コーズ・ストーリー 第二話 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
キャリーケースの中身を一通り見渡して、琉乃は溜息をつく。
「一国の主(あるじ)にたてつくなんて、しかもわたしは医師免許を剥奪され
たような人間なのに…
あ―‼ どうしよう… 」
かちゃかちゃ、と漁る音と共に先日から琉乃の脳裏にはある事柄があった。
「千年以上前の大地震があった、って言ってたわよね。
恐らくそれがわたしがここにタイムスリップするときに起こった地震と仮定するとなると、あの時がいまこの世界が構築されるタイミングだったといえるわね」
「お前は独り芝居が趣味なのか? 」
琉乃が振り返ると、琉乃の部屋に壮馬と後ろに大石が携えていた。
「お疲れ様です」
「そうじゃないだろう!
お前の部屋に男が勝手にいるんだぞ、怒れ‼ 」
「どうしたんですか? 」
「まったく、お前というやつは!
何度もノックしたのに気付きもしないで!
わかっているのか、事の状況を! 」
「そんな怒りんぼ、知りません」
「~っ⁉ 」
見かねた大石が間に入る。
「まあまあ壮馬さま。琉乃さま、一体これからどうするおつもりですか? 」
「大石さん、この日本の都といわれる領土はどの位の規模なのですか? わたしが入れるところとそうでないところの把握がしたいのです」
「少々お待ちください」
大石が自分の部屋へと戻り、琉乃の部屋へと戻ってきた。
「こちらが現在の日本の都の地図です」
「関東甲信越から東海、西位の規模ね」
「申し訳ありません。そのような知識すら我々にはございません。
私たちはこれが日本・都として在るものだと思ってまいりました」
「いえ、それはそれとして大切なことだと思います。
ありがとうございました」
「俺はこんな茶番付き合ってられんからな! 」
壮馬はドアをばん、と閉めて行ってしまった。
「申し訳ありません、琉乃さま。
壮馬さまも子供っぽいところがあるようで…
なんというか、その…
あのような形で民の面前でやられてしまいますと壮馬さまが悪者のような
立場になってしまうといいますか… 」
琉乃はふっ、と笑った。
「大石さんは本当に忠誠心が高いおひとなんですね」
「いえ、私なんてそんな… 」
「大丈夫ですよ、わたし自身に争いの意思はありません。
それに、今までの礎があるのはあの人のお力があってのことなのでしょう? 」
大石は頬を赤らめ微笑んだ。
「はい。誠にございます」
琉乃は大石が帰ったあとに地図を見ながら大体の目星をつけた。
「大体この範囲くらいかな… さて、行きましょうか」
勿論、周りには誰もいない。
琉乃は筆と紙をもって出掛けた。
この琉乃が住んでいる家、部屋は保険省庁一帯にある。
いわば国の機関の人間が仕事をし、生活をする一帯を指す。
ここからの距離を大石からもらった地図をみて目星をつけた距離のところに出向いた。
処刑所に集まった民から診療を受けたい人を集い、住所を書いてもらい、その紙を頼りに琉乃は一軒一軒みてまわった。
そして紙に赤、黄、緑と書いたものを家々に置き、地図にその色を書き、それを繰り返す。
それから大体の目星をつけた距離を出歩き診療の必要の有無を聞いて回り、怪我や体調の程度に合わせて色をつける。いわゆる簡易的なトリアージである。
それを数日間続けた。
「肩が張るな… 」
肩を回して琉乃は地図上の色を判別した。
「しかしずっと研究職だったわたしが現場に出るとは… 不安が募るわ。
けれどもうあとには引き下がれないわ。
やるだけやってみせる! 明日から実務ね」
朝早くに琉乃は目を覚まし、森へと散策に行く。
その様子を壮馬は窓からみていた。
琉乃は早々に家を出て、赤のついた家に行き、診療・手当をする。
そして次に黄のついた家、そして更に次として緑のついた家へと行き、診療・手当をした。
幸いなことに重い病状をした民はいなかった。
***
壮馬は省庁にいた。
他の閣僚との連携は程よくストレスがかかる。
人間関係は社会の位については嫌なほどついてまわる。
「以上、法案は現行の通り行う。今日はこれまでだ」
閣僚たちが立ち上がり、壮馬が会議室を退出しようとした。
遠くで閣僚の小さな声が壮馬の耳に入る。
「若いやつが、本当にわかっとるんか」
「民からの信頼も薄らいできている。焦っている証拠だな」
ばたん、と壮馬は大石を隣に控え会議室のドアを閉めた。
省庁から出てきた壮馬は、距離のある間を世話しなく小走りの琉乃に気付いた。
遠目で見る、壮馬の瞳に映る琉乃はなんというか、伝う汗の良い意味を教えてくれていた。
「壮馬さま」
「なんでもない。あいつも他の者と一緒だ。
俺をきっと、無能とでも考えているのだろうな」
「… 壮馬さま」
壮馬が咳をする。
「壮馬さま、大丈夫ですか? 」
「ああ、なんでもない」
壮馬の足元に男の子が近寄って来た。
優弥だった。母親が慌てて優弥に言って聞かせる。
「だめよ、優弥。申し訳ありません、壮馬さま。去ります」
大石が話しかけた。
「無事に毎日を過ごせていますか? 」
母親が恭しく頭を下げる。
「ありがたいことでございます。
あの… 琉乃先生から聞きました。
壮馬さまは最初から私たちを処刑するつもりはなかった、と。
壮馬さまは琉乃先生を試したのだと…。
琉乃先生が忙しい傍ら我が家へときてくださいまして、頭を下げてくれました。
全て自分のせいだと、許してくれと。
私たちはそんな風に言ってもらえるような立場ではないのに、琉乃先生は一生懸命に話してくれました。
そしてお爺さんのこむら返りも治してくれました。
私はこの国に生まれたこと、そしてこのような国の主さまのもとで生きていることに感謝しました。
この子を始め、我が家がお世話になりまして… 本当にありがとうございます」
母親は一礼し、優弥と共に去って行った。
壮馬は先程いた琉乃を距離の向こうに探したが、琉乃の姿はそこにはなかった。
***
夜、琉乃は風呂から上がりベッドの上で瞑想をしていた。
「段階的に行わなければならない。
現段階でのことは大体終わった。
さて、次のこと、そしてそれから次のことを考えねば… 」
音がする。
琉乃の部屋の家のドアがノックされた。
ドアを開けるとそこには大石がいた。
「大石さん、こんな時間にどうしたんですか? 」
「琉乃さま、夜分遅くに申し訳ありません。
実は、壮馬さまが体調を崩してしまいまして… 」
琉乃と大石は壮馬の家へと訪れた。
「壮馬さま、具合どうですか? 」
壮馬はベッドから起き上がるが身体に重みがある怠さを隠せていない。
「大石、余計なことをするな… 」
「ですが壮馬さま… 」
「一晩寝ればすぐよくなるから、大丈夫だ。そういうわけだ、琉乃。帰ってくれ」
「失礼いたします」
「おい、聞いているのか⁉ 」
琉乃は壮馬の首元を触診した。
「おい、余計なことをするなと言っているだろう」
琉乃は自身の額を壮馬の額にあてた。
壮馬は顔をさらに顔を赤くして硬直している。
「38度以上はあるわね、おとなしくしてなさい。食欲はある? 」
「昼食は飲み物だけしかとってません。
夕食も食欲がないと言ってなにも口にしていません」
「大石、それ以上は言うな… 」
ベッドの中で絞りだすように声を出す壮馬にはこの部屋の中ではもう権限はないようだ。
「料理人に頼んでお粥を作ってもらうことは出来るかしら? 」
「厨房は既に終っておりまして、料理人たちも帰宅してしまってます… 」
「そう、わかったわ。とりあえず、水分とりましょう」
壮馬はもう抗う気力がなかった。
「口開けて… 扁桃腺が腫れているいるわね。
恐らく風邪ね。
ちゃんと休息をとった方がいいわ。
大石さん、明日、この人、仕事お休みすることできる? 」
「調整します。壮馬さま、休んでくださいませ」
「おい、仕事を休むわけにはいかない。俺は明日もいつも通り仕事をするぞ」
「休むのも仕事のうちよ」
「… しかし… 」
琉乃は壮馬の立場を考えた。
そうだ、ちょっとやそっとじゃ休めない立場の人なのだ。
「家でデスクワークなら体調みながらやってもいいわ。
でも基本は休むことをベースにね。
休むときに休まないとあとあとに長引いちゃうから」
「… ああ、わかった」
横になった壮馬の額に琉乃は冷やしたタオルをあてた。
「大石さん、わたしが看てるから大石さんは自宅に戻ってもらっていいわよ」
「しかし… 」
琉乃は笑顔で答える。
「大石さんは明日、この人の分も頑張らなきゃいけないんでしょう?
