「私は24歳で煙草をやめました」東京 Ichie vol.11:2019/11/19
主宰している交流会の今回の東京例会会場は、内幸町駅近くのオフィスビル1階にあるアイリッシュパブ。
アイルランドの街角にある年季の入った酒場をイメージした異国情緒を醸し出すその店舗デザインは、ビルの醸し出す非日常感とは対照的に、初めて訪れてもどこか親しみやすいアットホームな雰囲気でした。
私が選択した店舗としては、恐らく初めて、全面喫煙可能なレストランで、決める際にもこの点かなり逡巡しました。けれど、お店の”受け入れのフランクさ”が勝りました。
結果的に、会食中の半分の時間、店内の混雑もあってやっぱり紫煙が気になりました。しかし、後半は席が空き、影響を感じなくなりました。喫煙者の№2正会員は、ほくそ笑んでいましたし・・・
さて、NHK NEWS WEBでは、来年の東京オリンピックでのたばこの扱いについて、大会組織委員会は、競技会場の敷地内には喫煙所を設けず、完全に禁煙にする方針を固めています。夏のオリンピックで競技会場全体が禁煙になるのは、初めてとみられます。というニュースを、今年の初め頃に配信しています。
私はハタチそこそこから煙草を吸い始めて24歳でやめました。
きっかけは胃潰瘍を患ったことです。まあ例によって、一念発起して禁煙にとりかかったのですが、その時点での禁煙には失敗しました。
ご存知のように胃潰瘍はほとんどがストレス性の疾患で、禁煙のストレスが逆に潰瘍の進行を促してしまったからです。
しばらくして、なんの気なしに煙草を吸わない1日がありました。昨日吸わなかったのだから今日も、という日が3日になり、4日になり、一週間になり、いつの間にか1ヶ月になりました。
この頃が一番きつかったですね。
当時は東京住まいだったので、通勤の途中、駅の売店で、ガムや”干し梅”などを買って、口寂しいのを凌いでいました。しかし、なんと言ってもお酒の席が一番辛くて、何度も友達のセブンスターに手が伸びそうになりました。
それまでは、お酒を飲んだ翌朝は、煙草を挟んでいた指がヤニで黄色く変色するほどだったもので。3ヶ月を過ぎると、その禁断症状は無くなっていました。以来、食事がとても美味しく感じられるようになりました。
大学時代にアマチュアレスリングをやっていた友人が、無類の煙草嫌いで、「電車で隣の奴が煙草を吸いだすと(当時、帰郷時の中距離電車には禁煙車両などありませんでした)、そいつを殴ってやりたくなる」といっていましたが、いまの私には彼の気持ちが理解出来ます。
受動喫煙の害が叫ばれています。
屋外であればどこで吸おうがかまわないだろうと思っている方がいるようですが、とんでもありません。紫煙は7メートルは届くのです。
つまり、直径14メートルの空間が無ければ、灰皿を置いてはいけないのです。言うまでもありませんが、高血圧、高血糖、高コレステロールよりも、死につながりやすいのが煙草で、受動喫煙でも、いま問題視されているアスベストやディーゼル排ガスを上回る被害が出ているのです。
タバコを吸っていることが、クリエイティブで格好良いと思われていた時代が確かにありました。
私は、時々早朝に自宅前の道路のゴミ拾いをします。300m強の道路に落ちているのは、決まってタバコの吸い殻です。
先のNEWS WEBで『受動喫煙の対策に詳しい産業医科大学の大和浩教授は「・・・たばこによる健康被害から人類を守ろうというのが世界の流れだ。日本は世界のたばこ対策から取り残された存在だったが、オリンピックがきっかけになって大きく動こうとしている」と方針を評価しました。』とコメントされています。
40年前の禁煙が成功して、本当に良かったと、つくづくそう思う内幸町の私でした。