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10年前アメリカの過激派を勇気づけた「バンカービルの戦い」の勝利

10年前にアメリカの過激派を生んだ「バンカービルの戦い(Battle for Bunkerville)」(Bundy standoffと呼ばれることもある)といってもほとんどの日本人にはなんのことかわからないだろう。私も知らなかった。しかし、アメリカ連邦議事堂になだれ込んだ暴徒グループにとっては伝説であり、その後の彼らのあり方を決定づけた事件だった。極論すると、「バンカービルの戦い」でアメリカ連邦政府が負けなければアメリカ連邦議事堂襲撃事件はなかったかもしれない。ISDの下記記事はアメリカの反政府運動が広がるきっかけを作った事件として紹介している。

Ten years later, reverberations from the Bundy standoff continue to shape the anti-government landscape
https://www.isdglobal.org/digital_dispatches/ten-years-later-reverberations-from-the-bundy-standoff-continue-to-shape-the-anti-government-landscape/

●「バンカービルの戦い」

「バンカービルの戦い」の発端はBundy家が牛を放牧していた土地の権利料の支払いを20年以上、100万ドル超を滞納したため、州と連邦の法執行機関が牛を没収しようとしたことだった。2014年、最初は小競り合いだったが、一家の求めに応じて各地から民兵などが集まり、州と連邦の職員は武装したデモ隊に包囲され、ライフルで狙いをつけられて退散することになった。さらに法廷闘争でも一家は勝利し、州と連邦に完全に勝った。
さらにその2年後、一家は連邦の所有地に放火して有罪となったが、彼らを助けようとふたたび各地からグループが集結し、野生生物保護区を41日間占拠する事態となった。ひとりが死亡したことで事態は終結したが、またもや一家は罪に問われなかった。新しい伝説ができた。しかし、一家以外の参加者からは有罪宣告を受けたものが出た。

一家のひとりはコロナのロックダウンに反対し、複数の州にピープルズ・ライツ・ネットワーク(PRN)を結成した。2020年末までに、16州に広がり、150人以上のアシスタントを擁するようになった。
「バンカービルの戦い」に参加したスリー・パーセンターズは、その勢力を伸ばした。戦いで狙撃手として有名になったスリー・パーセンターズのメンバーは収監されたものの、出所してからはスリー・パーセンターズに復帰した。
オースキーパーズ、ネオナチ、パトリオット・フロント、その他の白人至上主義グループも「バンカービルの戦い」に参加していた。あの戦いの勝利はアメリカにおける反政府運動を大きく前進させた

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一田和樹のメモ帳
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