デジタル影響工作対策の転換点を示すISDの「Positive Online Interventions Playbook」
イギリスのシンクタンクであるISDの近年の分析には目を見張るものがある。かつてアメリカのDFRLabなどが担っていた役割を引き継いだかのようだ。ISDには偽・誤情報やデジタル影響工作を社会全体への脅威ととらえ、脅威を排除するためには正しい状況把握と、対症療法ではない統合的な対策が必要という認識があることが他のシンクタンクと異なっている。
たとえばISDは偽・誤情報やデジタル影響工作のみに焦点を当てていない。国内外からの干渉の多くは国内問題を狙っている以上、原因となる国内問題に対処しなければリスクの高い状況のままであるという認識に基づいて分析を行っている。いまだにアメリカや日本でのアプローチが対症療法的で、症状のみに注目していることと比較すると対照的だ。
Positive Online Interventions Playbookとはなにか?
このレポートは、デジタル影響工作に対する介入策、つまり対策についての手引き書である。元となっているのはニュージーランドだが、おそらくほとんどは他の国(主としてグローバルノースの民主主義国)にも当てはまるだろう。
全体は大きく4つに分かれており、公衆衛生モデルと人権に基づくアプローチの重要性を示し、市民とコミュニティがその中心になるとしている。
・CONTEXT 現在の脅威についての分析
・APPROACHES 対策のモデルについて公衆衛生モデルを援用したプロアクティブ(予防的)でレイヤーに分けた対策を解説
・IN PRACTICE 対策のためのモデル構築とその評価の方法
・CONCLUSIONS AND RECOMMENDATIONS まとめ
現在のデジタル影響工作を知っているほど役に立つ内容
このレポートはコンパクトな中に具体的な内容が多々盛り込まれており、大変参考になる。
・現状の脅威
また、このレポートは、「現在の脅威についての分析」から始まっている。正しく現状を把握しなければ分析も対策も正しいものは出てこない。しかし、実際には過去に行われた調査研究の多くには問題があり、正しく現状を把握するにはほど遠いものだった。
ここで取り上げられた脅威は6つ。
Ideological Hybridisation かつてのような固定的なイデオロギーはなく、さまざまな形で反応が現れ、変化してゆく。したがってイデオロギーに注目した介入には効果がない。
Organisational Decentralisation 階層のあるピラミッド型の組織ではなく、個人あるいは小規模のグループがネットでゆるくつながっている。そのため全体像を把握しにくく、対処が難しい。
Transnationalism 国境を越えたネットワークが広がっている。
Aesthetics and Culture 視覚に重点を置いたカルチャーがあり、美学がある。
Platform Amplification SNSプラットフォームはこうした過激な活動を増幅させるアルゴリズムを持っていることが多い。
Mainstreaming Extremism もはや過激派は少数派でなく、多数を目指している。
・公衆衛生モデルを援用した4レイヤーの対策
公衆衛生モデルを援用したデジタル影響工作対策の重要性ついて、私は以前から何度も紹介してきたので、下記を読むと大まかな内容がわかると思う。
誤・偽情報対策の決め手? 公衆衛生フレームワークは汎用的な情報エコシステム管理方法だった、 https://note.com/ichi_twnovel/n/n51fa79a327ab
今回のレポートではより具体的にプロアクティブな対策の必要性などが整理されている。はっきりと、過去の対処=アカウントや投稿の削除などは常にモグラ叩きの状態に置かれ、同じことの繰り返しで解決には遠かったことを指摘している。
また、注目すべきは社会的弱者への支援が盛り込まれていることだ。これは公衆衛生モデルを用いて、原因に対処する典型的なアプローチであり、これまで不可視化されてきた人々が安全保障上の脅威になる前に手を打つというプロアクティブな対策だ。
・対策のためのモデル構築とその評価の方法
対策の立案と評価についても指針を示している。定量的な評価が可能となるように最初の段階で設計しておくことの重要性が指摘されており、評価方法も具体的な手法をあげて整理している。チェックリストや考慮すべきリスクもあり、参考になる。
開発途上ではあるものの、これからの対策の方向性を示すレポート
もちろん、これはまだ開発途上であり、実践を通じてより具体的になり、効果測定されてゆくのだろう。これまでの対策の問題点を整理し、進化する脅威の実態をまとめたことだけでも価値がある。さらに新しい対策モデルとして公衆衛生モデルを採用していることは大きな転換点となる可能性を示している。これまでデジタル影響工作対策では、社会全体のアプローチが重要とか、情報エコシステムとか、はては健全性とか、さまざまなアプローチがあったが、実用に耐えるものはなかった。
今後の発展に期待したい。