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民報サロン:210613 「風景を受け継ぐ心構え」

家族で家を受け継ぐことが困難な時代が訪れることはずいぶん前から決まっていた。例えば港町。日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期の終わり頃、日本の漁業は外圧などの要因で大きく衰退する。かつての賑わいは失われ、若者の多くは漁業以外に就労することになるのだが、実はその程度の時代の変化で港町の風景が変わることは無い。行き過ぎた個人主義による核家族化に問題があると私は思っている。
家は家長が守るのが常識の時代、主に長男が家財の管理や家業の経営なども含めて受け継いでいたのだが、時代は家長が継承しない自由を受け入れてしまったのである。誰もが夢のマイホームを手に入れることに心を奪われ、親世代は子どもの住宅取得に支援を惜しまなかった。この状況は港町だけで発生したわけではく、日本中が親世帯との別居を選択したのである。この家族構成の劇的な変化は日本の好景気を支えていた側面もあり、バブル景気の頃の住宅着工件数は現在の約1.5倍近くあった。
バブルがはじけて三〇年、親との別居世代の子どもが家を建てる時代が始まっている。核家族化と持ち家政策で世帯数を増やし続けた結果、祖父母が暮らす親の実家を守る意思は消え失せてしまったようである。こうして、古い街並みに空き家は増え続けることになる。
住宅が一世代で消費される限り建物を住み継ぐための工夫や知恵は不要となる。そう考えると、家が耐久消費財としてつくられ、壊され続けている現状にも納得できる。
建築設計の仕事をしていると、様々な住宅の最後に関わる機会が多いのだが、昭和五〇年代に建築された部分の劣化が特に酷いことが分かる。工業生産品の新建材は接着面からうすく剥がれ落ち、合理的な細さで組まれた下地は白アリや結露による腐朽で強度を失っている。大量消費時代の象徴とでも言うべき惨状が、新たな建物を建てる動機づけになるという笑えない状況がそこにある。それに対して、昭和三〇年代頃の建物はしっかり作られているものが多い。いやこの書き方も語弊がある。六〇年以上住み継がれ現存する建物はちゃんと建てられているのである。そうでない建物はとうの昔に淘汰されすでに存在しないのだ。
過疎地域の空き家には古くて立派なものが数多く紛れている。これら価値ある建物の維持や活用を一世代ごとに家を建て続ける生活様式に浸ってしまった持ち家主義の方々に一任するのは無理がある。そうなると家族が受け継ぐという常識をそろそろ改める時期ではないだろうか。家は家族以外が受け継いでもよいのである。使わずに朽ちるのを待っているより、はるかに前向きな姿勢だと言えよう。
震災後は本業とは別に港町の風景保存を目指すNPO法人を運営している。価値のある古い空き家を上手に住み継ぐ方法を所有者に提案できるかが課題である。住む者が居なくなった古い家を解体するべきか悩んでいる方からの相談には、五年程度誰かに貸すと解体費が確保できることを伝えるようにしている。家賃は建物の傷み具合によるが、傷んだ部分は入居者が改修するDIY型賃貸借契約を提案し、入居希望者の斡旋まで行う。きれいに改修しないと貸せないと思い込んでいる所有者が多いのだがそんなことは無い。最近は自分好みにカスタマイズできる古い賃貸物件を探しているマニアが一定数いるのだ。

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