タリバンのSNS武器化の軌跡 2002年から現在までを3段階に分けて紹介

タリバンがアフガンを掌握して以降、さまざまなメディアでそのSNSの利用の巧みさが紹介されてきた。現在、タリバンのスポークスマンのツイッターアカウント(@Zabehulah_M33)は40万以上のフォロワーを抱えている。そして政権を握ったためにSNSプラットフォーム各社は悩ましい問題に直面している。これまではタリバンはテロ組織として扱うことができた。しかし、現在はアフガニスタン政府なのだ。タリバンのSNS利用に制限をかけることは可能なのだろうか?

今回はタリバンがどのようにSNSの利用を高度化していったかを紹介したいと思う。タリバンはロシア、アルカイダ、ISISなどのSNS利用方法を研究し、自らの武器としていったようだ。ただし、私自身はタリバンについてはほとんど知らないので、なにか基本的なところで勘違いがあるかもしれない。気がついたらご指摘いただければ幸いである。
タリバンのSNS利用の高度化についてアメリカのシンクタンクである大西洋評議会がいくつかの記事を公開している。そのひとつ「How the Taliban did it: Inside the ‘operational art’ of its military victory」(2021年8月15日、https://www.atlanticcouncil.org/blogs/new-atlanticist/how-the-taliban-did-it-inside-the-operational-art-of-its-military-victory/)では、タリバンが成功するために打った手を4つあげている。

1. アフガン軍の孤立化
タリバンは、1年半以上にわたって敵を孤立させる計画的なアプローチをとった。アフガニスタン政府は、全国に散在する検問所や小さな前哨基地を押さえることに注力した。しかし、そのため部隊は全国に分散し、相互に補強し合うことができなくなった。タリバンはこの弱点を利用し、通信設備を破壊し、物資を輸送を妨害した。アフガン軍は食料、水、弾薬がない状態が続くこととなった。

2. 脅迫で結束力を狙う

タリバンはアフガン軍に対しプロパガンダや情報操作を駆使して、士気や結束力を低下させる心理戦を展開した。アフガニスタンに普及しているスマホをターゲットにしたロシア風のネット世論操作を行っていた。

3. 暗殺によって死の恐怖を植え付ける
タリバンは市民の指導者やパイロットなど重要人物を過去2年間にわたって、連続して暗殺してきた。これによって社会に恐怖を植え付けた。タリバンの防空能力が低かったため、アフガン軍の空軍の力をそぐ必要があった。タリバンは空軍のパイロットを次々と暗殺し、死の恐怖によってパイロットが持ち場を放棄するように仕向けた。

4. 交渉による時間稼ぎと軍事力の抑制
まずタリバンはアメリカとの交渉に当たってアフガニスタン政府を排除した。これによってアフガニスタン政府とアメリカの連携はしにくくなり、政府は弱体化した。交渉で時間を稼ぎ、アメリカの介入を抑制し、その間に着々と準備を進めた。そして和平交渉後、攻勢に出た。

この4つの中をより効果的に実行するための基盤となったのが、SNSを使ったネット世論操作である。タリバンのネット世論操作技術はこの20年間で高度化した。同じく大西洋評議会の「Before the Taliban took Afghanistan, it took the internet」(2021年8月26日、https://www.atlanticcouncil.org/blogs/new-atlanticist/before-the-taliban-took-afghanistan-it-took-the-internet/)では、タリバンのSNS利用の高度化を3つの時期に整理している。初期のデジタル化(2002年~2009年)、最新のSNSと配信技術の活用(2009年~2017年)、オンラインでの存在感を大幅拡大し外交戦略にも利用(2017年~2021年)である。
この記事を中心にご紹介し、必要に応じて他の記事や資料を加えて全体像を整理したいと思う。

●初期のデジタル化(2002年~2009年)
1993年、ソ連のアフガニスタン撤退後、タリバンが台頭し、1996年に「アフガニスタン・イスラム首長国」を設立した。タリバンはアフガニスタンを支配しようとしており、数年間にわたって国連の代表権を獲得しようとしていた。そのため国内で写真やテレビ、インターネットを禁止する一方で、西側メディアで肯定的に表現されるために1998年に最初のサイトを立ち上げた。
2001年の9.11同時多発テロと米国のアフガニスタン侵攻の後、タリバンは一時的に崩壊した。タリバンのその後は情報戦にかかっていた。自分たちの正当性を宣伝し、米国と米国に支援されたアフガニスタン軍に否定的な印象を与える情報を迅速に広めなければならなかった。
タリバンは2002年メディア部門を設立し、地元住民と国際社会の両方から正統性を獲得し、米国が支援するアフガニスタン政府を弱体化させる活動を開始した。タリバンはそれまで禁止していたライブ映像の禁止を解除した。アメリカ占領下で殺された民間人の死体などの映像は、アメリカを悪役にするためのプロパガンダに有用だった。
ただ、当初、ウェブ上での活動には大きな投資をせず、タリバンの戦闘員が活動している主に農村部で広めることができるプロパガンダ活動に重点を置いていた。「夜の手紙」という資料の配付や識字率の低い地域でのオーディオカセットの配布だ。
タリバンは他のテロリストや反政府組織のプロパガンダを研究していた。イラクのアルカイダが人質の首をはねて、その映像をDVDで流通させて国際的な話題になったとき、タリバンも同じことを試みた。しかし、世論の反発が大きかったので射殺する方法に戻した。
タリバンの反政府組織の公式ウェブサイトであるAl Emarah (英語、アラビア語、パシュトー語、ダリ語、ウルドゥー語)は、2005年に始まった。最初は、NATOの国際治安支援部隊(ISAF)との戦いの勝利などのプレスリリースが多かった。その後、オーディオやビデオも提供するようになった。

