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【コラム】優しい微笑、もしくは中原中也と冨士原清一について


 ふたり、笑みについて、似た言及をされていた詩人がいる。

 中原中也と、冨士原清一である。


 回想形式で、彼らの笑みについて語られていたのだ。語られる笑みのさまがよく似ていたから、おやと思った。

 このふたりはどうも共通点が多い。
 たとえば酒を飲んで暴れた点や、フランス語の知識を持っていた点、病死と戦死という違いはあれど早逝した点、そしてこれから少し語る「微笑」である。

 先述の共通点があったから、妙に頭に残ったのかもしれない。それに、このような描写をされる笑みを持つ人は、他にもいるだろう。
 しかし、私にはこのふたりの微笑の描写が、強く心に残ってしまった。


 まず、中原中也。
 小出直三郎は次のように回想している。

昭和七年の初夏の晩、新妻と外出の帰り今の伊勢丹の向かい側、日活館の前の明るい通りを歩いていると、露天と柳の木の間に立った中原が「おめでとうございます」といんぎんに頭を下げて、やさしい美しい微笑を浮べていた。いつかどこか一緒に歩いていて、子供たちが遊んでいるのを二日酔いの中原がにっこりしながらじっと立ち止まって眺めているのを見て、その微笑の美しさにはっと思ったことがあったが、新婚の私に対してか、妻に対してか知らぬが、その微笑だった。

「中原中也全集 月報Ⅳ」より 小出直三郎「訪問魔中原中也」 p4
収録…大岡昇平編(1968)『中原中也全集 第4巻 日記・書簡』 角川書店


 そして、冨士原清一。
 彼の友人である瀧口修造は、次のように回想している。

きみが神楽坂でひとりで酒に酔い、荒れに荒れているとき、ぼくが「守護天使」になって行くと、きみは急に優しい微笑と敬礼で迎えるのが慣らわしであった。

京谷祐彰編(2019)『薔薇色のアパリシオン 冨士原清一詩文集成』 共和国 p261-262「冨士原清一に 地上のきみの守護天使より 瀧口修造」


「やさしい美しい微笑」、「優しい微笑」。
 文字形式で提示されており、いくらでも想像できてしまうからだろうか。こういう笑みをされてしまったら、たまらない気がする。彼らについて語るエピソードとして微笑が選ばれるのも、不思議ではないように思える。


 ギャップと言ってしまうと、まるで陳腐な気がする。
 微笑から仄かに見える純真が、彼らの核なのだと思う。核は露出しておくとあまりに脆弱だから、周りに覆いがないといけない。その覆いが強烈または重厚であればあるほど、ちらりと見える核の美しさが際立つ。
 それを維持することは、激動の時代、人生において特に大変だったろうと思うし、だから詩を書いたのかもしれない、と勝手な想像をしてみたりもする。

 彼らの微笑は、すなわち核は、彼らが詩人たる所以のようにも思える。幼子のように純真な、それでいて、まったくの子どもではないような、不思議な笑みだと思う。

 彼らの写真は、あまり多くはない。
 寡聞にして知らないだけかもしれないが、この笑みはおそらく写真には収められていない。しかし、概念として、私の中にはこの笑みがくっきりと存在している。彼らの写真を記憶して、強制的に笑わせているのではない。あくまで概念の具現化、イメージ化として存在している。ほころぶ口元が瞼の裏に浮かぶ。

 彼らの微笑を実際に見てみたかったけれど、それは叶わないから、多分忘れられないだろうと思う。


中原中也 (1907.4.29〜1937.10.22)
冨士原清一(1908.1.10〜1944.9.18)



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