今日の分の疲れ、ちゃんと睡眠とって休まなきゃ大石さんもダウンしちうわ。
大丈夫よ、わたしがついているから」
「痛み入ります。壮馬さま、それでは私はこれで失礼いたします」
大石がその足で壮馬の部屋を去ると、琉乃は枕もとにやってきた。
そして頭を撫でる。
「… なんのつもりだ」
「ゆっくり休める、おまじないです」
「子供騙しだな」
「じゃあ、騙されてみたら? 」
撫でる手に心地よさを感じながら、壮馬はそのまま眠りにつく。
そんな壮馬を見守りながら、琉乃はそっと壮馬の部屋を出た。
それから1時間半位して、壮馬は薄っすらと目が覚めた。
良い匂いがする。
「起きた? お腹空いたでしょう」
壮馬のお腹がタイミング良く鳴った。
琉乃がくすくす、と笑っている。
「お粥と根菜の煮物作ってきたの。
お口に合うかどうかわかりませんけど、どうぞ」
椀の中に盛られたそれらはとても美味しそうに香っている。口に持っていくと、想定以上に美味しかった。
「これ、お前が作ったのか? 」
「ええ、厨房を勝手に借りちゃったんだけどね。
明日大石さんに言っておくわ。
冷蔵庫の中のもの、勝手に拝借しちゃったって。それと、これも」
琉乃は壮馬の枕元に氷枕を置いた。
「これ、していた方が治りが早いわ」
壮馬はあっという間にたいらげた。
琉乃は壮馬に薬を渡した。
「風邪薬よ。数日間は服用したほうがいいわね」
「粉薬は苦手なんだ。… 苦いだろう? 」
「子供じゃないんだから、ほら、さっさと飲んで」
「飲まなくても休んでいれば勝手に治る。薬は要らない」
「あのねぇ… 病気を安易に考えてはいけないわ。肺炎にでもなったりしたらどうするの? 」
「大丈夫だ、ご飯も食べれたからもうよくなる一方だ」
琉乃は溜息をついた。
そのまま粉薬を水と一緒に口に含み、壮馬の口に移した。
壮馬は目を見開いて琉乃をみた。
「飲み込んで」
言われるまま、ごくり、と壮馬は薬だけでなく全てを飲み込んでしまったような気がした。
「次からは自分できちんと飲みなさい。OK? 」
こくん、と静かに壮馬は頷きそのまま床に入る。
琉乃は壮馬の食べたあとの食器を片付け、そのまま外へ出ようとした。
壮馬はその気配に気付き、ベッドから起き上がった。
「行くのか? 」
「… 寝てた方がいいわ」
ドアの閉まる音と共に琉乃は行ってしまった。
壮馬は消化しきれないものを抱きながら布団にくるまった。
20分ほどたってから、ドアが開き琉乃が現れた。
「部屋に戻ったんじゃないのか? 」
「食器洗ってきたの、そのままに出来ないから」
琉乃の手には紙と筆があった。
「寝ていいよ。わたし、ずっとここにいるから」
「… ずっと、か? 」
「風邪ひくと、寂しくなるの知ってるから」
「… 俺はそんなことには慣れている」
「… そう、わたしはずっと慣れない。この先もずっと、慣れないと思う」
「ここにいたければ、ずっといればいい」
「… ありがとう。机、借りるね」
壮馬は布団をかぶり、琉乃に背を向けた。
そのあとで、琉乃の方に身体を向けた。
薄ら目でみると琉乃はそんなことお構いなしに筆で書を書いている。
心地よい空間で眠りにつくのはいつからのことだろう、と思いながら壮馬はそのまま夢の中にいざなわれていった。
この数年間、忙しくてゆっくり夢をみることなんてなかった。
… 夢をみるなんて何年ぶりだろう。
窓からは陽の光が強く入ってくる。
琉乃はベッドに寄り添いながら寝ていた。
壮馬は琉乃の髪の毛をそっと、撫でた。
「俺の看病をしていたんじゃないのか? 」
口角の上がることに少し抵抗を覚えて壮馬はベッドから起き上がった。
机の上には琉乃の書きかけの書があった。
そこにはこの数日間の琉乃が診療をした患者の診療記録が記されてあった。
「現在の診療記録か。過去の記録は… してないのか」
壮馬は再び琉乃を一瞥した。
そして琉乃を抱きかかえ、ベッドに寝かした。
良い匂いに誘われて、琉乃は目覚めた。
何故自分はベッドの中にいるのだろう、と不思議に思いながら起き上がると壮馬が呆れ顔で琉乃を見下ろしていた。
「やっと起きたか、寝坊助め」
「あれ? わたし、いつの間に… 」
寝具を見渡しベッドから出るとテーブルの上には朝食が置かれてあった。琉乃の分はいつもの朝食だったが、壮馬の分は昨日の琉乃が作ったお粥と煮物が置かれてあった。
「それ… 」
「作り置きしてくれていたんだろう? 冷蔵庫の中に入ってたぞ。ほら、顔洗って来い。待ってるから」
「… はい」
顔を洗い、リビングに戻ると壮馬が椅子に座り、琉乃を待っていた。
「食べるぞ」
「はい… 」
「いただきます」
壮馬と琉乃の声が合わさる。
琉乃は食べながら壮馬をみた。
壮馬はなにも言わず琉乃の作ったお粥を食べている。
「体調、どうなの? 」
「熱はだいぶ下がった。少し微熱があるぐらいだな。あとまだ喉が痛い」
「そう。今日、仕事は? 」
「お前の言われた通り家で事務仕事してるよ。
さっき大石にもそう伝えてきた」
琉乃は冷やかしながら言う。
「美味しい? 」
「ああ、上手い」
「そんなにストレートに言われると返し方がわからないわ」
「上手いものを上手いと言ってなにが悪い? 」
「いいえ、悪くありませんわ」
琉乃と壮馬は顔を見合って笑う。
朝食が終わり、琉乃が片付けていると壮馬が風邪薬である粉薬を服用していた。
その姿をみていた琉乃に壮馬が気付く。
「なんだ? 」
琉乃はくすくす、と笑いながら片付けを続ける。
「なんでもないわ」
壮馬は顔を赤くして少し不機嫌になった。
「なんだというのだ… まったく。俺は言われた通りにしているだけだ」
厨房に皿を片付けにきた琉乃に料理人たちが迎えてくれた。
「これはこれは、琉乃先生。
こちらから片付けに行くべきところを持ってきて頂きありがとうございます。こちらで受け取ります」
「ごちそうさまでした、美味しかったわ。
あの、蜂蜜と檸檬ってあります? 」
「ええ、ございます」
「頂戴してもよろしいでしょうか? 」
「もちろんでございます」
琉乃は厨房で少しとどまり、また壮馬の部屋へと戻った。
部屋では壮馬は既に仕事に取り掛かっていた。
琉乃はテーブルに湯立ったマグカップを置いてそのまま出ようとした。
「これはなんだ? 」
「わたしに気付いてたの?
