構成世界の外に出る経験を与えないものはおよそ「ワークショップ」とは呼べないという話なのかなと。
この記事について
連投です、平塚です。連投である理由はこころで感じてください。この記事は、武蔵野美術大学大学院造形構想研究科修士課程造形構想専攻クリエイティブリーダーシップコース(以下「本研究科」といいます。)の科目である「クリエイティブリーダーシップ特論」(以下「CL特論」といいます。)における令和3年5月31日(月)に開催されたCL特論の第8回のエッセイです。最前線でご活躍される方の連続講演イベント第8回のスピーカーは『問いのデザイン』の著者としても有名な安斎勇樹様です。デザイン業界についてたいへん無知な私でも本だけは読むので書籍のことは知ってました。著者名はすっかり頭から吹き飛んでいましたが…
なお、今回のご講演については「こころで感じる」のではなく「理詰めで捉える」ほうがよろしいかと思います。
講演内容について
安斎様はもともとアカデミックなバックグラウンドを持っており、ワークショップの方法論、ワークショップ設計を研究していたとのことです。様々なプロジェクトをこなされていますが、ご講演では次のように活動の動機をお話しくださいました。
ひとことで言うと、僕が大切にしてきている活動の動機みたいなものは、世の中のヒトとかチームとか組織にはクリエイティビティ、創造性が眠っていると思っていまして、これを引き出したり、活かしたり、発揮してもらうってことが僕個人の面白いと思っていることなんですよね。けっこうやっていくと奥深くて、人間の創造性はすごく複雑かつ難解で、簡単に一人一人の創造性を発揮できるように思うんだけれども、それがなかなか難しかったりするわけなんですよね。その要因の一つに、人間の視野って驚くべきほど狭いんです。すごく狭い範囲でスコープをあてて普段眺めていて、それを広く持とうとしているんですけどなかなかできない――これは固定観念の問題って言われますけど――我々は狭さに気が付くことさえできないみたいなことが人間の特性としてあるわけなんですよね。
〔※強調引用者〕
ご講演中で明言はされていませんが、ここでいう「創造性」は「構成世界の外側に出る経験」、「当たり前だと思ってきたことを捨て去る試み」としてひとつの定義が与えられてるように思われます。ご講演中に言及されていた「目の前のありのままの風景を描く」という部分は構成世界と現実世界とがずれているという気づきのリバースエンジニアリングであり、「蛍光灯の中の虫」、「コインロッカーの中の宇宙人社会」といったケースは構成世界と現実世界の関係をメタ的に眺めているということなのでしょう。さらに展開して、我々の宇宙の外側には神々がいるという発想にもなりますね。そして、安斎様にとっての「ワークショップ」とは構成世界の外側に出る経験を与えるものだという位置づけのようです。ご本人もおっしゃっていたように、ポストイットでぺたぺた貼るような表面的な方法ではないということです。換言すれば「御社はワークショップをやっていると言っているけど、参加者の方々はそういう経験をしたの?」ということですね。
そして、同じようなメンバーでもうまくいく場合とそうでない場合とではどこが異なるのか?ということを考えていったとのことです。安斎様はプログラムの設計自体に着目し、仮説を立て、検証したとのことで、具体的に研究をご紹介くださいました。それが「問いの比較実験」でした。手法としては極めて科学的ですね。
ワークショップって奥深いんですね。
ワークショップの捉え方について、とても本質的だと感じました。そこからサイエンスの手法でワークショップ設計を検証していくのもなかなか面白く、あまり考えたことではありませんでした。そういう研究もありうるのですね。その中でも特に参加者やファシリテーターという人物(不安定な多数のパラメータの寄せ集め)ではなく「問い」という客観的な対象に着目したところも非常に科学的であると思いました。
手法としてサイエンスである以上は心置きなく私も適用できるはずなので、ぜひ参考にさせていただきたいと思いました。
(執筆者:平塚翔太/本研究科 M1)