私のはたらき方 流されたっていいけれど、時には泳いで渡る気概をもつ
はじめに
はたらき方って、ほんとうに色々。とくに女性ははたらき方を迷う機会が多いと思う。結婚、出産、家族の転勤。その都度はたらき方を変える人もいるし、そうでない人もいる。みなさんはどのように、自分のはたらき方を選びとっているのだろう。
今のはたらき方
私は、この春からパート勤務をスタートした。時給何百円という、決して高くないお給料。その代わりに、責任という面ではとても楽なはたらき方。時間の拘束も少なく、家に持ち帰る仕事もないので家族との時間を優先できる。今の自分にはちょうどいいと思っている。
本音のところ
けれど本音はちょっと違う。
職場の上司は同年代の女性。知識が豊富で他のスタッフからも頼られる存在。子育てしながらキャリアを着実に歩んでいる人。そんな女性を傍で見ていると、正直虚しさ、羨ましさを感じている。
2年前に夫の転勤で退職したが、辞めていなければ私もああなれていただろうか。ちらちら負け惜しみが出てくるが、どちらにしても今の私には手に入らない姿だ。小さく肩を落としてしまう。
キャリアを歩みたかったわけではない。けれど、自分が手に入れられないキラキラ輝くものを間近で見て、少し自信を失ってしまう。これが本音。
私の選択
夫の転勤をきっかけに、私はこの数年で社員、専業主婦、フリーランスにパートとはたらき方を変えている。まるで川に流されるがごとく、私の環境は変化していった。そして今、昔描いていた働き方、自分の姿とはかなり遠いところにいるような気がする。
そこではっとした。川に流されたとは、自分の人生なのに何て他人ごとなのだろう。きっかけは夫の転勤かもしれないが、仕事を辞めて付いて行くことを決断したのは自分自身。その後のはたらき方を決めたのも、他ならぬ私自身。
仕事を選ぶ際に重視するポイントは色々あると思う。例えば、賃金、やりがい、人間関係、ライフスタイル。そのうち、私はライフスタイルを重視した。
娘が3歳までは会社員としてフルタイムで働いていたが、要領がよくない私は毎日時間に追われていた。仕事を終えて、娘を迎えに行ってから夕食の準備。晩御飯は20時半を過ぎることが頻繁にあったし、家に仕事を持ち込むことも多かった。そんなこともあって、再就職の際に、今のはたらき方を選んだ。
そう。誰に強制されたわけでもなく、自分で考えて自分で選択した。子どもが子どもでいる時間は限られている。夫や自分、両親が元気でいる時間も限られている。その上で、自分はこの働き方を選択した。自分で。
人生を泳ぐ
自分の選択に後悔はしていない。けれど満足もしていない。
今の仕事は、単純作業が多く、責任も少ない。楽だけど、このまま働いていた先の10年後には、どんな自分がいるのだろうか。想像した先にワクワク感はなかった。
10年後、おそらく娘は親の手元から巣立つ準備を始めているだろう。その時に、私の優先順位は「家族との時間」から別の方向にシフトしているかもしれない。とすると、これから私がすることは、将来に向けての足場作りではないだろうか。
今の職場で成長機会がそれ程見込めないのだとしたら、自分で補うしかない。勿論、パート勤務であっても成長できる職場に変わる選択肢もある。小さくてもいい。将来の自分に野望を持とうと思う。
人生は一度きりだけど、選択肢は多種多様。川に流されるのではなく、川を泳いで渡るには身につけておくべきことは色々あるはず。野望を持つと、日々の生活にも彩が出る。時給生活にもやる気が出る。まずは単純作業と揶揄した仕事をきっちりこなしてからの話だが。
昭和の歌姫、美空ひばりさんの代表曲『川の流れのように』では『ああ川の流れのように おだやかにこの身をまかせていたい』というフレーズがある。私も大好きな歌詞だ。
人生には自分の力では、どうにもならないことがある。時には、これが人生かと俯瞰して見ることも大切。思い描いていた自分とは違うけれど、これはこれで面白いじゃない!と感じられる心の余裕も持っていたい。けれど、自分で変えたい、変えられる未来があるのなら、流されるのではなく、私は川を泳いで渡ろうと思う。