってることは今も10年前とそれほど変わっていませんね。変に理屈っぽくなってる分だけ「嫌な爺さん感」が当時より増しるかもしれません。
01 自己紹介
今週からこのコーナーを担当することになりましたNPO法人中之作プロジェクトの豊田善幸と申します。まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。中之作プロジェクトとは津波被害により解体の危機にあった古民家を買い取り、まちづくりの施設として整備することを目的として立ち上がった団体です。大勢の方と一緒に昔ながらの工法にこだわった古民家の修復を行い、ようやく工事完了の目処が立ちましたので、今年からは建物を活用したイベントをほぼ毎月開催しております。
この古民家での活動は完全にボランティアでして、本業は建築設計事務所を主宰しています。職業柄古い建物が大好きなので、中之作の古民家が解体されることは我慢できませんでした。中之作プロジェクト以外にも建築の専門知識を活かして、省エネ住宅の研究会や、教育委員会の文化財保護審議委員の活動もしています。
少し余談ですが、震災の少し前から自転車にはまり、私の会社にはスポーツ用の自転車が4台置かれています。古い建物や町並みのこと、時々自転車のことなどを書いていこうと考えています。宜しくお願いします。
02 注連飾り
もち米を育てて初めて知ったのですが、稲を育てると藁が思いの外大量に排出されます。これまで日本人は稲作の副産物である藁を生活に利用する方法をあれこれ考えてきました。家畜の飼料、建築材料、燃料などがすぐに思い浮かびます。藁を簡単にはゴミにしない気持ちは、日本人の価値観に大きく影響しているのではないでしょうか。
藁の活用法の中で、正月に迎える年神を祀るための依り代となる注連飾りは、廃棄物に神様を迎える少し変わった活用方法にみえます。しかし、実際に米を育てると、風雨に耐えて稲穂を支えた藁にも感謝するようになります。まさに稲作信仰ですね。
注連飾りは敢えて通常のワラ縄とは逆方向にねじります。ワラ縄を作った経験がある方はうまく体を動かせず、作業は自然と丁寧になっていきます。
私たちが育てた藁は、地元の神社に飾る手作りの注連縄になりました。
03 カマド小屋
古い建物は先人の知恵が詰まっています。私たちが修復している古民家は19世紀の初めごとに建てられたと思われる商家で、時間に磨かれて迫力が増した柱や梁が魅力の建物です。道具も運送方法も限られた時代に、これだけの建物を建てたことも驚きですが、それ以上に不思議なことは、今回の地震や津波に耐えたことです。
木造の建物が偶然二百年以上残されることはありません。津波被害を受けにくい高さで地震に強い地盤を見抜き敷地を決め、いい材料と腕の立つ職人を集めて長持ちする建物をつくり、それを家族が代々守り続けたからこの古民家は今日ここに残っているのです。それだけでこの建物は価値があると思います。
手に入れた古民家をそんな視点で見てしまうと、劇的に改造する「リフォーム工事」ではなく、建物を本来の形に戻す「修復工事」をしたくなります。傷んだ部分を丁寧に取り除き新しい材料に入れ替えたり、将来を見据えて壁の中などの見えない部分の補強もしっかりと行いました。
部分的に土壁の土も壊しましたが、それを処分することができず、カマド小屋の壁として再生しました。建物に込められた思いを次の世代に受け渡す方法にも様々な手法があります。
04 遊びの姿勢
初めてすることはなんでも楽しいです。古民家の修復をしていてそんなことに気が付きました。パソコンに向かって建築の図面を描く仕事を続けていますので、建築工事のおおよその流れは把握していましたし、古い建物を修復する資料なども目にする機会も多く、土壁作りの手順などはそれなりに把握できていました。しかし、それを自分ですることになるとは思っていませんでした。
古い建物を詳しく見ると、木、土、竹、藁など身近で手に入るものが多く使われています。手間を惜しまなければ素材の特性を上手に引き出すことは可能で、仲間が集まりさえすれば昔の工法は現代でも再現可能なのです。工事費にも限りがありますので、友人知人に手伝っていただくことを前提に伝統的な工法での修復決めました。
刻んだ藁を混ぜて泥をこね、ワラ縄を捩り、竹小舞を編み、土を塗る。何もかもが初めての作業でした。3ヶ月かけて建物の大きな壁を大勢の仲間と仕上げていく大変な作業でしたが、久しぶりに物作りの楽しさを味わうことができました。日本の住宅には特別な技術を持たない素人でも作れる部分が用意されていて、そこに関わる仲間により建物は強さを増しているのかもしれません。
05 土と稲わら
かつての家づくりは、土・竹・藁など身近な素材で造られていました。教科書で読んだことはありましたが、実際にそれを体験したのは中之作の古民家修復の現場が初めてでした。