入ってきたとき見向きもしなかったから仕事に集中しているのかと思って、わざと声を掛けなかったのよ。
蜂蜜檸檬よ。のどに良いから、仕事の傍らに飲んで。
わたしも診察があるからもう行くわ」
「琉乃」
「なに? 」
「その… 昨晩は… 助かった。
その、なんだ… なんというか… まだ、熱もあるし、症状もあるんだが… 」
「仕事が終わったらまた来るわ。
そっちも、仕事していいけれど無理はしないようにね」
「ああ、わかった」
琉乃は壮馬の部屋を出た。
少し笑って、自分の家へと向かった。
距離は数メートルしかない。
壮馬は部屋でPCを使い文章を構成する。
瞬間、陽が強く照ったことに気付き、窓の向こうを一瞥するとまた、強く照った。
琉乃は部屋で昨晩まとめた診療記録をまとめ、家に保管していた。
「今日はフォローアップの患者のもとへと行かなくちゃ」
保管してある棚に、1か月ほど前に書した紙を手に取った。
「医療の歴史… か」
書した紙を保管棚に戻し、琉乃は診療へ出掛けて行った。
***
森の枝々と葉の隙間から零れ落ちる陽に目をかすめた大石は、無造作に植えられた植物を見て、近くの木に記をつけた。
「ここもですか。松田くん、地図に印をつけなさい」
「はい、承知いたしました」
「保険省の事務次官もこんな仕事を請け負うのですよ。
減滅しないでくださいね」
「減滅だなんて、そんな…。
国の重要な任務のひとつと捉えております」
「そうですね、重要な任務のひとつ、ですね…。
私がこのようなことをしている間にも琉乃さまはひとり、またひとりと救っているのでしょうね」
「大石さま、あの琉乃という女性はなんなのでしょうか?
私はこのような職務をしております故、矛盾を感じてしまい腹立たしい限りでございます。
それはあの琉乃という女性に対して、そしてなによりも自分自身に対してでございます」
「松田くん、それはなによりも人間として正しい反応です。
どうか自身を認め、否定せぬように」
「はい、承知いたしました」
地図に記をつける松田を後目に大石はいぶかし気にその姿を見守る。
松田はいかにも国に仕えるべきしてこの職務に従事しているように大石には映る。
松田は愚直なほどに好青年だった。
さて、どうしたものか― そう大石は内心に抱き、遠い空を細くみた。
***
夕刻になると、琉乃は仕事を終え帰宅していた。
この家に暮らしてから自身の身の上を民に知られてからも琉乃は三食料理人から作ってもらっている。
大石からはこの管轄で暮らしているからには例外は作らない方針を伝えられていた。
琉乃は箱一杯のものを持って厨房へと訪れた。
「料理長さん。これ、診察した患者さんから頂いたの。
よかったら使ってください」
箱を置いて、琉乃は中の食材を見ながら言った。
「これは琉乃先生、ありがとうございます。
また一品いやそれ以上に皆さんに振る舞えますよ」
「皆さんも召し上がってくださいね。
いつも美味しいお料理、ありがとうございます」
「ご丁寧に、どうも」
「今日のお夕飯、出来ていたら一緒に持って行ってもよろしいかしら? 」
「琉乃先生の分は、壮馬さまに言われて壮馬さまの部屋に一緒に運んでございます」
「え? そうなの? 」
トントントン。
壮馬の玄関を琉乃はノックする。玄関が勢い良く開けられる。
「遅いぞ」
「診療が長引いた患者さんがいたから…
あの、わたしのお夕飯こちらに運ばれているって聞いたんだけど」
「早く入れ。俺は待ちくたびれてぺこぺこだ」
「え…? … はい、おじゃまします」
テーブルには壮馬と琉乃の二人分の料理が並ばれてあった。
「手洗って来い。それから食べるぞ」
椅子に着席して、洗ったばかりの手を合わせて合掌する。
「いただきます」
「今日の診療はどうだったんだ? 」
「今日はフォローアップを重点的に行いました」
「なんか仰々しいな。いつも通りでいい」
「これがいつも通りです。それよりも、体調どうなんですか? 」
「全然いつも通りじゃない。
俺に平気で弁を立てる女だろう、お前は。
体調はいいぞ。お前の薬が効いている」
「そう、それは良かったです」
「なんか怒ってないか? 」
「~⁉ そんなんじゃないけれど… もう、いいわ。仕事は出来たの? 」
壮馬は笑顔になる。
「ああ、休み休み出来たから身体にもいいし、仕事もなにもしないよりは少しの進捗があってよかったぞ」
「そう、それは良かったわね」
「蜂蜜檸檬、美味しかった。
蜂蜜と檸檬の割合がちょうど良くてな。
あれから厨房に行っておかわりを頼んだんだがお前と同じ味にはならなかったんだ。
あとでまた作ってくれ」
「はい。国の主の仰せのままに、ね」
「それよりも、琉乃。
お前、俺のこと貴方と呼ぶだろう?
