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「4℃」記憶の深い中で、いまだに踊っているもののひとつ

イチエクラブは、2018年から、東京と水戸でふたつの『一会俱楽部』(イチエ)を開催し始めました。

始めたのには、然したる理由はありませんでした。ただ、(当時)24年目に入った水戸の交流会の活性化を模索していた時、何気に、高校生の頃、実家の自宅の窓から、東京方面の空を眺め「あの空の向こうには、どんな夢があるのかなぁ!!」と、それこそ夢想していた懐かしい時代を思い出したのがきっかけです。

始めてみると、東京例会では、素晴らしい”師”との出会いや、40年振りの知人との再会などがあり、そこにアンテナを向けたのも、こんな場を求めていたからなのだと、改めて実感出来る機会となりました。

東京例会vol.1 2018/3/18 池袋
東京例会vol.9 2019/7/23 内幸町

こうした「夢」が実現出来るのも、地道に26年間も交流会を「継続」し(2022年で29年目)、なにより、それを支えてくださる参加者の方々がいてくださったからに他なりませんでした。

さて、その「東京例会」で、何十年か振りにお会いした方とはこんなお話をしました。

私は、20歳代前半のごくごく短い時期、東京・原宿の明治通りと表参道が交差するその裏道の、お酒屋さんがあったビルの2階、螺旋階段を昇った場所のフォトスタジオに、"ぼ~や"(カメラマンの助手のさらに見習いのような職種をそう呼んでいた)として、お世話になっていました。


当時から原宿は流行の発信地であり、原宿の交差点で「石を投げるとデザイナーに当る」と揶揄されていました。

まぁご多分に漏れず、私もデザイナー志望の端くれだったのですが、その時期は、グラフィックデザイナーよりも、コピーライターの方に興味が向いていました。

スタジオは原宿という場所柄、売り出し前の芸能人や、モデルさんなど、所謂「業界人」という“人種”の出入りがあり、田舎から出てきたばかりの私のような若者にとっては、高揚感を常に味あわせてくれる”異空間”でした。

同時期、原宿「同潤会アパート」に限らず、原宿近辺によくあったアパートやマンションの一室からは、個人のファッションブランドなどを立ち上げる人々が続々と出始めていました。

そのスタジオの建物の隣にあったビルの1階に、一間間口のジュエリー・ショップを開いていたのが「4℃」(ヨンドシイ)というお店で、そこのご主人は、"社長"と呼ばれ、頻繁に世間話をしにスタジオを訪れては、暇を持て余していました。

「同潤会アパート」撮影:裏辺金好さん

それから、長い年月が流れ、私は茨城県水戸市の住人となりました。

ある時、水戸市内の繁華街のファッションビルに「4℃」というショップを見つけ、心底驚きました。あの"社長"のあんなに小さかったお店が、こんなところにまで進出するほど大きくなったのかと。

これは、4℃のブランドコンセプト。

「4℃」氷が張った水面の底の温度を表す。唯一魚が生息できる、いわば「安息の場」でもあり、きびしい環境にあっての潤いそのものを意味する。1972年、ブランド「4℃」(ヨンドシイ)の誕生以来 ~

ここからは、私の空想と思ってください。そうでないと、かの商品のブランドイメージを傷つけることにもなりかねませんので。


確かに、あの"社長"がスタジオに遊びに来ていた時に、ショップ名の由来を尋ねると、そのようなことを言っていました。

そして、なかなか商売も大変なので、この「ブランド」を買ってくれる人がいれば、直ぐにでも売りたいんだ、というような話しをしていた記憶があります。このブランドの誕生年数と、私がそのスタジオにいた時期とも符合します。

有体に言うと、あのお店の創業社長は、本当にブランドを売ってしまったのかも知れません。その後、幾多の変遷を経て、ブランドは確実に成長を遂げ、いまや全国に商品を供給するまでになったと。

商標や商品名の始まりは、個人の嗜好や志向、思い入れを込めてつくられます。同じような時期に同じようなネームを考える方々は、日本中、世界中にたくさんいてあたりまえだと思います。

しかし、この”空想”は、表参道・原宿という地名の響きとともに、私の記憶のイメージの中で、未だに消し去ることのできない不思議な感触を持った”思い込み”のひとつとして、記憶の深い中で、いまだに踊っているもののひとつです。

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