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本が無性に買いたくなった

小さい頃から、本を読むのは好きだった。でもその頃は「趣味は読書です。」と言えば、清楚な文学少女みたいなイメージがあった。だから、言えなかった。

私の場合、いわゆる文学作品と呼ばれる類には関心なかった。赤川次郎とか横溝正史とかアガサクリスティー推理ものが好きだった。横溝正史なんかは、映像化されたものがたくさんあったが、私の中でできあがった貧相な「金田一耕助」像とギャップがあり、(耕助役された役者さん、みなさん立派な風貌な方ばかりなんですよね)あまり馴染めなかった。それに横溝正史が仕込んだエンターテイメントをじっくり楽しむには、やっぱり本が良い。

久々に日本で暮らすことになり、密かに一番楽しみにしていたことは、図書館通い。読みたい本をお金をかけずに好きなだけ読める。住民票もおいたので、早速、図書館の貸出カードを作った。私の住んでいる地域の市立図書館は規模が大きく施設もきれい。空間も広々としているので、長い時間いたくなるような心地よさ。
そのかわり、家の近くにあった小さい図書室がなくなった。そこは規模が小さく、いろいろと不便ではあったが、古本の匂い、そして雑多で手狭な感じが好きだった。なんだか温かく見守られている感じがした。

ということで、バスに乗って図書館通いをしている。以前から気になっていた山崎豊子や司馬遼太郎、食と旅をテーマにした本。そして最近ハマりかけている仏教関連の本だったり。料理のレシピ本も充実している。横溝正史も再読している。読む以前、図書館で本を眺めているだけで幸せだ。でも、「本愛」はそれだけでは収まらかなった。

本が無性に買いたくなった。

小さい頃の話。母親も読書好きで買い物のついでに本屋へ立ち寄ることが多々あった。おもちゃは駄々をこねても、なかなか買ってもらえなかったが、本だけは気前よく買ってくれた。だからか、本は欲しいと思ったら即買いという習慣がいつの間にか身についていたし、所有欲を満たしてくれた。

大学に入って、後輩の言葉に軽い衝撃を受けたことを覚えている。後輩は、まず図書館で本を借りて、それをもう一度読みたいと思ったら買うことにしているそう。そっか、ムダ遣いしなくていい。合理的だ。

現在、無職の私。そうしようと思ったが、上手くいかない。と言うのも、最近は、ブックオフやメルカリで安価で購入することができるから。好きな作家さんやテーマの本を見つけると、「次いつまた出品されるか分からない」という大義名分のもと(笑)ポチってしまう。お手頃な支出で所有欲を満たしてくれることもあり、最近のささやかな楽しみとなっている。

ちなみに、私は「モノの数だけ」ミニマリスト。本も一度読めば、再読なんかしない。だから分かっていた。それはいつか「捨てるか否か迷わせるモノ」になるということを。でも、買いたいのだ。押し入れの中にズラッと並んだ本たちを眺めていると何とも言えない充足感に満たされる。

以前、瞑想のクラスに通っていたことがある。当時私は「食への執着」がひどかった。瞑想中、「明日は何を食べようか。どこへ食べに行こうか」食べ物の沼に陥ってしまうことが頻繁だった。瞑想後、先生にこのことを打ち明けた。先生は一言「そういう時には、思い切りその沼にハマってみなさい」。

そのお言葉通りに、食の沼へドボン。それから、数年後の現在。「なぜあの時、あんなに食べることに執着していたんだろう」自力で変えようと思わずとも、いつの間に変わっていた。確かに、万物は無常だ!!
じゃあ、瞑想は上手くいっているのか?いや全然だ。「あの本買いたいなあ。この本はどこで買おうか」本買いの沼にハマってしまう。

何だろう。この内側から突き動かしてくるこの欲求って。でも、それを乗り越えると、何か心のつっかえが消えるような感じがする。いつかこの欲求も無くなっているはず。だから今は思い切り「本買いの沼」にハマることにした。





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