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イチエクラブ誕生秘話:2022/02/18記

「信念と継続だけが全能である」



暫し、私たちの交流会の誕生”秘話”にお付き合いください。

人脈をつくろう!!

1994年。当時、私は、茨城県水戸市を流れる一級河川・那珂川に架かる水府橋の袂にあったシティホテルの料飲支配人をしていました。

若く血気盛んで、周りとは同化したくない尖った性格をしていました。

料飲は、営業が獲得した結婚式や集会、宴会の施行を受け持ったり、レストラン・サービスを担当するサービスの帰結点、最後にホテルの評価を決める大切なセクションでした。

そんな係でしたが、新米支配人の私には、他人に与えられる仕事をこなす受身の癖がついた人たちの集まりであるかのように見えて、冷めた目で彼らを眺めていました。

もっとも一年後には、早々と任を解かれ、県南の小さな街の結婚式場を開業させる新たなミッションを与えられるのですが、この時期、私は「このまま会社の中の人脈だけで過ごしていたら、早晩、馬鹿になる」という、理由の無い恐怖にさいなまれていました。

そんなジリジリとした、いても立ってもいられない気分で毎日を過ごしながらも、かといって自ずからは動かずに、ひがなデスクで本ばかりを読んでいる、本当に困った奴でした。

入社当時のまだまだ新米ホテルマン時代の私

ある時を境に「人脈をつくろう!!」という気持ちがあたまをもたげ、自分なりにあちこちと当っては見たのですが、現在とは違いインターネットや、ましてや、SNSなどというモノが存在も普及もしておらず、ライオンズとかロータリーとか、若輩の私などが相手にもされない旧来の集まりが、ただただあるだけでした。

一方、9年前に広告プロダクションを創業し、2年後には株式会社に改組した(当時)新進のグラフィックデザイン会社経営者のMO氏は、そんなとんがったホテル担当者の私を”クライアント”と持ち上げて、よく酒の場、つまりは接待へと誘ったものでした。

振り返るに、それはMO社長自身の”自分接待”であって、その楽しさと盛り上がりの異常さは、若い二人の未来への夢の発露そのものでした。

こんなに楽しい「場」を、二人だけのものにしておくのはもったいない!!という気持ちと、自分の飲み代ぐらいは自分で払い、対等に話しがしたいという私の気持ちと、「人脈をつくろう」という考えが合体するのに、多くの酒量を要しませんでした。

これが水戸に一風変わった交流会が誕生するきっかけでした。

はじめに着手したのは発起人集めでした。

私の中には構想があって、デザイン会社のMO氏、報道のSS氏、アーティストのTM氏、菓子製造会社のYF氏にそれぞれ声をかけ、色よい回答が得られました。ここにホテルマンの私を加えた5人が最初のメンバー、つまりは発起人となったのでした。

デザイン会社のMO氏(右側)、報道のSS氏(左側)
アーティストのTM氏

1994年10月27日、記念すべき第1回目の例会は、私の自宅で、女房の手料理で開催されました(参加者6名)。

爾来320回の例会を数える今日までの28年間、100回例会(2003/3)、15周年例会(2009/1)、200回例会(2011/8)、20周年例会(2014/11)、300回例会(2019/12)など、数々の節目の記念例会を無事通過しながら、月例会は連綿と続いて来ました。

『一会倶楽部』(イチエクラブ)の名称は第5回目の例会で決定しました(1995年3月29日於:旧・水戸プラザホテル・四川飯店、参加者10名)。

そもそも私は、40代の不惑世代が会を牽引して行くことになるのだろうという発会当時の思いから、「惑惑倶楽部」という名称を準備し、気合を入れてミーティングにのぞみました。

しかしこれは、SS会員によって即座に却下されました。ならばということで、SS会員に提案の番が回り、彼は「一月一会」という案を出して、これも皆の冷笑を買いました。

その後も何度も何度もやりとりが続き、一期一会というキーフレーズにたどり着きました。『一会倶楽部』案を出したのは、やはりSS会員でした。一月と一期の言葉の概念が変わるだけだったので、抵抗の無い思考手順のようでした。

一生に一回しか会う機会がないような不思議な縁「一期一会」から、我々もそんな出会いを大切にしようという願いが込められたこの名称案を、皆とても気に入りました。

こうして、はじめは5人だった会員は現在10倍の50人(最大時73人)にふくれあがっています。しかし、我々のスタイルを受け入れられずに、入会はしたものの去っていった方々、また、仕事や家庭の事情でやむなく退会した方々は数えきれません。

もともと会員数を増やすことが目的では無い会なので、入るも出るも自由なスタンスでした。

入会当初会員ナンバー23番だったTKさんは、出欠連絡ではいつも律儀に「23番TKです」と連絡してきたものです。そのTKさんの現在の会員ナンバーは2番で、現在は会を牽引する重要な位置にあります。