おれはこの国の主だ。貴方という名ではない。
北山壮馬という名があるんだ」
「なんて呼べばいいの? 」
「壮馬、と呼べ」
「呼び捨てになんて出来ないわよ。国の主でしょう? 大石さんの目が光ってるわ」
「じゃあなんて呼ぶんだ? 」
「きちんと皆さんと同じように壮馬さま、と呼ぶようにするわ」
「へ―、そう… 」
「なに怒っているのよ? さっきから変よ? 」
「怒ってもないし、変でもない! 」
「… そう、なら良かった」
「… 」
ふたりは食事を済ませ、琉乃は食器を片付けに行ったついでに蜂蜜檸檬を作ってまた壮馬の部屋に戻った。
いまだに壮馬はむくれてなにも話そうとしない。
琉乃は静かに溜息をついた。
「蜂蜜檸檬、作ってきたわよ。ここに置いておくから」
「… 」
琉乃は自分の分の蜂蜜檸檬を口に運び、無言の中、隣で壮馬もそれを口に運ぶ。
「… やっぱり上手いな」
「それは良かったです、壮馬さま」
「… 」
また無言になる。琉乃は壮馬に近づき、手に持つ蜂蜜檸檬を取り上げ、テーブルに置いた。
「なにをする? 」
「いいから、後ろ向いて」
琉乃が半ば強引に壮馬の身体を後ろ向きにした。
そして琉乃は壮馬の肩を揉み始めた。
「気持ちいい? 」
「ああ、いい気分だ」
「毎日が張り詰め過ぎなのよ。たまにはマッサージしないとね」
そう言って琉乃はマッサージの範囲を上へと持ってきた。
「どこをマッサージしているんだ? 」
「ヘッドマッサージよ。頭にもたくさん坪があるのよ。気持ちいいでしょう? 」
マッサージの振動と壮馬の身体も一緒にいざなって、波を起こしていた。
気持ちの良い無言の時間が過ぎていく。
「蜂蜜檸檬もやっぱり上手いな。
喉にいい。ただ声がまだ通らない感じがするんだ」
「… 歯、磨いた? 」
「いや、まだだ」
「磨いてきて」
「なんでだ? 」
「いいから」
壮馬は頭を抱えて洗面所へと向かった。
洗面所から戻ると、琉乃はプラスチックグローブをして壮馬を待っていた。
「こっち来て」
「? 」
「私の膝に頭のせて、寝て」
「はあ⁉ 」
「いいから」
琉乃の強い姿勢に抗う事も出来ずに、壮馬は言う通りにした。
「口開けて」
壮馬は抵抗する術もなく口を開けた。
「舌を左側に寄せて」
「なにをするつもりだ? 」
すると琉乃は壮馬の右側の舌根をぐりぐりとマッサージを始めた。
「痛いぞ! 」
「痛いのは凝り固まっているからよ。続けるわよ」
舌根のマッサージを続けていくと壮馬は次第に気持ち良くなっていくことに気付いた。
「気持ちいい? 」
「ああ… 」
「次は逆。右側に寄せて」
壮馬は素直に言うことをきく。心地よさに委ねていた。
「はい、終わり。起きて」
むく、と壮馬は起き上がるがまだ心地よさに浸っていた。
「あ―、あ―… なんだか声の通りがいい気がするぞ」
「そう、良かった。わたし、もう行くわね。おやすみなさい」
「… まだ喉痛いし、また熱がでるかもしれないんだが」
「大丈夫よ、とっくに山場は超えているわ。あと二・三日薬飲み続けてね」
「~⁉ 待て。これを忘れているぞ」
そう言いながら壮馬は琉乃にPCを差し出した。
「これ、ここに一台しかないから貴方しか使っちゃいけないんでしょう? 」
「また、貴方と言ったな」
「壮馬さま、申し訳ありません。でもこれは受け取れないわ」
「ここで貴方、と言ったお前に罰を与える。ふたりの時は壮馬、と呼べ」
「そのような呼び名、大石さんから怒られるわ」
「強情な奴だな。これはお前にあげるんじゃない。俺とお前で共用で使うものとするんだ」
「共用でこのPCを使わせてくれるの? 」
「これでお前のアウトプットをすればいい。大石の事はなにか言われたら俺が言うから大丈夫だ」
「… ありがとうございます。共用で使うって、なにか設定ってしました? 」
「設定? 」
「少し開いてもいい? 」
そう言ってPCを立ち上げるとすぐにデスクトップへと移り変わる。
琉乃はその場ですばやくPCを操作する。
「暗唱番号の設定をしたいから、ここにキーを入力して」
「暗証番号? 一体なにをしている? 」
「いいから」
琉乃はPCから少し離れて背を向けた。
壮馬は言われるままにそのキーを入力した。
「終わった? 」
「ああ、終わったが… 」
「じゃあ今度はわたしの番ね。あっち向いててください」
壮馬は琉乃に習い背を向けた。
「いいわよ」
「なにをしたんだ? 」
「一緒の画面に入ると情報が露見されちゃうでしょ。
そっちもそっちで業務上のこととか知られたくないこともあると思うの。
だからそれぞれで暗証番号で自分のPC画面に入れるように設定したの。
これなら各々の情報を守れて安心でしょう」
「こういうことが出来るのか」
「どういう風に共用で使えばいいですか? 例えば時間帯とか… 」
「俺は昼間は仕事で使いたいんだが… 」
「ではわたしは夜に使わせていただいてもよろしいでしょうか? 」
「なんか、いつも以上にかしこまってないか? 」
「いえ、気のせいです」
琉乃は内心ウキウキしていた。念願のPCが使えるのだ。
「おやすみなさい」
とびっきりの笑顔で壮馬の家を琉乃は出た。
壮馬は顔を赤くして大きく溜息をついていた。
そんなこと琉乃は知ったことではない。
PCを片手にスキップで自分の家へと戻った。
琉乃は夜半、早速PCでアウトプットしていた。
うとうとしてきた頃、琉乃は寝ぼけ眼で思いついた。
PCの設定を行う頃、もう日付をまたぐ頃だった。
小鳥が水をつつく。
朝の空気の気配がやってきて、ここから飛び立つ。
〈空の中を飛びたい〉よりも〈空を飛ぶ方法を見抜く力を与えて〉
そう言葉を残して 小鳥はもう、ここにはいない。
「おはようございます」
自身が寝起きなことを忘れるほどに満面の笑顔で壮馬の家を訪れた琉乃に、壮馬は自身が寝起きだということを思い出した。
「寝ぐせ、ついてますよ」
壮馬は慌てて髪の毛をおさえる。
「入れ」
「いえ、ここでいいです。PC持ってきただけなので」
「いいから入れ。朝食まだだろう? うちでとっていけ」
半ば強引で断れない空気だった。
「… おじゃまします」
壮馬はそのまま洗面所へ行き身支度を整えていた。
琉乃は初めてここに現れてしまった原因をいまだに突き止められていない。
棚にある写真立てはいまでも健在で、そこにはやはり美しい女性が写っていた。
「その写真はみなくていい」
