すべてを血肉に、あなたよ、すすめ。
---------- The brand new 能率手帳 NOLTY SINCE1949----------
人は、一年ひとつ、年を取る。
取った年は、どこへ行くのか。
取り込もう、自分の中に。
この一年で味わうであろう喜びも、
達成感も、確かな自信も。
挫折も、後悔も、何かを失う悲しみさえも。
すべてを血肉に、あなたよ、すすめ。
ノルティとともに歩む一年が、
あなたにとって
素晴らしいものでありますように。
1983年7月18日は暑い夏の日でした。
その日から始まった次の勤務地の初出勤は、茨城県の水戸市。まだ東京にあった自宅マンションから、早朝、常磐線の特急電車に乗り水戸駅に降り立ちました。
朝の駅は流石に都心に比較すると人の群れは少ないものの、サラリーマンや学生達でそれなりに賑わっていました。
今から37年前、私が使用していたその当時の手帳の4月の欄には、「○○退社」と記されていました。一年程度勤めた東京・銀座の健康機器メーカーの宣伝部をこの月に辞めたのです。
それから13週、手帳は真っ白な状態です。そして、この7月18日からまた、記入が再開されました。
故郷が茨城県北部にあるとはいえ、それまでに、その中心である水戸には、「偕楽園の観梅」位にしか来たことの無かった私は、駅のロータリーで次々に発着を繰り返すいったいどのバスに乗れば、目指す勤務先のあるビルに行けるのか早々と悩んでいました。
もちろんその何ヶ月か前に面接でこの地を訪れてはいましたが、出勤に対する準備を全くせずにこの日に臨んでいました。草ラグビーの現役を引退したばかりのジャスト30歳。体力に少々の自信もありました。
水戸駅は、千波湖から太平洋に向って流れる桜川という小さな河川沿いに、すり鉢状の窪地となったその底に位置します。北口から三方の扇型に幹線道路が伸び、私がチャレンジしたのは、真ん中の大きな道路。緩い上りの坂道を東京から来たばかりの新調のスーツで身を固めたビジネスマンは、迷うことなくジョギング体制に入りました。
今の私には考えられない暴挙でした。何キロ走ったでしょうか。息の切れない状態で目指すビルに到着出来ました。バス停の数で言うと5駅目位。その距離が想像出来ると思います。
この日から27年と7ヶ月、この企業と私の永い付き合いが始まりました。
それまで東京では何回もの転職を繰り返しました。一つの職種に限定されていたとはいえ、履歴書に書ききれなくなってしまう数は、当時、お世辞にも褒められるものではありませんでした。この入社日から二週間後に生まれた息子への責任感だったのでしょうか。
2011年の「手帳」まで、この企業での業務メモは途絶えることなく続きます。手帳の第一ページには、入社1ヵ月後の日付で記されていました。
「初心」謙虚に礼儀正しく。S58.8.17
お世辞にも謙虚とは言えないまでも、礼儀正しさでは、そこそこだったのではないかと述懐しています。
'21年もまた同じメーカーの手帳を購入しました。手帳のサイズは幾度か変わったとはいえ、愛用のメーカーは40年近く変わらずに、購入の度に、繰り返し、繰り返し思い出す、懐かしい記憶です。