【コラム】優しい微笑、もしくは中原中也と冨士原清一について
ふたり、笑みについて、似た言及をされていた詩人がいる。
中原中也と、冨士原清一である。
回想形式で、彼らの笑みについて語られていたのだ。語られる笑みのさまがよく似ていたから、おやと思った。
このふたりはどうも共通点が多い。
たとえば酒を飲んで暴れた点や、フランス語の知識を持っていた点、病死と戦死という違いはあれど早逝した点、そしてこれから少し語る「微笑」である。
先述の共通点があったから、妙に頭に残ったのかもしれない。それに、このような描写をされる笑みを持つ人は、他にもいるだろう。
しかし、私にはこのふたりの微笑の描写が、強く心に残ってしまった。
まず、中原中也。
小出直三郎は次のように回想している。
そして、冨士原清一。
彼の友人である瀧口修造は、次のように回想している。
「やさしい美しい微笑」、「優しい微笑」。
文字形式で提示されており、いくらでも想像できてしまうからだろうか。こういう笑みをされてしまったら、たまらない気がする。彼らについて語るエピソードとして微笑が選ばれるのも、不思議ではないように思える。
ギャップと言ってしまうと、まるで陳腐な気がする。
微笑から仄かに見える純真が、彼らの核なのだと思う。核は露出しておくとあまりに脆弱だから、周りに覆いがないといけない。その覆いが強烈または重厚であればあるほど、ちらりと見える核の美しさが際立つ。
それを維持することは、激動の時代、人生において特に大変だったろうと思うし、だから詩を書いたのかもしれない、と勝手な想像をしてみたりもする。
彼らの微笑は、すなわち核は、彼らが詩人たる所以のようにも思える。幼子のように純真な、それでいて、まったくの子どもではないような、不思議な笑みだと思う。
彼らの写真は、あまり多くはない。
寡聞にして知らないだけかもしれないが、この笑みはおそらく写真には収められていない。しかし、概念として、私の中にはこの笑みがくっきりと存在している。彼らの写真を記憶して、強制的に笑わせているのではない。あくまで概念の具現化、イメージ化として存在している。ほころぶ口元が瞼の裏に浮かぶ。
彼らの微笑を実際に見てみたかったけれど、それは叶わないから、多分忘れられないだろうと思う。
中原中也 (1907.4.29〜1937.10.22)
冨士原清一(1908.1.10〜1944.9.18)