気付くと琉乃の後ろに壮馬が立っていた。
「ごめんなさい」
「気にするな。もうすぐ朝食が運ばれてくる頃だろう」
トントン、とノックする音が聞こえた。
「来たな」
ドアを開け食事を部屋に運ぶ。
琉乃は再び写真を一瞥し、運ばれてくる食事を共に準備した。
食事中は静かで琉乃と壮馬は会話をほとんどしなかった。
食事が終わり食器が運ばれ、琉乃はそのまま壮馬の家をあとにした。
家では壮馬が写真の女性をみていた。
「… すまん」
官邸に行くと大石が出迎えた。
「壮馬さま、体調いかがですか? 」
「ああ、もうほとんどいい。心配をかけたな。それから仕事の方も助かった。進捗具合はどうだ? 」
「ええ、いくつかポイントを絞ってあります」
「そうか」
デスクに座った壮馬はPCを開いた。暗証番号を入力すると、文章が表示された。
{わたしがここに来てから、色々と迷惑をかけてごめんなさい。あまり面と向かって話をするのが苦手です。この場を借りて色々と質問させてもらってもいいですか? 琉乃}
琉乃からの交換日記だった。
壮馬は文章を読んでふっ、と笑った。
返信を書いて送信をする。
「壮馬さま。今夜、行いをすべく… 」
「… ああ、わかった」
夕刻になり、琉乃は診療を済ませ、その足で壮馬の家へと向かった。
トントントン。ドアが開く。
「あがれ」
「ここでいいです。PCを受け取りに来ただけですので」
「夕飯、これからだろう。いま運んでもらうからここで食べていけ」
「朝もそうやって有無も言わさずに強引すぎません? 」
琉乃はそう言いながらずけずけと家へ入り、壮馬の顔を覗き込んだ。
「… え? 」
壮馬の顔は真っ赤になっていた。壮馬は右手で顔を隠し、横に逸らした。
「みるな」
琉乃はひとつ、あとずさりをする。
そして大笑いをした。
「な、なにを笑っている⁉ 国の主に対して無礼だぞ」
「ごめんなさい。貴方も、人間なのね」
笑い転げて目尻の涙を手で拭いながら琉乃は大きく笑う。
「いただいていくわ、ありがたくね」
それから琉乃と壮馬は夕飯を共に食べ、会話は琉乃のその日一日の仕事のことを話した。
どんな民がどんな傷病に悩み、どうよくなっていくか、どう病と付き合っていくか。
その夜、琉乃はPCを開き、暗証番号を入力すると交換日記が表示された。
{気にするな。それよりもお前の過去の情報を知りたい。
少しずつでいい。
過去、この国は、世界はどのような道を歩んできたのか、興味深いんだ。
壮馬}
{八は数字に表記してそれを横にすると無限大になる。
この世の中はそんな感じなのかな。
わたしの持っている情報は拙いものでしかないわ。
ただ、この世界にとって有益なものならば提供する利はあると思うわ。
琉乃}
***
日付が変わるその頃、壮馬は大石と森の中を衛兵に案内をさせ、歩いていた。
深く深く森の中を歩いていくと、古びた祠があった。
大石は壮馬に目で合図し、そのままその中に入っていった。
そこには、松田がいた。
そしてその先には手足と口を縛られた男がひとり、いた。
唸るその男と壮馬は目を合わさない。
そして口を開いた。
「行え」
「承知致しました」
松田はその縛られた男の口のなかにあるものを入れて、そのまま飲み込ませた。
「俺はもう行く」
「承知いたしました」
壮馬と大石が祠からでると、祠のなかにいるその男の影が障子に映る。
そして、その男の吐血が障子に染みる。
壮馬と大石は無言のまま深い森を歩く。
琉乃はその日、惑星が堕ちる夢をみた。
夢は明晰夢だった。
他人を人間としてみれるようになったのは、いつぶりだろう。
惑星が堕ちるさまをみながら、琉乃ははっきりとそう考えていた。
そして光りが放たれる。
いつかの心地よい、あの言葉の言語を利用して。
***
(壮馬の気鬱)
夜の水面に拡がる弧と、月色が心を満たすその理由を俺は知っている。
森を彷徨いながら影が追ってくる。
その正体を俺は知っているのに知らない振りをする。
たどり着いたその湖を覗き込むとそこには仮面を被った彼がいたんだ。
仮面はルージュの唇で笑う。
「知っているよ」 「― いや、知らない」
「当たり前だろう」 「 ― 当たり前なもんか」
肯定の安売りは否定の重力と天秤の公平性(バランス)が保てないんだ。
容認してはならないのにその任意が俺を責め立てる。
そうさ、理由は知っている。
木々の隙間から獣が俺を狙っている。
響く咆哮する声と影が重なった。
違うさ、重ならないと言い聞かせるんだ。
「分かっている」 「―いや、分からない」
「君の言う通りさ」 「 ― そんな訳がない」
相変わらずさ。
肯定の安売りは否定の重力と天秤の公平性(バランス)が保てないままなんだ。
ヘルツの鐘の音と辺りを見渡せば、大木の生命はきっと神が宿るという古(いにしえ)があった。
俺は手を伝い感じると、そこにいたんだ。
水面に俺は立っていて、大木とひとつになった。
そうだ、これが俺自身なんだ。
月が照るその一筋からまじないの言葉が降りてきた。
俺は振り返り、呪文を唱える。
「ごめん、ありがとう。もう行くよ」
***
短い夢だった、目が覚めた壮馬は真っ先にそう思った。
窓の向こうは少し薄明るくなってきていた。
「このような夢をみたのもあいつ、のせいだ」
あいつ、琉乃は俺に余計な陽の暖かみを与えてくる女だった。
かつての俺にあった、けれどそれは忘れる必要性のあるものだと判断したあの日から拒んできたものだった。
真実から目を背ける俺は恰好悪くて誰にもみせられやしない。
それをありありと俺に思い知らせる奴が、あいつなんだ。
そう思いながら壮馬は窓を開けた。
抜ける風の香りに現実を思い知る。
壮馬は自身の両方の手の平をみると、苦々しく笑う。
「もう用済みなんだと、さ」
いままでと、これからをはっきりとラインで区切ることが出来たらどんなに楽だろうか。
「俺はいつになってもその狭間でしか生きれないのだろうな」
木々の葉に陽が当たる頃には黄という色が生成される。
そんな見逃しな日常に人は憧れを持つのだろうな、そう壮馬は心に留める。
「では、わたしはこれで失礼します」
「待て。寄っていけ」
「… はい」
寄っていけ、そう言わないとこの女はそのまま帰ろうとする。
そしてそのまま診療へと向かおうとする。
結構なほどにぶすっとしている顔にこの俺が気付かないとでも思っているのだろうか?
それともわざと気付かせようとしているのか?
