【日記】古文・漢文
学生時代、苦戦したが好きだった教科がいくつかある。その中の一つが国語の授業。
その中でも古文・漢文は好きだった。内容もさながら、その独特な言い回しやリズムには何とも言えない心地よさがあり、とても惹かれていた。
しかし、『好きこそものの上手なれ』と言うけれど、こんなに好きなのになかなか成績が上がらない…。
この状況は結構辛かった。
今となっては、工夫や量が足りなかったということなのだろうと分かるのだが、その当時は好きで真面目に取り組んでいれば自然と成績も上がるものだと思っていた。
念の為、『好きこそものの上手なれ』の意味を確認しておくが、以下の通りである。
私は勉強が好きで、ノートをとることや辞書(紙製の分厚い本の方)を引くことが大好きだったのだけれど、記憶力は乏しかった。
宿題は当然全てやるし、問題集を解いたりもするのだけれど、おっちょこちょいで早とちりの性格も相まって、成績はなかなか伸びず…。
出題される問題文によって点が上がり下がりしていた。単語などの意味を記憶していれば解ける問題に関しては、「あぁ〜!あの時やったヤツ!」と勉強した日にちや曜日、時間帯は思い出せるのに内容が思い出せないというカナリ可哀想なタイプだった。
そんなこんなで苦手意識は未だに拭いきれないものの、やはり好きなものは好きなわけで。
大人になってからも古文・漢文が好きなことに変わりはなかった。
あの読んだ時の、流れるような音のつながり方や、独特な小気味よいリズムが好きで、意味はきちんと理解できていないのだが、どうにも引き込まれてしまうのだった。
のちのち、私の書こうとする文章にもこのような引き込まれてしまう様なリズムを持たせたいと思っているのだけれど、
頭で浮かんだ言葉をこうやってnoteの記事として書いてみて、私はそういうところを目指しているのか。と気付かされた。
何気なく書いてきた文章。
今まで人に見せることはほとんどなかった。
ただただ長く、同じことを繰り返すことが多い点は私の文章の悪い癖だとも思っていた。
しかしながら、長くなったとしてもこのように頭の中に思いつくまま書いてみて、同じように繰り返す言葉は、意図しないところで重要視していること、
そして、どんな内容からスタートしても同じ場所に行き着くということは、それだけ大事にしている内容であるということ、
そして、それだけ多くのルート・経路があるということ
を示しているとも言えないだろうか。
古文・漢文の『好き』から、私の目指そうとするポイントが見つかった。
私が今も大事にしているポイントというのは、どうやら学生時代に多くヒントがある様だ。
それだけ私が精一杯過ごした場所・時間であり、時間に対する密度が高かったということだろう。
今過ごしているこの時間は、数年後に何かをもたらしてくれるだろうか。
ハッキリ言って自信がない。
これからの人生、数年後に新しい気づきを与えてくれるような有意義な時間にしよう。
学生時代ほどに密度を高めるのは難しいだろうが、きっと出来ることはある。
自分の『好き』で毎日を埋め尽くしてみよう。
日々心が満たされるだろうし、さらに数年後の自分の為になるだろう。