タリバンはメディアに影響を与えようとする一方でメディアに対して怒りを感じており、2006年には報道に偏りがあるとし、改善されなければ暴力を振るうと脅迫めいた声明を出した。
タリバンは情報を素早く広めることに力を注いでおり、2008年のタリバンの当時の情報相へのインタビューでは、アフガニスタン政府がジャーナリストにプレスリリースを出すのに24時間かかるのに対し、「我々は衛星電話を使ってより迅速に情報を発信できる」と自慢していた。
全体として、情報活動は順調ではなかった。タリバンという言葉は、長期間にわたり様々な背景や動機を持つ他のイスラム過激派グループにも使われ、混沌としていた。タリバンは、偽物や勝手にタリバンのスポークスマンを名乗る者の対処に悩まされてきた。
とはいえ2008年までには、タリバンの情報発信は数人に集約されていった。そのうちの1人(あるいは1つのグループ)が「Zabihullah Mujahid」と名乗り、その後13年間、タリバンのオンライン上のスポークスマンとなった。2021年8月、Mujahidと名乗る男が、征服した都市カブールでタリバンの最初の記者会見を行った。彼は、わずか数週間前にタリバンに暗殺されたアフガニスタン情報相の椅子に座っていた。

●最新のSNSと配信技術の活用(2009年~2017年)
2009年、タリバンは自身のサイトに、西側諸国がフェイクニュースキャンペーンを行っていることを非難するメッセージを掲載した。タリバンは既存メディアに頼るだけでなく、自ら支持者や支援者をSNSで組織化しようとした。
まず2009年にYouTubeのチャンネルを開始し、サイトにフェイスブックの「シェア」ボタンを追加した。2011年には、タリバンは自身のフェイスブックとツイッターに最新情報を投稿するようになった。そして、友好的なブロガーとのネットワークも開拓した。さらに、タリバンを汎イスラム的、汎アラブ的な運動と結びつけ、「アラブの春」のようなより広い動きと結びつけようとした。

タリバンのプロパガンダ組織が拡大する中、アフガニスタンのいくつかの州で再び勢力を拡大し、軍事的にも活発になり、米国やNATOの兵士と交戦することも増えた。タリバンは、ISAFやアフガン政府による発表に数時間前先んじて、戦闘の詳細やコメントを西側のジャーナリストに提供したりしていた。の2012年のタリバンのツイッター発言内容には、ISAFやアフガンの兵士の殺害数をほとんど誇張していなかった。ただし、民間人の犠牲者については無視していた。
2013年にISISが活動を開始してからタリバンは効果的なバイラル・プロパガンダに注目していた。同時に連合軍がISISの戦闘員のSNSでの発言をもとに追跡し、殺害したことも評価していた。そして、その教訓を生かして、2015年にTelegramとWhatsAppのチャンネルを開設した。この動きはアウトリーチを向上させるだけでなく、暗号化された通信を行うことで米軍情報機関の盗聴を防ぐ目的があった。
タリバンのプロパガンダは、ISISのコンテンツに似てきた。映像の質は向上し、イスラム教のナシード(詠唱)に合わせた銃撃戦や自爆攻撃などのアクションに重点が置かれ、時にはドローンで撮影することもあった。2015年から2016年にかけて多くのタリバン戦闘員がスマホを携帯し、戦闘地域の映像を公開していた。

タリバンのこうした活動は、SNS企業が手をこまねいている中で盛んに行われた。フェイスブック、YouTube、ツイッターは、問題が起きた時に削除するくらいだった。しかし2014年以降、これらのSNSがISISのプロパガンダの掲載をやめろという世論の圧力に屈した時に巻き添えで一緒に凍結された。その後は公開されているプロフィールからターゲットとなりそうな人物を特定し、追跡するためにSNSを利用するようになった。