琉乃はあれから、写真をスルーするようになった。
自然に、演技ともいえないようなほどのナチュラルさだ。
頭の良い女だ。空気を読むことはきちんと出来るらしい。
いつも通り琉乃は定位置に座り、既に用意されている朝食を目の前に早く食べようと言わんばかりの目で俺に訴えかけてくる。
俺はひとつ溜息をつく。
「いま行くから」
二人で両手を合わせて合掌する。
「いただきます」
上品に朝食を食す琉乃に見惚れていた俺に、琉乃は気付いた。
「なんですか? 」
急いで俺は顔を逸らした。
「いや、なんでもない。それよりもお前、診療につかう薬品類はどうしているんだ? 」
「時間見つけて森に薬草を探しに行っているの。それでなんとか持っているわ。けれど… 」
「けれど、なんだ? 」
「いまはなんとかなっているけれど先々のことを考えるとこのままじゃ対応できなくなることは容易に想定出来るわ」
「医療資源を人工的に製造したい、というわけか。しかし術がない」
「簡易的なことからでもいいの。最低でもアルコールの生成は必ずしてほしいのと、医療道具の職人の育成もお願いしたいわ。
必要ならばわたしも間に入るわ。ただ、わたしも全てにおいて精通しているわけではないけれど」
「しょうがない。お前がそこまで言うならこの俺が動いてやらんでもないぞ。そのかわり、この俺に対価を与えろ」
「対価? わたしが貴方になにを与えることが出来るのよ? 」
壮馬は顔を琉乃に近づけ、真面目な顔で言う。
「それだ。お前いまだに俺のこと貴方、と言うだろう。
たまに壮馬さまと言うがな。
言ったはずだ。二人きりの時は壮馬、と呼べとな」
「嫌! それは断ったはずよ。国の主を呼び捨てにするなんて首が飛ぶわ」
「俺が良いと言っているんだ」
「それを口実にわたしが言ったあとでそんなことは言っていないとか言ってわたしを処刑する理由を作りたいんでしょう? 」
「どこまでお前はひねくれているんだ。お前俺をなんだと思っているんだ? 」
「国の主さまよ」
「いいから、言わないとお前の希望も通らんぞ」
俺は満面の笑みで脅迫をする。
琉乃が心の中で葛藤しているさまがこの上なく面白い。
「そ… 壮… 壮馬… 」
俺は優越に浸る。その瞬間にドアの方から声がした。
「壮馬さま、でございます。琉乃さま」
大石がドアを開けて眉間に皺を寄せて睨みつけている。
そして琉乃もその矛先である俺のことを睨みつけている。
「いくらノックをしても返事がないので勝手に失礼しましたよ。
しかし毎朝このように一緒に食事をとっておられるのですか? 」
「いや、違うんだ大石。これはだな… 」
「なにも違わないです、大石さん。わたしはこのような事は控えたいのですが… 」
この女、裏切ったな。と俺は心の中で思った。
琉乃は満足気に俺に笑いかけている。
なんとなく感じてはいたが結構な小悪魔だ。
「早く食事を済ませて仕事に入ってください、壮馬さま。
就業開始時刻まで少ししかありませんよ? 」
「… わかっている」
流し込むように食事を済ませ、大石の目がひかっている中 琉乃は急いで俺の部屋を出て行った。
少しだけ俺に振り向いて舌を出しあっかんべぇをしていった。
「あいつ… 」
「どうかしましたか? 壮馬さま」
「いや、なんでもない」
「私は医療資源の製造なんて反対ですよ。
そのような経験を持ち合わせている人間がこの世界にいるわけがないでしょう」
「大石、お前いつからいたんだ?
声をかけるよりももっと前からいたんじゃないか。悪趣味だな」
大石が咳払いをする。
「AIが自滅して数年が経ちましたが、我々に出来ることなんて限られています。
無理をすればあとでしっぺ返しが来ることでしょう」
新しいことを始めようとすると必ず反対者が出てくる。
これは人間ならば当然のことで変化に不安を感じ、変わることを拒むのだ。
時にそのパフォーマンスが大きくなり、人は傷つけ合ったりすることはしばしば見られる。
「琉乃さまはいまでは旅の者として暫くこの地に身を置くことを決めたということを民に周知させたのは大きな保険としてなのです。
琉乃さま自身はあのようにこの地に身を置くことをおっしゃっていましたが、それもいつ心変わりするか分かりません。
琉乃さまが現在、此処で活躍されているからといってそこに甘んじてはならないのです」
「… 分かっているさ」
「いいえ、分かっておりません。壮馬さま」
そう言って大石はあの写真立てを持って、その女性の瞳をみていた。
「姉はなんでもお見通しです。
姉がどんな気持ちでみているかと思うと、私はいたたまれないです」
「… すまない。… 仕事に入る」
「… 承知いたしました」
***
(大石の憂愁)
異国を旅する医療の知識を有した女、それがこの東乃宮琉乃という女性であると民は認識している。
異国を旅しているということで民は少なからず違和感を抱く筈だ。
しかし彼女の顔が東洋系であることにこの国の民は親近感を抱くのも不思議ではない。
私は壮馬さまが持っているものと同じ女性が写った写真を自分の部屋の机の引き出しに置いている。
心が必要と嘆くときに対面する。
その写真を手に、私は息をついた。
「… 姉さん」
仕事に戻ろう、そう思い家を出ていつもの業務へと向かう。
官邸では壮馬さまが仕事に邁進している頃だろう。
私もその補助業務を行わなければならない。
家に戻ったのは、必要な書類を取りに来ただけだ。
家を出ると国の象徴である布をあしらった衣装を身に着けた彼女がせっせと歩いてどこかに向かおうとしていた。
「琉乃さま、どちらにお向かいで? 」
「大石さん、こんにちは。これから森に行って医療資源になれそうなものを採ってこようかと思いまして」
「そのショルダーポシェットはどうされたんですか? 手作りのようですが」
「これ、診察をしたおばあちゃんが作ってくれたんです。可愛いですよね、ありがたいことです」
なるほど、他人の心に入り込むことが得意なようですね。
ええ、わかりますとも。
この琉乃という女性が手当をしている姿がどれだけ美しいかということくらい容易いのです。
それを上手いこと利用して他人の心をこじ開けようとするわけ、か。
なにか弱みを握った方がこちらに優勢に事を運べるな、そう私の脳裏に浮かんだ。
とびきりの笑顔を繕った。
「私も一緒に参らせていただけますか? 一度その現場をみてみたかったのですよ」
「ええ、いいですよ」
私に負けず劣らずの笑顔で返してくると、なにやら眉間に皺を寄せて考え込んでいる、この琉乃という女性。
「どうされました? 」
「いえ! なんでもありません」
そう言う琉乃さまのあとを私はついていった。
結構奥まで行くものだな、私はそう思いながら滲んでいる汗を気付かれないように手で拭った。
「大石さん、疲れましたね。少し休憩しましょう」
そう言いながら琉乃さまは木こりへと案内してくれた。
そして私に水を差し出す。
「水分補給はきちんとしないといけませんよね」
そう言いたげな笑顔で水をくれた琉乃さまの息はあがっていない。
汗も滲んではいないではないか。
― 私を気遣ってくれたのか?