特に驚いたのが藁を何度も使うところです。細く割った竹を格子状に編む縄は、稲藁をより合わせて細長くしたものです。壁に塗る粘土質の土には小さく刻んだ藁を混ぜて発酵させます。よく寝かせた土は藁の繊維質が粘土の粒子に絡まり粘りが増すと言われています。壁の下地作りと土作りがようやく終わり、やっと土を塗ることができるのですが、小さく刻んだ藁をもう一度土に混ぜます。これは土の割れを防ぐためと教わりました。壁の両面を塗り終え乾く前に、木材の下地が邪魔をして土が薄くなっている部分に長い藁を補強のために押し付けていきます。
編んで、溶かして、絡めて、押し付けて、私が関わっただけで藁は四種類の使われ方をしています。今日の家づくりの素材は工業製品であり、多くは製造、運搬、廃棄などに大量のエネルギーが必要となります。米づくりの廃棄物である藁の特性を最大限活用する家づくりはそれらの対極に位置する技術ではないでしょうか。
06 ぶらチャリ
自転車には3種類の乗り方があります。通勤、通学、買い物などの「移動の手段」が一つ目、二つ目は高性能な自転車を使い「スポーツ」を楽しむ乗り方です。三つ目は私が特に気に入っている乗り方で「町をぶらぶらする」です。ポダリングという和製英語もありますが、まだ一般的でないので私は「ぶらチャリ」と呼んでいます。
ブラチャリの魅力は移動速度と路地散策にあります。クルマの窓から見える景色と自転車で眺める景色は全く違い、その町の音や匂い、道端の草花や空気の湿り具合まで感じることができます。空調の効いたクルマの中は快適ですが、移動速度が速すぎて窓からの景色はほんの一部だけしか見えていないことに気付きます。
私がのんびり自転車に乗るときに決めていることは、知らない路地に入っていくことです。知らない細い路地は、不安が多くクルマで走ってみようとは思いませんが、自転車でしたら怖くありません。
自分の住んでいる町で迷子になったり、誰も知らない素敵な風景を発見したり、ぶらチャリの醍醐味は路地にあります。震災の前の年に自慢の路地を案内するぶらチャリ自転車部を仲間と設立し、定期的に市内の路地裏探検を続けています。
07 燃料づくり
里山の代表といえばクヌギの木です。成長が早く炭の原木や薪(まき)などの燃料に使われていたため、伐採した切り株から新しい芽がでるのを、よく農家の裏山などで見かけました。
幼木の樹皮にカミキリムシが傷をつけると樹液が溢(あふ)れ出し、大木になっても止まらないので、カブトムシなどの昆虫が集まります。秋になるとふわふわの帽子をかぶったまん丸のどんぐりが実るのも魅力の一つです。
エネルギーが薪から石油などの地下資源に変わると、里山はどんどん廃れていきます。クヌギの木を伐採しないので幼木が減り、カミキリムシが育ちません。当然、樹液に集まる昆虫も減ります。
そんなわけで「中之作プロジェクト」のカマド用として庭にクヌギを植えようと考えています。カマドの燃料は、設計の仕事をしているので関係する工事現場の木材のかけらで間に合うのですが、「火力が強い広葉樹火で炊いたご飯は美味しい」と言われると、試さずにはいられません。
クヌギは二十年後に伐採して薪にする計画です。それまで飯炊きや薪割りの練習、虫取り、どんぐり拾いなど、やることがたくさんあります。時間があっという間に過ぎてしまいそうです。
08 もち米
苦労して関わると価値観が変わります。今年、生まれて初めて米づくりに挑戦しました。田植え・稲刈り・乾燥・脱穀まで、古民家修復の仲間と一緒に機械に頼らずに作業しました。ありきたりかもしれませんが、米一粒がとても貴重に感じられます。
古民家の修復中に排出され処分される古い土壁の土を再生させるため、手作りカマド小屋の建設を決め、その勢いで年末の餅つき大会まで予定を立てたのが今年の一月です。仲間にそのことを話すと、当然のようにもち米作りまでみんなですることになりました。私は仲間に恵まれています。
そうと決まったらのんびりしてはいられません、知人の農家に相談し、土壁や日干しレンガづくりの準備や職人さんの手配をし、春からは毎週のように何かしらのイベントを開催することになりました。それらの多くは泥をこねたり田んぼに入ったり、まさに一年間泥まみれでした。
先日もち米の味見と称して、カマドと蒸籠(せいろう)を使い赤飯を炊きました。燃料の薪は修復工事で出た廃材です。これほど遠回りをしてもち米を食べたことはありません。それはとても愛おしく美味しい赤飯でした。
年末の餅つき大会が楽しみです。
09 淡い色彩
古い港町にはペンキ塗りの外壁が多く存在します。日本の木造住宅といえば黒やこげ茶の板壁と白い漆喰壁を思い浮かべる人が多いと思いますが、港町はちょっと違います。函館、横浜、長崎などの洋館が多い開国の港以外でも、想像以上に色彩豊かな風景が港町の魅力となります。
板壁にパステルカラーの塗装をした木造住宅が多いのは、船に塗った塗料の余りを転用したことが理由です。腕の立つ船大工さんもいたでしょうから、中には彼らが関わった建物が存在するかもしれません。港町の風景が船に関係しているのは私が住む中之作も同じです。細い路地を慎重に眺めて歩くと、板壁に淡い色彩の塗装が施された建物をいくつも発見することができます。
