「信念と継続だけが全能である」
暫し、私たちの交流会の誕生”秘話”にお付き合いください。
人脈をつくろう!!
1994年。当時、私は、茨城県水戸市を流れる一級河川・那珂川に架かる水府橋の袂にあったシティホテルの料飲支配人をしていました。
若く血気盛んで、周りとは同化したくない尖った性格をしていました。
料飲は、営業が獲得した結婚式や集会、宴会の施行を受け持ったり、レストラン・サービスを担当するサービスの帰結点、最後にホテルの評価を決める大切なセクションでした。
そんな係でしたが、新米支配人の私には、他人に与えられる仕事をこなす受身の癖がついた人たちの集まりであるかのように見えて、冷めた目で彼らを眺めていました。
もっとも一年後には、早々と任を解かれ、県南の小さな街の結婚式場を開業させる新たなミッションを与えられるのですが、この時期、私は「このまま会社の中の人脈だけで過ごしていたら、早晩、馬鹿になる」という、理由の無い恐怖にさいなまれていました。
そんなジリジリとした、いても立ってもいられない気分で毎日を過ごしながらも、かといって自ずからは動かずに、ひがなデスクで本ばかりを読んでいる、本当に困った奴でした。
ある時を境に「人脈をつくろう!!」という気持ちがあたまをもたげ、自分なりにあちこちと当っては見たのですが、現在とは違いインターネットや、ましてや、SNSなどというモノが存在も普及もしておらず、ライオンズとかロータリーとか、若輩の私などが相手にもされない旧来の集まりが、ただただあるだけでした。
一方、9年前に広告プロダクションを創業し、2年後には株式会社に改組した(当時)新進のグラフィックデザイン会社経営者のMO氏は、そんなとんがったホテル担当者の私を”クライアント”と持ち上げて、よく酒の場、つまりは接待へと誘ったものでした。
振り返るに、それはMO社長自身の”自分接待”であって、その楽しさと盛り上がりの異常さは、若い二人の未来への夢の発露そのものでした。
こんなに楽しい「場」を、二人だけのものにしておくのはもったいない!!という気持ちと、自分の飲み代ぐらいは自分で払い、対等に話しがしたいという私の気持ちと、「人脈をつくろう」という考えが合体するのに、多くの酒量を要しませんでした。
これが水戸に一風変わった交流会が誕生するきっかけでした。
はじめに着手したのは発起人集めでした。
私の中には構想があって、デザイン会社のMO氏、報道のSS氏、アーティストのTM氏、菓子製造会社のYF氏にそれぞれ声をかけ、色よい回答が得られました。ここにホテルマンの私を加えた5人が最初のメンバー、つまりは発起人となったのでした。
1994年10月27日、記念すべき第1回目の例会は、私の自宅で、女房の手料理で開催されました(参加者6名)。
爾来320回の例会を数える今日までの28年間、100回例会(2003/3)、15周年例会(2009/1)、200回例会(2011/8)、20周年例会(2014/11)、300回例会(2019/12)など、数々の節目の記念例会を無事通過しながら、月例会は連綿と続いて来ました。
『一会倶楽部』(イチエクラブ)の名称は第5回目の例会で決定しました(1995年3月29日於:旧・水戸プラザホテル・四川飯店、参加者10名)。
そもそも私は、40代の不惑世代が会を牽引して行くことになるのだろうという発会当時の思いから、「惑惑倶楽部」という名称を準備し、気合を入れてミーティングにのぞみました。
しかしこれは、SS会員によって即座に却下されました。ならばということで、SS会員に提案の番が回り、彼は「一月一会」という案を出して、これも皆の冷笑を買いました。
その後も何度も何度もやりとりが続き、一期一会というキーフレーズにたどり着きました。『一会倶楽部』案を出したのは、やはりSS会員でした。一月と一期の言葉の概念が変わるだけだったので、抵抗の無い思考手順のようでした。
一生に一回しか会う機会がないような不思議な縁「一期一会」から、我々もそんな出会いを大切にしようという願いが込められたこの名称案を、皆とても気に入りました。
こうして、はじめは5人だった会員は現在10倍の50人(最大時73人)にふくれあがっています。しかし、我々のスタイルを受け入れられずに、入会はしたものの去っていった方々、また、仕事や家庭の事情でやむなく退会した方々は数えきれません。
もともと会員数を増やすことが目的では無い会なので、入るも出るも自由なスタンスでした。
入会当初会員ナンバー23番だったTKさんは、出欠連絡ではいつも律儀に「23番TKです」と連絡してきたものです。そのTKさんの現在の会員ナンバーは2番で、現在は会を牽引する重要な位置にあります。
これだけを振り返っても、その入れ替わりようがお分かりだろうと思います。
一期一会の精神
長い継続の中で忘れられない出来事は、NT会員を病気で亡くしたことです。彼女は、女性会員のリーダーとなって会を牽引し、時に弱気になる私を叱咤激励してくれたひとりでした。100回記念例会の翌年5月に還らぬ人となりました。しかし、彼女の遺した言葉のひとつひとつが、我々の心の中に優しい笑顔の想い出とともに、深く刻み込まれました。
彼女の例をとるまでもなく、人命というものは、ある意味「朝露」のようなもので、朝会っても、夕べは「計る」ことができません。「今生これ限り」と思うと人間はふざけた心、雑念を脱落して「真心」が現れるそうです。
それが、一期一会の精神だと言われます。
その精神がまやかしでないことは、この倶楽部の28年間という年月を通じた交流の中で、私たち自身が、出会いの喜びや別れの痛みとして経験してきたことです。
それを裏付けるのに象徴的なのは、20周年記念例会を迎えるにあたり実施した『あなたが考える”一会倶楽部の魅力”とは』というアンケートに応えてくれたMW会員の長文のこのメッセージです。
数年を経て何度読み返しても、俱楽部に対する熱い愛情が伝わります。
昨今はまた、新型コロナウィルス感染症が、私たちに有無を言わさぬ変革を迫っています。
永い年月を経た主宰者としての率直な感想を申し述べるならば、このコロナ禍に関わらず、私たちが、その時代その時々に合わせて変わってこなかったならば、こんなに長期間の継続は無かっただろうということです。
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終わりに
最後にマクドナルドコーポレーション創業者 レイ・クロックの言葉を記して、「誕生秘話」を閉じたいと思います。
水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』は、あなたの人間形成と自己実現を支援するステージです。そこでは、ただ無為に待っていても何も始まりませんし、誰も何もしてくれません。あなたの能動的な姿勢だけが、出会った人々を、人生の友という人脈に変えるのです。