そう脳裏に霞んだが私はそれを追い払った。
「琉乃さまはいつもこんな奥までこの森の中を入っておられるのですか? 」
「いえ、今日は数週間前に来たときにまだこどもだったのでそろそろ大人になって摘む頃だと思いまして」
「大人になったら摘むのですか。なんだか酷のようですが… 」
「大人になったら仕事をしなければなりません。
良い仕事をする、それが大人というものです。
わたしが摘む予定のその植物も大人になるまでに強い陽を浴びて雨にさらされ向かい風に立ち向かってきたのでしょう。
きっと時が来て次のステージへと昇る、そんなタイミングなのかもしれません」
「… 私にはそんな風には到底思えないのですが。人間の勝手な言いがかりに過ぎません」
「そんな風に考えれば、きっとその植物もうかばれるのではないか、と思っただけですよ」
がさ、と茂みの向こうから音がした。琉乃と大石はぎくり、と音のする方へと見た。
そこから現れたのは鼠だった。
か細い声を鳴らしてそのまま横切っていった。
「鼠、か。久しぶりにみたわ。天然痘、ペスト、コレラ、プリオン…… かつての歴史が紡いだものね。ここには鼠は結構いるものなの? 」
「ええ、日常茶飯事でございます。琉乃さまの時代にはいなかったのですか? 」
「絶滅したわけじゃないけれど、頻繁にはみなかったわ。
みるといったら研究用のAI型のラットをよく取り使っていたけれどね」
「AIのラット、ですか。そのような記録もかつては私たちの脳に貼付されていたのでしょうね」
「大石さんたちがAIに脳を依存していた時代は分からないけれど… もしかしたら更にその上をいっていたのかもしれないわね」
「おや、琉乃先生じゃないですか」
そう現れたのは40代後半くらいの背の低い小柄な男性だった。
どちらかというと品のある中年男性だ。
「あら、高杉さん。こんなところでどうしたのですか? 」
「いやはや、琉乃先生の診療や治療の手捌きをみて、ちと感銘を受けましてな。
うちの家内も韮菜で痰づまりが少しづつよくなってきたと喜んでおりました。
儂もちとばかり痰がありまして家内にすすめられましてな。
なんだか身近な草花が使い方によっては人を癒すなんてなんて素晴らしいことなのだろう、と思ったのですよ。
それでこの森を散策しておりまして… こんな歳でお恥ずかしいですが」
「そう、素敵なことです。
探求心を持つことはいくつになっても必要なことだと思います。
そのようなお心が心を活き活きとして良い影響になるのですよ」
顔を赤らめ照れくさそうに手を頭の後ろにやり、その男性は照れていた。
「いや~、琉乃先生には敵いませんなぁ。
やっぱり植物も活きの良い状態で試した方が良いのではないかと、儂は思うのですよ」
「そうですね。しかし植物によっては使い方次第で乾燥させたり煎じたりする方が適していたり、と様々なのですよ」
私は思わず鼻で笑ってしまう。
それに気付いた高杉という男性は嫌な顔をした。
「なんでしょう、そこの男性。
おや、壮馬さまの秘書人の大石さまではありませんか。
儂はなにか可笑しなことを言いましたかな」
「いえ、失敬。
少しばかり刺激を受けたからと言ってこのように森の奥深くまで散策ですか。
しかも浅はかな知識しか持っていないというていたらく。
なにか新しいものが近くに現れると我を忘れる、愚かな人間の行いではないでしょうか」
「なんと失礼極まりない! いくら貴方さまでも言って良いことと悪いことがありますぞ! 」
「高杉さん、声を荒げないで。
身体に響くわ。
こんな森の奥まで来ているのよ、身体が疲弊している状態で感情的になるのはよくないわ」
「むきになるということは自覚があるということでしょう? 」
「大石さん! 貴方、さっきから言葉が過ぎるわ」
「ふん! 若造め。いまに見ておれ」
そう憤慨しながら高杉は去って行った。
「高杉さん、大丈夫かしら」
「あのような中年男性に肩入れするなんて琉乃さまも暇なのでしょうか? 」
「大石さん、さっきからなに? やけに突っかかってくるじゃない」
琉乃さまは私に対して溜息をつく。
「私はなにも間違ったことは言っておりません。真実を言ったまででございます」
「あのねぇ… 」
「さぁ、目的地まで行きましょう。日が暮れたら厄介ですよ」
琉乃さまにそのまま道案内をさせ、私はついていった。
人間とは、本当に愚かだ。
愚かなときは我を忘れる。
我を忘れると沼に落ちるのが人間の行く末だ。
親切心故のこと。
だから教えてやった。
なにも悪いことはしていない。
歩く途中で、木々の根元に生えている美しい茸があった。
「琉乃さま、あの茸きれいですね」
私がその茸に近づこうと一歩踏み入れたときだった。
「それ、毒茸ですよ」
「えっ⁉ 」
「不思議ですよね。
美しい成りをしているのに、内に毒を秘めているなんて。
見た目は美しいと革張りをしてその奥底にある毒に人は気付かないのでしょう」
「… どういう意味でしょう」
「さぁ? わたしにはなんのことやらさっぱりです」
到着地は濃い緑で溢れていた。
「やっぱり、蓬‼ 」
そう浮足立つ琉乃さまは蓬の香りを堪能していた。
「さっさと摘んで戻りましょう」
私は呆れ顔で摘もうとすると、琉乃さまは神妙な面持をして、蓬を手に取る。
「… ありがとう」
琉乃さまは蓬にそう言って丁寧に摘み始めた。
「琉乃さま、どうして蓬にそんな風に言うのですか? 」
「母なる大地に根をはった蓬をそこから離すのに、痛みを伴わない訳がないから。せめて一言ありがとうと言って摘みたいの」
「… そうですか。私は言いませんけど」
「ええ、わたしが好きでやっていることですので」
私は琉乃さまを一瞥してから蓬を摘んだ。
日が少しずつ低くなり始める頃、琉乃さまが私の方を向き直る。
「大石さん、もうそろそろ行きましょうか」
「ええ、結構採れましたね」
「手伝ってくれてありがとうございます」
「ところでこの蓬はどうやって医療資源としてお使いになるのですか? 」
「方法はいくつかあるのですが… そうですね、乾燥させて煎じたり湯舟に入れたりとか。止血や収斂作用等、さまざまな効果が期待できるのですよ! 」
「左様ですか。ところで帰り道はわかるので? 」
「ええ。来た道を印つけてきたので」
そう言って琉乃さまが指さすところには葉の上に石を積み上げたものが先々にあった。
「なるほど」
「行きましょう、大石さん」
遠くで雨雲が雷光と共にうずめいていた。
風も少しずつ強くなってきている。私たちは小走りで歩を進めた。
小雨が葉にあたり始めた。
「琉乃さま、走りましょうか」
そう伝えたのだが、琉乃さまはしゃがみ込んでいた。
「どうされたのですか? 」
「嘔吐物がある。しかも新しいわ」
「どこかの動物のものでしょう。さあ、急ぎますよ」
「近くに人間の足跡もある。向こうに続いているわ」
琉乃さまはそう言いながらその跡を追っていく。
「琉乃さま、もう行きましょう」
「足跡の歩幅が少しずつ狭くなっている。しかも真っすぐではないわ」
琉乃さまはそう言いながら、ある植物が地面に無造作に置かれてあることに気が付いた。
「なんでしょう、それは? ニラですか? なんだってこんなものがこんなところに落ちているのでしょう」
「これはニラじゃないわ。スイセンよ。ニラ特有の香りがしないもの。ニラにそっくりだから誤って食べて食中毒になる事故が時期により頻発するの」
「毒、なのですか? 」
「有毒よ。過去には死亡例もあるの。悪心や嘔吐、昏睡状態、最悪の場合は死に至ることもあるわ」
「こんなもの、一体誰が…? 」
「待って、確か高杉さん言ってたわよね。奥さんから韮菜をすすめられたって」
私は嫌な予感がした。
まさか、私の挑発を受けたことが原因で良くないことが起こったのか? と脳裏によぎる。
