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「戦略研究34 認知領域をめぐる戦略」を読んだ。認知戦に関しての概念、定義および事例などをコンパクトに概観するにはとてもよい特集

戦略研究学会の「戦略研究34 認知領域をめぐる戦略」を読んだ。認知戦などの研究をリードする下記の3人の研究者が寄稿していた。

「認知戦に鑑みる対日本の攻撃アプローチの検討」(長迫智子)
「ハイブリッド戦争と認知領域の戦い」(大澤淳)
「認知領域における偽情報対策 ー カナダのアジェンダ・セッティング分析 ー 」
(桑原響子)


●概要

まず、長迫と大澤の論文が認知戦を概観しているのに対し、桑原の論文はカナダのアジェンダ・セッティングに特化している。そのため、全2者の論文は言葉の定義など概念的な話題の占める割合が多く、桑原の論文は具体的かつ定量的な分析が多い。特に長迫論文は19ページの本文のうち10ページが概念および言葉の定義に費やされており、これに対して桑原の論文では1ページのみとなっている。

・「認知戦に鑑みる対日本の攻撃アプローチの検討」(長迫智子)

10ページが概念および言葉の定義に費やされているので、認知戦の全体像や定義について知るには格好の資料になっている。また、後段で想定される日本に対する攻撃や、その対策を論じているのは野心的で参考になる。

・「ハイブリッド戦争と認知領域の戦い」(大澤淳)

ハイブリッド戦、認知戦、ロシアおよび中国の攻撃の特徴や手法がコンパクトにまとめられており、概念や言葉の定義も示されていてガイドとしてわかりやすく、参考になった。

・「認知領域における偽情報対策 ー カナダのアジェンダ・セッティング分析 ー 」(桑原響子)

「認知領域における偽情報対策」とは書いてあるが、内容は「カナダのアジェンダ・セッティング分析」が中心である。絞り込まれたテーマであり、日本ではほとんど見ることのないものなので、非常に参考になった。また、定量的な分析を行っている点もよかった。

といった感じで、認知戦に関しての概念、定義および事例などをコンパクトに概観するにはとてもよい特集になっていたと思う。また、日本に対する攻撃および対策についての長迫の野心的な論考や、桑原のカナダのアジェンダ・セッティング分析は他ではあまり見ることがないものなので、こちらも関心ある方には読む価値があると思う。

●感想

この特集はおすすめなのだが、気になった点もあった。
以前から何度も言ってきたことだが、認知戦や情報戦、あるいはデジタル影響工作が関係する領域は広く、学際的である。そのためできるだけ網羅しようと考えてもどうしても漏れるものが出てくる。「認知戦に鑑みる対日本の攻撃アプローチの検討」と、「ハイブリッド戦争と認知領域の戦い」にはもろにそれが出ていた。
個別にあげるときりがないのだが、紹介されている概念的な枠組みはしばらく前に欧米の研究者が使っていたものである。現在進行形の状況とはじゃかんそぐわない感じがする。たとえば、認知戦で中国やロシアが行った攻撃には見るべき効果がなかったという多数の論文はここでは触れられていない。同様に対策についても効果が検証されていないことも触れられていない。このへんについては私の最近のnoteの誤・偽情報の見直しを見ていただくとよくわかる。

見直しが始まった誤・偽情報対策 ほとんどの対策は逆効果だった?
https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2024/05/post-56.php
誤・偽情報対策の決め手? 公衆衛生フレームワークは汎用的な情報エコシステム管理方法だった
https://note.com/ichi_twnovel/n/n51fa79a327ab
現代は偽情報の時代ではない #偽情報の神話 #1
https://note.com/ichi_twnovel/n/nfcc129d84edb

長迫論文では「複数の情報源にあたるラテラル・リーディング」が推奨されているような箇所があるが、これを否定する論文(かなり精度の高いもの)が存在する。

ニュースの信憑性を調べるために検索すると偽情報を信じる可能性が高まる Nature論文
(「Online searches to evaluate misinformation can increase its perceived veracity」の紹介)
https://note.com/ichi_twnovel/n/n1a495ff32969

大澤論文についても同様にロシアや中国が行ったことに効果があったことを前提に論が組み立てられている。

また、現在ロシアや中国はアメリカの大統領選挙においてサイバー攻撃の優先度を大幅に下げ、影響工作の優先度をあげていることにも触れていない。

米国インテリジェンス・コミュニティの評価の変化からわかる新しい認知戦のトレンド
https://note.com/ichi_twnovel/n/n30ab8574915c

とここまで書くとまるで中露の認知戦には効果がないと言っているかのように見えると思うが、そうではない。中露の認知戦に対して、欧米のような対策を行うことで効果が発揮されるのだ。現在、欧米の主流になっている認知戦対策は、逆効果になっている。また、欧米が対策していないパーセプション・ハッキングデータボイド脆弱性は効果がある。要するに中露は直接の効果がなくても逆効果になる対策を欧米に行わせるという二次的な効果と、パーセプション・ハッキングやデータボイド脆弱性に目が向かないようカモフラージュすることに成功していたと言える。

お二方の論文は完成度高いものであり、揚げ足をとりたくて瑕疵をあげつらっているのではない。ここで例としてあげたことは欧米が最近気がついたことであり、中露は最初からわかって二段構え(もしかすると三段以上かも)でやっていた。欧米では見直しが始まっている一方、日本が旧来の欧米型を手本とみなして予算と組織を拡充している。非常に危ない気がする。ちなみにパーセプション・ハッキングは2016年のアメリカ大統領選を分析したレポート、データボイド脆弱性は5年前に公開されたレポートで指摘されている。Metaは四半期毎の脅威レポートで繰り返しパーセプション・ハッキングの危険性に触れていた。気がつかない方がおかしかったと言ってもいいかもしれない。
特に中国はデータボイド脆弱性を利用した攻撃を行うことが多い(ある意味、自動的にそうなっているとも言える)。日本にとって注意しなければならない。

5年間ほとんど放置されていた情報戦兵器データ・ボイド脆弱性とはなにか? その1
https://note.com/ichi_twnovel/n/nf5e0789e96e1
実態編 データ・ボイド脆弱性とはなにか? その2
https://note.com/ichi_twnovel/n/n3523739724f1

最後に、攻撃や対策は効果の検証が不可欠である。認知戦やハイブリッド戦などが社会全体での攻撃と防御であるなら、その成果は社会の安定性、依って立つイデオロギー(欧米や日本の場合、民主主義的価値感)の堅牢さで図られるべきだ。それで言うと、欧米は全く成果をあげていない。ウクライナ2年目の総括でも書いた通りだ。

DFRLabウクライナ侵攻2年目の総括の感想 #DFRLab_U2nd
https://note.com/ichi_twnovel/n/n4605b841d507

話しは変わるが、桑原論文はとてもよくできていたと思うし、他では読まないものだった。かねてから、市原麻衣子、川口貴久、桑原響子、笹原和俊、藤代裕之、齋藤孝道の6人が日本のこの領域の研究をリードしていってくれることを期待していて、実際そうなりつつあるのはとてもうれしい(謎の上から目線ですみません)。もちろん、他にも素晴らしい研究者の方はおり、今回ご紹介した長迫智子、大澤淳もそうだ。浅学非才の身としては常に学ぶべきことがあるのは喜びたい。

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