古い港町の風景を残す通りは町が賑やかな時代は商店街だった場所が多く、それらは都市計画で板壁の木造住宅が建てにくい地域に指定されています。中之作は被災三県の海岸線で津波に耐えて残った古い港町であり、私は存在自体が貴重だと考えています。都市計画を実情に合わせて見直してもらえると、古い建物の間に建つ新しい建物が港町の風景として繋がっていく可能性が広がるのではないでしょうか。
10 時速20km
自転車はクタクタになるまで乗っても楽しいです。問題はどんどん高価なマシンが欲しくなることで、飽きっぽい私が長続きしているのは「物欲」を満たしてきたからかもしれません。クロスバイクから始まり、半年後にロードバイクを購入、鉄製、アルミ製と乗り継ぎ、現在のカーボン製バイクで四台目です。
ここまでくると私のお小遣いで買える金額を超えており、家内の承諾を得る作戦が必要です。「自転車で遠くに行きたい」という目標を立て、運動不足解消にと週に数回早朝サイクリングを繰り返し、自転車雑誌に付箋を貼りテーブルに置くなどの準備を怠らず、向こう三年間は新車を買わない条件付きで、ようやく手に入れた四台目なのです。
遠くに行く約束は、深く考えず日本海を目指すことにしました。六月の小名浜の日の出は朝四時で、新潟の日の入りまで十五時間あります。二百キロメートルを超える距離ですが、時速二十キロで走れば休憩を入れても一日で到着できると考えました。
結果ですが、残念ながら新潟県境を過ぎたところで疲れ果ててしまいました。来年も挑戦する予定です。
11 拡大家族
大きな鍋でつくると大抵の料理は美味しくできます。私が管理するレンタル古民家「清航館」では、人が大勢集まるイベントは勿論、スタッフのミーティング時にも大勢での食事を楽しむようにしています。本当に料理が美味しく感じるから辞められません。
三世代が一つのテーブルを囲む寺内貫太郎一家のような食事風景は既に少数派となり、数人分の手間のかかる料理をするくらいなら、外に食べに行った方が簡単という考えが一般化しています。これは家族を構成する人数が足りないために起こる「機能不全」にも見えます。
いまさら核家族の気楽さを犠牲にて大家族化を推奨するつもりはありませんが、例えば清航館での会議後に一緒に食事の準備をし、みんなで片付け、それぞれの家(へや)に帰っていく様子は、昔の家族団欒を追体験するような不思議な感覚があります。美味しい食事を楽しむことに軸足を置いた関係を、私たちは「拡大家族」と呼ぶことにしました。可能なら様々な年齢層を混在させるべきです。料理を教えあうこともできますし、何より家族っぽさが増します。
もしかすると芋煮会の大鍋は、大勢の参加者がいないと、案外普通の味なのかもしれません。
12 所有者意識
関係者を増やすと建物の耐久性は改善されます。中之作プロジェクトでは古民家修復を住民参加で行い、建物には八百人を超える方の作業の痕跡が残されてあります。土壁や床の塗装、障子紙にもそれぞれ特別な思いを持つ方がおり、所有者であってもそれらに手を加えることは憚られます。修復を手伝ってくれた方が意識しているかどうかは別にして、彼らに「所有者意識」が存在すると気付いた瞬間から、私は勝手に壊せないと考えるようになりました。
日本の木造住宅は他の先進国と比較して短命で、国も様々な取り組みをしているのですが、少々物足りない内容のものが多いです。例えば土交通省が推進する住宅性能表示制度には、構造の安定や劣化の軽減などの評価軸がありますが、どれも審査しやすい数値基準ばかりで、建物が壊されないためにすべきことについては全く触れられておりません。
建物の劣化は放置しなければ容易に修復できますし、耐震補強の技術も確立されて、古い木造住宅でも長く住み継ぐことは可能です。それでも三十年程度で壊されてしまうのは、それ以外の問題点があると考えるべきです。建物に「壊されにくさ」という視点を持ってはいかがでしょう。
13 断熱オタク
古民家も温かくリフォームすることは可能です。土壁は乾燥すると収縮するため柱と土の間に隙間ができます。時間が経った建物ほどその隙間は大きく、古い建物の冬の寒さは大変厳しいものとなり、暖かい新しい家が欲しくなるのも当然だと思います。でも寒さの原因は分かっていますので、問題点を処理すれば割と簡単に問題を解決することも可能です。もちろん誰でもできる工事ではありません。断熱の技術を理解していることが重要で、家中に散らばった寒さの原因を残らず処理できる会社を見極めて依頼する必要があります。
ポイントを二つ紹介します。一つは断熱計算です。建物から逃げる暖房の熱は、正確に把握することができ、適正な暖房能力や、年間の暖房費などのシミュレーションも可能です。断熱計算ができない業者はかなり危険だといえます。もう一つは引き渡した家を見学させてもらうことです。冬は暖かい家を自慢できる季節ですので、住み心地で満足しているお客様は見学を許してくれます。
ちなみに、私は自他共に認める断熱オタクですので、どちらも問題ありません。ぜひ快適な冬の古民家を体感してください。お待ちしています。