「とりあえず、足跡を追いましょう」
頭上の雨雲の色が濃くなってきた。次第に雷雲に変わりつつある。
「いた! 高杉さん‼ 」
高杉は地面に転がり、意識を失っていた。
「昏睡状態に入りつつあるわね」
雨が強くあたってきた。
「大石さん、雨を逃れる場所へと移動したいわ。高杉さんをおぶってくれる? 」
私は無言のまま頷き、そのまま先奥へと続く洞穴へとそのまま吸い込まれていった。
洞穴の中で高杉を寝かせ、そのまま琉乃さまは高杉に付きっきりになった。
なにやら琉乃さまは高杉の喉を押さえている。
「なにをしているのですか? 」
心もとない状態で私は琉乃さまに訊ねた。
「嘔吐を誘発させているの。まずは毒性を身体から取り除きたい」
そうこうしている内に高杉は大きく嘔吐し、そのまま持っていた水を飲ませていた。
「大石さん、火をおこせる? 高杉さんの身体を温めたいの」
「やってみます」
森のなかに電気など通ってやしない。
自力で火を起こさねばならない。
私は雨の中、枯れ木を集めた。
洞穴に戻ると応急処置は済んでいたようだ。
「高杉さんは大丈夫なのですか? 琉乃さま」
「ええ、大丈夫よ。でも体調が優れていないのは事実だから安静にしていないとね」
「いま、火をおこします」
「お願いします」
枯れ木は雨のせいで湿っていた。
幾分経っても火が起こせる状況にはならなかった。
自分の無力さを思い知った。
「大石さん、ありがとう。なにか他の手を考えましょう」
「… 申し訳ありません」
そう言う私の横で琉乃さまは服を脱ぎ始めた。
「琉乃さま⁉ なにをされているのですか⁉ 」
琉乃さまは下着姿になりその豊満な身体のラインが顕わになった。
私のことなどお構いなしにそのまま脱いだ服を高杉に被せた。
「これで少しは、ましでしょう」
「… それでは、私も」
いそいそと服を脱いだ私も琉乃さまと同様に高杉に衣服を被せた。
琉乃さまと私は背を向けたままその場にいる。
「この大雨が収まるまではここにいた方がよさそうね」
「そうですね」
私は洞穴の出口の方向を見ていた。
雷光が光り、近くの木に落雷したようだった。
「大石さん、ちょっと横向いててもらえる? 」
「… はい」
横を向き、視線の先を間違わないように神経を使う。
その隙に琉乃さまは歩き、洞穴の出口になにやらしていたようだ。
「大石さん、もういいですよ。さっきと同じくしてください」
そう言われ洞穴の出口の方をみていると、なにかの植物が植えられてあった。
「これは? 」
思わず琉乃さまの方をみてしまい、琉乃さまは顔を赤らめ固ってしまっていた。
私は慌てて顔を向き直す。
「申し訳ありません‼ 」
「それはハウスリークです。
さっき蓬を摘んでいたときに偶然みつけて少しばかり拝借させてもらっていたんです。
様相が可愛いでしょう?
これは古くから屋根に生えることで避雷針の役割を果たすといわれていたんですよ。
一種のおまじないのようなものです。
ここから無事帰れますように、と」
「… 私は酷い男ですね。
民をこんな目に合わせたのも私が間接的に関係しております。
自分の立場をきちんと把握していない、愚かな男です」
「自分を責める必要はないわ。
高杉さんは何年生きている人だと思うの?
わたし達の倍は生きているのよ。
目が覚めた頃には全てを理解し、自分がとるべき行動がわかる人よ。
きっとね」
「… 琉乃さまは、壮馬さまのことをどう想っているのですか? 」
「壮馬さまのことですか? どうって… ここの国の主と認識しています」
「その、人としてというか、男性としてというか」
「壮馬さまは、きっとわたしのことを同胞だと思っているのだと思うわ」
「同胞、ですか? 」
「幼い頃に家族を失った者同士、のようなものだと思うの。
わたしも幼い頃親を亡くしているから。
きっと雰囲気でわかるのでしょうね」
「それで、どう想っているのですか? 壮馬さまのこと」
「傷を癒す者同士としてのなれ合いはならないように気をつけなくちゃと思っているわよ。
そんなことになったら人間の依存になりかねませんものね」
「に、人間ですか? 男性ではなくて? 」
「大石さん、さっきからなにを言っているの? 話の意図が読めないわ」
「… いえ、申し訳ありません。私は一体なにを言っていたのでしょうか」
そう言って私は笑って誤魔化した。
私は本当に愚かだ。
琉乃先生はこのようなお方なのだ。
最初に会ったときからそうだった。
真っすぐで、自分の軸を持っている。
雷鳴が遠くへと離れていく。
「琉乃さま、おまじないが効きましたね! 」
思わず琉乃さまの方をみてしまった私は慌てて視線を逸らした。
私の度重なる失態にさすがに琉乃さまはむくれているようだ。
「大石さん、気を付けてください」
「… 申し訳ありません」
雷が去って行き、雨も落ち着いたころだった。
琉乃さまがなにかに反応したように立ち上がった。
「大石さん、服着てください」
私に向かって服を投げてきて、琉乃さまは既に着衣していた。
急いで服を着た時に、出口の方から明かりが指した。
「ここか⁉ 琉乃、大石! 」
「壮馬さま! 」
私は思わず叫んでしまい、その後ろで琉乃さまが見守っていた。
しまった、そう思い咳き込む私は体制を整えた。
「民の方が、有毒植物を誤って食べてしまったところを発見いたしました」
壮馬さまの後ろで衛兵らも何人かいる。
「お前たちが戻らないから雨の状況をみて探しに来たんだ。
琉乃は医療資源を探しに森へ入っていると聞いていたからな。
しかし、大石も一緒に… どういう風の吹き回しだ?
大石、服が曲がっているぞ。
ま、まぁいい。とりあえず、そこの病人を運ぼう」
衛兵らは琉乃さまの指示で即席で担架をつくり、高杉を無事琉乃さまの家兼診察室にと運び、琉乃さまはそのまま高杉の看病をしていた。
高杉はそのまま数日が経って体力も戻った。そして家へと帰っていった。
***
官邸では壮馬さまがいつも通り職務に邁進している。
私もいつも通り補助作業を行う。
ノック音がした。
「入れ」
「失礼致します」
松田くんだった。例の件の報告であろう。
「壮馬さま、男の進捗状況ですが、… 達しました」
「そうか、放してよい」
「承知いたしました」
私はその光景をみて、壮馬さまの背景にある窓から空をみた。
松田くんがそのまま退室をし、それを見送った壮馬さまは私に告げる。
「琉乃の言う医療資源の製造を民に行わせたい」
「… はい」
「よく考えたら、それを行うことで民の職に就く機会も多くなる。
そうなると国としても民としても実りがあり、国としてはこれ以上ない発展の一助になる」
「琉乃さまはそこまで読んでいたのでしょうか」
「頭の良い女だからな。その可能性は高い」
「壮馬さま、承知いたしました。早速手配を行います」
「ああ、頼んだぞ」
そのまま壮馬さまが外へと出て行った。私も跡を追う。
「壮馬さま、どちらへ? 」
「琉乃のところにな。あまり睡眠とれていないだろうから今頃爆睡しているだろう。なにか食料でも持って行こうと思ってな」
「… そうですか」
私の足元に季節柄の蒲公英(たんぽぽ)が咲いていた。私はしゃがみ込み一呼吸置く。
「ありがとうございます、頂戴いたします」
そう言って私は蒲公英を摘んだ。
「壮馬さま、これを琉乃さまの家に飾ってください。
一輪挿しでございます」
「ああ、琉乃にぴったりだな。この活き活きとした黄色」
「ええ、誠にございます」
***
雨がとうに過ぎ去った森の木陰で、風が靡く。
そこには一匹の鼠が横たわって死んでいた。
第二話終わり
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