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『ストーリーが世界を滅ぼす』の感想と問題点

昨日、ご紹介した『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』(ジョナサン・ゴットシャル、2022年7月22日、東洋経済新報社)の感想と問題点を書いてみようと思う。
紹介した記事はこちら

●感想

本書は一般向けに書かれた本なので、著者の知見を生かして読みやすく、わかりやすくなっている。関連する話題も人文系の定量分析は、計算社会学、心理学、プラトン、DARPAや中国の研究などなど幅広い分野にわたっていつつも散漫な印象にはなっていない。
私は小説家であるのだが、正直人文系はあまり得意ではないので著者の専門分野の資料を手にすることはあまりないので、新しい統計や分析を知ることができたのはよかった。
そんな感じでナラティブに関心を持っていても関連分野を幅広く抑えている人はそんなに多くないと思うので多様なナラティブ研究へのガイドのように読むこともできると思う。

●問題点

細かいところはいろいろあるが、17,18世紀の啓蒙思想、科学、民主主義に最終的に依拠しているのはよくなかったと思う。問題は大きく2つある。

1.啓蒙思想や現在の我々の素朴な「科学的」態度は科学的ではないこと

当時、科学的と考えられていたことが後年になってひっくり返されることはよくある。たとえば決定論的でも予測できないことが存在する。最初の状態と、その後を記述するモデルがあれば起こることは予測できるというのが、当時の科学だった。
ピンと来た人はよくわかっていると思うが、バタフライ効果やフラクタルで有名なカオス理論である。誤差と考えられていたものが、実はそうではなかった。数式で記述できても予測できないものがあった。
イメージがわきにくい方はローレンツ・システムあるいはローレンツの水車で検索するとブラウザで動く水車を見ることができる。この水車はプログラムで動いているが、どう動くかは予測不能なのだ。
別にオカルトではなく、数学から発生したれっきとした科学理論である。我々の多くが口にする「科学的」という言葉は常識や直感的理解の範囲の機械論的科学に留まっており、本来の意味では科学的ではない。
さらにいえば量子論の世界ではそれまでの科学的常識が通じないことが多々ある。
しかし、科学的という言葉はこうした変化を踏まえて更新されるべきだったが、一種の信念、教条となっていまだに更新されていない。
また、2005年頃から心理学を始めとする各分野で叫ばれ始めた「再現性の危機」という問題もある。一部をのぞき、ほとんどの論文の再現性は5割を切っていたのだ。追試できないものを科学と呼べるのだろうか? これに付随して多くの論文が個人や組織に恣意的に作成されていた事実も暴露されている。
科学は社会の中での力関係、人間関係あるいは政治を反映したナラティブに化している。本書でも著者が学術界が偏っていることを指摘しているが、再現性の危機に触れていないのは不自然だ。
これらの問題を包括的に扱っているのが、最近物議を醸している『The Psychology of Totalitarianism』(Mattias Desmet、Chelsea Green Pub Co、2022年6月22日)である。正直、この本は刺激的すぎて安易に紹介したり、おすすめできないが、すごい話ではある。

2.民主主義について

現在、民主主義と呼ばれているものは18世紀頃のまま大きく変わっていない。当時の民主主義はフランス革命が典型的なブルジョワジー革命だったことからわかるように、新興富裕層が自らの権利を守るために行った。その結果、富裕層はより冨と自由を得て、政治にも影響力を発揮する存在になった。
民主主義の基本的な考え方や仕組みはその頃から変化していない。社会がこれだけ変わっているのに変わっていないのはおかしい。たとえば代表民主制でよく使われる投票方式が民意を正しく反映しない可能性が少なくないことは当時すでに数学的に証明されていたが、いまだに使い続けている。
こうした問題を本書では指摘しない。

この2つの問題は結構気になる。なぜなら著者は啓蒙思想や機械論的アプローチが友好な対策になると考えているからだ。まあ、対策についてはボリュームも少ないので、おまけなのかもしれないが。








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