だって人間だもの


魔の月曜日を乗り切り、チューズーデー。
振り返ってもまだマンデーしか見えない。
週末までは長い道のり。
ファーファーウィーケンド。

そんな中、救世主現る!いや、救屁主か!

今日も雨。憂鬱な気分を吹き飛ばそうと、
お気に入りのレインシューズで出勤。
サイズが大きめのそのレインシューズ。
歩くたびに軽快な、そしてどこかで
聞いたことのある音がする。ぷっぷっ。

頭の中である言葉が浮かぶものの、
言葉にはせず、心にとどめる。
が、その音を聞いた同僚が放屁という
ダイレクトな言葉を放つ。放屁 in 職場。
それにつられて、また別の同僚が
放屁合戦絵巻という言葉を口にする。
これぞ、放屁の連鎖!

放屁合戦絵巻。

それは、かの有名な関ヶ原の合戦のように、
屁で戦っているのである。
それも邪悪な色の屁である。

屁で猫を飛ばしたり、屁で嵐をおこしたり、
雪合戦のように、屁合戦したり、
絵巻の至るところに屁を放つ人間が描かれている。

しかも、その資料の保管先にも運命を感じた。

あまりのくだらなと絵巻物の屁の勢いで、
憂鬱なチューズーデー気分も
吹っ飛んでしまいそうなほどだ。
おそるべし屁のちから。

年代は不明だが、昔の人もこのような
とてもくだらないことを考えており、
そしてそれをとてもくだらない形で残しており、
それが後世の人々のとてもくだらない会話の中ででてくるという、
この人類の長い歴史の中で脈々と流れている
くだらないDNAに感動すら覚える。

昔の人も阿呆なことを考えたものだ。

話は変わり、この春電撃的な出会いを果たした森見登美彦先生。
先生のあの何とも言えないまじめに、
そして軽快なリズムのくだらなさ。
その森見先生が選んだあの文豪太宰治の
少し変わったお話しばかりを集めた短編集を今読んでいる。

太宰先生といえば、物憂げな表情が思い浮かび、
いつだかに読んだ人間失格のイメージが強かった。

だが、作品の中の太宰先生は、森見節を
思わせるくだらなさ。

職場では、放屁合戦絵巻の話をし、
家に帰ればはじけた太宰先生と本を読む。

そんな今日は、なんだか、くだらないことに思いを巡らせる自分を
肯定されているかのような感覚にさえ、陥った。

難しい顔や気難しい顔をしていても、
人間みんな考えることは同じ、
くだらないことが好きなのである。

だって、人間だもの。

相田先生も言ってます。

人間とは、そういうものなのだ。
くだらなさから学びました。


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