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中国で“日本生まれ”のイチゴが市場を席巻

日本から「流出」か「導入」か

誰も知らない日本ブランド

上海では、まさに11月下旬ごろからイチゴが少しずつ店頭に並び始める。
 
上海で売られるイチゴで一番多いのは「奶油草莓」という名前のイチゴである。ただ、このイチゴが静岡生まれの品種「章姫(あきひめ)」であることは、あまり知られていない。
 
ネットで検索してみると「『奶油草莓』は『章姫』の別名である」「『奶油草莓』は『章姫』を指す」などと書かれている。店頭で売られているものには、商品パッケージに「章姫奶油草莓」と「章姫」の文字が入っているものもある。
 
ただ、産地には中国の地名が記載されているため、中国の人たちは「章姫」という名前を見ても日本の品種だと分からないだろう。果物店に行った際、「奶油草莓」を買うついでに店員に聞いてみたが、「日本の品種?違うよ」と一蹴されてしまった。
 
中国人の友人たちに聞いてみても、みな一様に「知らない」と答える。まさか自分たちが食べているイチゴが日本の品種などとは考えもしないのだ。
 
それも仕方のないことなのかもしれない。日本人である私ですら、つい最近まで知らなかったのだから。

中国側は「日本から導入した」

ここ数年、日本では農作物の品種の海外流出がたびたび取り沙汰されている。農林水産省のウェブサイトによると、イチゴの「章姫」も、1990年代に韓国に流出したとされる日本の農作物である。
 
中国で流通している「奶油草莓」も、日本から流出したイチゴのようだ。「ようだ」と書いたのは、中国では「流出」という言葉が使われていないからである。中国の書籍には「奶油草莓は章姫である。1996年に日本から導入した」とある。
 
「導入」という言葉には、当然ながらマイナスの響きはまったくない。
 
この書籍「中国第一のイチゴ産地――東港市イチゴ産業の発展史」は、遼寧省イチゴ産業の知名モデル区であり、中国で最大のイチゴ生産・輸出基地でもある東港市(当時は東溝県)のイチゴ産業の歴史を綴ったものだ。
 
同書によると、東溝県で最初にイチゴの品種が導入・栽培されたのは1924年。その後20年ほどの間に個人によるイチゴの栽培が試みられたが、1945年には複数の品種を導入して、県内で栽培を規模化している。
 
1982年、東溝県のモデル農場がオランダの品種を研究・開発し、全県での商品化、規模化に向けて動きだした。92年には東溝県イチゴ研究所(現在の東港市イチゴ研究所)が設立され、93年には中国初のイチゴの栽培に向けた工場が建設された。
 
そして1996年、イチゴ研究所の所長が視察で日本を訪れ、中国のために「章姫」を“導入”したという。
 
1999年には日本のイチゴの専門家とその夫人を東港市のイチゴ研究所に招待し、技術面での交流を行っている。その際に、この専門家から「紅ほっぺ」などの品種が贈呈されたと書かれている。
 
また「このうち紅ほっぺは、東港イチゴ研究所が初めて中国に導入した」ともある。この表現から、同研究所が贈呈された紅ほっぺを研究し、栽培が試みられたことが分かるだろう。
 
ちなみに、品種の導入番号も記されている。これが本当なら“導入”という言葉が使われても仕方のないことかもしれない。
 
2000年には東港市イチゴ研究センターが落成。組織培養によるウイルスフリー苗の増殖工場、科学実験室、種苗の保冷庫、研修室などが併設された。その後、東港市のイチゴ産業は省を挙げて推進されることになる。
 
東港市はその後もたびたび欧州や日本などから専門家を招いて、栽培技術を伝授してもらっている。また、日本や欧州への視察も行いながら、イチゴ栽培の技術養成クラスなどを設け、栽培技術を次々に広めて行ったとされる。

日本品種が産業の発展を推進?

東港市のイチゴ産業の歩みをみると、「章姫」と「紅ほっぺ」が同市のイチゴ産業の発展を大きく促していることが分かる。
 
ただし「章姫」については、“導入”の詳細が明記されていない。そのため、東港イチゴ研究所の所長が視察の際に何らかの形で苗を手に入れて、中国に持ち帰った可能性も考えられる。
 
東港市に度々招かれた国外の専門家たちが、当時どのような経緯で中国に足を運び、栽培技術を伝授したのかは分からない。どの品種をどのように中国に持ち込んだのか、何を意図して贈呈したのかなどもまた不明である。
 
分かっていることは、日本のイチゴの品種が中国に持ち込まれ、中国で栽培され、現在、広く普及しているという事実のみだ。
 
いずれにせよこれらの行為は、育成者保護の観点からみると批判されてもおかしくない。が、今となってはすべて闇の中である。こう言っては身もふたもないが、日本政府ですら海外での知的財産権保護について意識していない時代だったのだ。

イチゴの収穫量は日本の22倍!

中国のシンクタンク「華経産業研究院」のまとめによると、中国における2021年のイチゴ作付面積は約14万ヘクタール、収穫量は368万2500トンだった。作付面積は世界の3分の1を、収穫量は約4割をそれぞれ占めるとされ、中国は世界最大のイチゴ生産国であると同時に、世界最大のイチゴ消費国でもある。
 
一方、日本農林水産省の統計によると、2021年の日本におけるイチゴの作付面積は4930ヘクタールで、収穫量は16万4800トンだった。中国の作付面積は日本の14倍、収穫量は約22.3倍となる計算だ。
 
中国で生産されるイチゴの種類は200~300種とかなりの数であるものの、広く栽培されている良質なイチゴは数十種にとどまるという。イチゴの10大ブランドとされる品種を見ると、日本の品種が複数ある。
 
中でも、「章姫」と「紅顔(紅ほっぺ)」は必ずランクインする品種だ。上海でもとりわけこの2種を目にすることは多い。
 
「紅顔」については、中国における2019年の作付面積が、中国全体のイチゴ作付面積の25%に当たる4万4000ヘクタールに上ったという。これは日本のすべてのイチゴ栽培面積の約8.4倍に相当するというから驚かされる。

苗の流出は誰のせい?

では、すべては前述の専門家たちのせいなのか?実は、苗を渡した専門家だけの責任とは言い切れない。
 
福岡でイチゴ農家を営む友人は「苗を入手できたとしても、栽培はそう簡単ではない」と話す。その品種に合った環境で、栽培技術を駆使して初めてしっかり実がなるもので、大規模な栽培まで発展させるとなればなおさら難しいという。
 
たとえイチゴの苗が専門家の手から中国に流出していたとしても、また、東港イチゴ研究所の所長が何らかの形で苗を中国に持ち帰っていたとしても、その時に中国に渡ったイチゴの苗が、中国における同種の普及につながったかどうかは分からない。
 
これは私の想像でしかないが、複数のルートから苗が中国に持ち込まれたのではないか。そして、中国で栽培に向けて試行錯誤され、何年もかけて徐々に作付面積が増えていったのではないか。
 
当時は日本でも種苗の持ち出しを規制する法律はなかったし、それに対する処罰もなかった。さらに言えば、育成者も当初は海外への輸出を想定しておらず、外国での品種登録などについてもしっかりと行っていなかったと言われている。
 
もはやどこから流出したのかを突き詰めるすべはない。今その責任を追及することも不可能である。できることは、今後の流出を防ぐことのみだ。



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