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【日記】所作

最近出会った所作の美しい人の話。

多くの人が気付いていないかもしれない
気にする人なんていないかもしれない
気付いたからといって特別何も感じない人もいるかもしれない

しかし私は、その方の美しい所作のおかげで、その時間を大変心地よく過ごせた。

指先までピンと伸びた手で品物を私に差し出して下さったり、行く先を丁寧に示して下さったりしていた。
もう一方の手も、絶妙な位置に美しく添えられていた。

その場は初めてではなかったが、その方に接客していただいたのは初めてだった。
今まで接客して下さった方のフレンドリーで親しみを感じるものも大変嬉しかった。

しかし、今回接客して下さった方の、
まるでこちらがお嬢様にでもなったかのように丁重な扱いなのに、かといって距離があるようにも感じない、やり過ぎ感のない所作の美しさに心地よさを感じた。

今まで私は、人によってキャラクターというものがあり、美しい所作を追求するよりも親しみやすさの方が適する場合がある。と思っていた。
つまり所作の美しさは、どこか神聖な雰囲気をも纏うので、人を近寄り難くする側面があり、親しみやすさとは相反する要素を持っているものだと思っていた。

ところが、その方はそのどちらをも適度に有しており、私に少しの距離感も感じさせることなく、心地よさを与えてくれた。

その方は、それを当然のようにサラッと行っており、鍛錬などによって身についているものではなく、その方の育ちとか姿勢とか…そういうものから自然と形成されているもののように感じた。

私自身、仕事モードというものはあり、指先まで気をつけるべきとも思っているが、なかなか意識しないと難しい場面もある。
この方のように、ごく自然に、流れるように、そしてさりげなく行われるものこそが美しいのだなと感じた。

まだまだ、私にはいろんなものが足りないなと感じると共に、実に素晴らしい方の素晴らしいものに触れることができたなと思った。

複数人と関わりながら生きる人間が、お互い気持ち良く過ごす為に出来ること。その方法は一つでない。
一つ一つ実行していったり、上を目指して融合させてみたり…まだまだやれることはありそうだ。

どの世界にも攻撃的な人はいる。その中や近くで生きることはカナリ辛い。
みんながみんな、少しずつ相手のことを気遣うだけで、より素晴らしい世界になるというのに、それが出来ない人、それをしようとしない人は本当に可哀想な人だと思う。

因果応報。
人を傷つける人には、必ずその傷付けた分だけの報いがある。

自分が今どんな人間で、本当はどんな人間でありたいと思っているのか、今一度考えさせられた。
心のキレイさ。それは行動にも現れる。
行動に滲み出るくらい、真に心の美しい人間でいたいものだ。

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