この記事「Before the Taliban took Afghanistan, it took the internet」には、2017年からアメリカの情報が公開されなくなったと書かれていたが、実際にはそれ以前から情報の隠蔽と捏造が行われていたことが「The Afghanistan Papers: A Secret History of the War」(Craig Whitlock、The Washington Post、2021年8月31日)で暴かれている。その一部が「Deceptions and lies: What really happened in Afghanistan」(https://www.washingtonpost.com/investigations/2021/08/10/afghanistan-papers-book-dick-cheney-attack/)という記事で2021年8月10日にThe Washington Postに掲載された。
記事によればアフガニスタンでタリバンが勢力を伸ばしていることなどは諜報機関などから報告が来ていたが、その情報はいかされず軍関係者はうまくいっていると考えていたという。しかし、2005年の終わり頃から現地の状況が切迫していることがじょじょに理解されるようになってきた。それでもアメリカはこの情報をあまり公にはしたくない事情があった。当時はイラク戦争がうまくいっていないことで政府が批判されており、アフガニスタンでも状況がよくないことを知られたくなかったのだ。
また、New York Timesの「Taliban Using Modern Means to Add to Sway」(2014年10月4日、https://www.nytimes.com/2011/10/05/world/asia/taliban-using-modern-means-to-add-to-sway.html)によると2011年の時点ですでにタリバンがアメリカ撤退後を見据えて携帯電話網を手中に収めつつあったことがわかる。電波を利用できる時間を制限することによって密告者の通信手段、アメリカの盗聴や追跡を遮断し、心理戦を繰り広げていた。

●オンラインでの存在感を大幅拡大し外交戦略にも利用(2017年から現在まで)
2017年になるとアメリカとアフガニスタン政府が現地の状況についてあまり情報を公開しなくなった。もともと米軍はアフガン政府軍の戦力、実績、消耗に関連する数字や、民間人を含む推定犠牲者数を定期的に開示していたが、2017年後半にはアフガニスタン政府の要請により公開されなくなった。
さらにアフガニスタン政府は、「安全上の理由」を理由に、国内のWhatsAppとTelegramを20日間停止するよう命じたが、これはジャーナリストたちや国民の激しい反発を招き、撤回した。これによってアフガニスタン政府は信頼を失った。
アメリカとアフガニスタン政府からの情報が減り、検閲が行われているのを横目に、タリバンは自分たちの情報の方がアクセスしやすく、透明性が高いと主張した。さらに各地の携帯電話の電波塔を破壊し、アフガニスタン政府の情報発信能力をそぎ、情報の空白を作り、それをタリバン発信の情報で埋めるようにした
2018年、アフガニスタン政府は、タリバンとの3日間の無条件停戦を発表し、2001年以来の停戦となった。この時点でで、アフガニスタンの家庭の約40%がインターネットを利用し、90%が携帯電話を利用していた。SNSはアフガニスタンの市民生活の一部となっていた。
2019年に入るとタリバンのネット上のプロパガンダはさらに完成度を高めた。進行中の戦闘に関するニュースを英語で次々と発信し、インフォグラフィックや短いビデオクリップを添えた。Zabihullah Mujahidのツイッターのアカウントのリーチを高めるためのスパムアカウントのネットワークもでき、定期的にメッセージを拡散している。
また、国際社会に向けての発言は慎重になってきた。たとえば、2019年に起きたニュージーランドの反イスラムのテロ事件に対して、「ニュージーランド政府に対し、このような事件の再発を防止するとともに、このようなテロの原因を突き止めるための包括的な調査を実施するよう求める」と述べた。復讐を呼びかけたアルカイダやISISの指導者たちの声明とは対照的だ。
また、アフガニスタンの大統領選では、AlFathというハッシュタグを用いたネット世論操作が仕掛けられたことが、デジタルフォレンジック・リサーチラボのレポートで明らかになっている。
2019年、アメリカはタリバンと和平交渉に入り、翌年にはアフガニスタンでテロ活動しないことをタリバンが保証する見返りとして、2021年5月までにすべての米軍と国際軍を撤退させることで合意した。この合意によってタリバンの国際的な正当性は大幅に高まった。同時に、タリバンはアフガニスタン政府軍への攻撃を強めた。
2020年10月、地方の宗教学校にアフガニスタン政府の誤爆があり、11人の子供と祈祷師が死亡したと地元の報道機関が報じた。アフガン政府は報道を否定したが、生き残った子どもたちを見舞った地元の報道官は、政府見解を否定したため、逮捕され、投獄された。この事件はアフガニスタン政府の信頼を大きく損なった。

アメリカとの和平協定は大きなターニングポイントになった、と前掲「How the Taliban did it: Inside the ‘operational art’ of its military victory」は解説している。和平協定がなければ、タリバンはアフガニスタン軍を孤立させ、カブールへの急速な前進の条件を整えるのに苦労しただろうし、アフガニスタン軍を孤立させ、カブールを手に入れるための条件を整えるのに苦労しただろう。

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