これだけを振り返っても、その入れ替わりようがお分かりだろうと思います。

第100回記念例会:於・水戸芸術館レストランendo 参加者59名
20周年記念例会:於・ホテルザウエストヒルズ水戸 参加者85名
第300回記念例会:於・ホテルザウエストヒルズ水戸 参加者99名


一期一会の精神

長い継続の中で忘れられない出来事は、NT会員を病気で亡くしたことです。彼女は、女性会員のリーダーとなって会を牽引し、時に弱気になる私を叱咤激励してくれたひとりでした。100回記念例会の翌年5月に還らぬ人となりました。しかし、彼女の遺した言葉のひとつひとつが、我々の心の中に優しい笑顔の想い出とともに、深く刻み込まれました。

彼女の例をとるまでもなく、人命というものは、ある意味「朝露」のようなもので、朝会っても、夕べは「計る」ことができません。「今生これ限り」と思うと人間はふざけた心、雑念を脱落して「真心」が現れるそうです。

それが、一期一会の精神だと言われます。

その精神がまやかしでないことは、この倶楽部の28年間という年月を通じた交流の中で、私たち自身が、出会いの喜びや別れの痛みとして経験してきたことです。

私たちの前に線香花火のように小さく輝き現れて、そして早世した貴女
70歳を目前に還らぬひととなった彼とは、ホテルの地下のバーで毎夜、熱く語り合いました
辛い時に私を勇気づけてくれた貴方も、あっという間に逝ってしまいました

それを裏付けるのに象徴的なのは、20周年記念例会を迎えるにあたり実施した『あなたが考える”一会倶楽部の魅力”とは』というアンケートに応えてくれたMW会員の長文のこのメッセージです。

【金原さんへ】2013/09/11

一期一会の精神、です。

拝読し昨日から自分なりに色々考えていました。
長文になりますのでどうぞお風呂上りにお読みください。
ってこんな事を書くから長文になるのです・・・お許し下さい。

主催者であり兄キでもある金原さんに恐れながら申し上げます。
遠慮していたのでは自分自身、せっかくの投げていただいたボールを受け取らない様な気持ちになるからです。

ですので釈迦に説法と知りつつ、また失礼を承知ですごく失礼な事を書いてボールを打ち返えそうと思います。

金原さんが本当に「一会倶楽部正会員に会の将来をアンケート調査する」と言う意味でこちらを発信されていたならば、以下は無意味なザレゴトです。すっ飛ばしてください。お読みいただく場合どうぞオブラートにくるんでお受け取り下さいね。また、嫌いにならないでくださいませ(笑)。

Mよりの私信。あるいは、つぶやき。

実は私は心配しておりました。
この場でそれを解消しようと思います。
心配の理由はふたつ。ひとつ目は会員数増大の問題です。

あえて、問題と言ったのは、20年ぐらい続いている平均参加者20数人ぐらいの交流会が、いきなり50人超はあたり前の交流会になってしまったからです。増えたから良い、悪いと言う事じゃありませんよ。

ご存知の通り一般的に「はやり」には「すたり」があり、「バブル」は「崩壊」するものです。心配の真意は一会倶楽部がfacebookとのカップリングにより“バブル化”していると感じたからです。時間の問題でその先に待つものは言わずもがなですので。それではあまりに勿体ない。

ではどうするか。
一会倶楽部を数年前の状態(参加会員が20数人の交流会)に戻すか。あるいはこのまま流れに委ねて会員増強を進めるか。バブル→崩壊などと言いつつ矛盾しておりますが、「一期一会」と言うポリシーが一会倶楽部の最大の特色であることは言うまでもありません。

現在の様な毎月満員御礼の一会倶楽部であっても「一会する」事を一会倶楽部側から「拒絶」してはその精神から外れていると思います。
ここはあえて流れに身を委ねましょう。

だって、私が思う一会倶楽部の最大の魅力は、迎えるメンバーは来たい人にはいつでもおもてなしの心を忘れずに、初めて参加する人はこの出会いを忘れずに、互いに今日得た縁を喜びに感じることなのですから。

と言っている私ですが、自分の実力以上な無理をせずに、なるべく着いたテーブルを離れず偶然に同席していただいた方々と数時間を過ごす様にしています。

これは人見知りで、なおかつナカナカ顔を覚えられない自分の弱点のせいでもあります。わざわざ私の席に来ていただいた方には非常に恐縮ですが、すみません、としか言えません。
すみません。

でも自分が心が疲れていやにならない程度(これがムズカシイ・・・)に軽薄にご挨拶するよう努力はしています。思いやりの心は常に持つように会に望んでおりますよ。
そう見えないのが残念なのですが。

次に、金原さんにおんぶにだっこ状態の問題です。
金原さんはたびたび「一会倶楽部は私のライフワーク」や「会を運営するよろこび」と発言されておりますが毎月毎月この人数をひとりでサバクのは人間である以上無理だと思います。

私、異業種交流会とは「駅」だと思います。
この年齢で、ありがたい事に数々の有名な交流会に参加させていただいており、中には(奇跡的に)責任ある立場になっている会も少しあります。

そこで学んだ(良い)事を備忘録的に箇条書きすると、まず精神論としては、1.会は楽しくなければいけない、2.会は楽しくないと思っている人を作ってはいけない、3.強く学ぼうとしたり学ばせようとしない事です。

運営の仕方としては1.思い切って会則=絶対的ルールを作り、2.運営者がスーパーバイザーとなる事です。(運営者とは、つまり会長や主催者、代表幹事etcの事です)。運営者がやる気を失ってる会はすぐに消えて無くなります。会則は、つまり運営者の逃げ道です。

幽霊会員の首を切ったり、会場の予算を値切ったり、我侭な会員のスケジュールを聞いたり、慶弔問題であったり選挙活動に利用されたり、名刺配りが趣味な方が混じって来たり、くっついたり別れたりと運営者は泣きたいぐらい心は疲れていますよね。やる気を維持するには運営者に絶対的な権限(会則と書きましたが)が必要不可欠です。

その上で「駅」の話に戻ります。
異業種交流会は本当にたくさんあり、それぞれ個性があります。いくら同じ人が集まってもその会の個性はそれぞれ独特です。ですので交流会は「駅」だと思うのです。そこには駅を利用すると言う目的の人々が集まります。大きさも、デザインも、集客も違います。そこに優劣は存在しません。だって駅ですから。

そして参加者はその駅を利用する乗客です。
利便性が良ければ何度も利用するし、逆に悪ければ他の駅を利用するでしょう。当たり前ですし仕方のない事です。乗客が一番集まる時、イメージすると電車がホームに到着する時が交流会開催時期です。ごった返す時間もあれば閑散とする時間もあります。
そんな中で駅は粛々と駅である使命を続けなければなりません。

その中で大切なのが乗客にキップを売る係り、乗客を案内する係り、乗客を待たせる係り、そして必ず運営者がならなければならないのがそれぞれの係りを統括する役目が駅長です。

乗客と、係りと、駅長が駅を作るのだと思います。
やる気がある係りがいればいるほど駅が良いものになるのは当然の事ですし、会則により、乗客から“やる気ある係り”を儲けるような仕組みを作らなければ結局は良い駅にはならないと思います。

今の一会倶楽部は水戸駅に急に新宿駅並みの乗客が押し寄せている(ホント失礼な事ばかり書きますねえ。すみません)状態だと思います。
乗客のひとりとして駅を良くする様、書いてみました。推敲無しですので、言い過ぎや乱文は承知の助で、謝ります。ごめんなさい。

(中略)

「一期一会とは」と考え、調べていたら下記の坂村真民の詩が出てきました。ブログに書いている人もいたので、良いんじゃないかと思い転載します。内容はボクの駄文とは大違いで、素敵です。


一期一会   詩:坂村真民

思いもかけない人と出会い
思いもかけない人の手を握り
一期一会の喜びと
一期一会の悲しみをする
時には人ではなく
木であったり
石であったりもする
そして時には人よりも
木や石の方が
もの言わぬだけに
無限の感動を覚え
涙のにじむことがある
無常といい
永遠といい
命のやりとりのせつない尊さよ

いつもお洒落でシャイなMW会員

数年を経て何度読み返しても、俱楽部に対する熱い愛情が伝わります。

昨今はまた、新型コロナウィルス感染症が、私たちに有無を言わさぬ変革を迫っています。

永い年月を経た主宰者としての率直な感想を申し述べるならば、このコロナ禍に関わらず、私たちが、その時代その時々に合わせて変わってこなかったならば、こんなに長期間の継続は無かっただろうということです。

・・・・・・・・・・

終わりに

最後にマクドナルドコーポレーション創業者 レイ・クロックの言葉を記して、「誕生秘話」を閉じたいと思います。

やり遂げろ。この世界で継続ほど価値のあるものはない。
才能は違う。才能があっても失敗している人はたくさんいる。
天才も違う。恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。
教育も違う。世界には教育を受けた落伍者があふれている。
信念と継続だけが全能である。

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』は、あなたの人間形成と自己実現を支援するステージです。そこでは、ただ無為に待っていても何も始まりませんし、誰も何もしてくれません。あなたの能動的な姿勢だけが、出会った人々を、人生の友という人脈に変えるのです。

こころ強い味方、№2 会員のTKさん

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