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【日記】その選択を正解にすればいい

日々過ごしていると色々なことが起こりますよね。
他人にとってはなんてことない内容でも、その人にとっては一大事だったり、
他人から見ても自分から見ても危機的な急を要することだったり、
日常のちょっとしたことで、別に大したことではないようなことだったり…。

その色々な状況も、そうなる前の自分の言動で変えられたかもしれない。
そう思い悩むこともあるでしょう。

人生は選択の連続とはよく言ったものですが、
あの時こうしていれば…
あの時こっちを選んでいれば…
あの時……あの時……。

こう書いているだけで沈んだ気持ちになってきてしまいますね。

しかし、
あの時こうしていれば…
あの時こっちを選んでいれば…という、
いわゆる『たられば』は、中には語るだけ時間の無駄だと言う人もいますが、私は一概にそうとは言えないと思っています。

その時は辛いかもしれないけれど、きちんと向き合う時間も必要だと思うのです。
同じ過ちを犯さない為に。

その時を後悔しているならば、その後悔を二度としないように対策を練らねばならないと思うのです。

ただ、そのとき選んだ選択を変えることはできないので、ずっとその選択を悔やむばかりではいけないとは思います。
選ぶ前にはどうやっても戻れないので、その選択をして良かったと言えるような、人生をよりベストなものにもっていく方法を考えるという方向にには切り替えれば良いと思うのです。

あの時の失敗があったから、
あの時のこっちの道を選んだから、
今の幸せな私がいる

そう言えるように、今選んだ道を正解にしていくしかないと思うのです。

その為には辛い時間も過ごさなければならないでしょう。努力もしなければならないと思います。

しかし、心身が壊れさえしなければ、必ずそれは自分の糧になる。
私はそう思います。
体が資本。
これは絶対です。
自分の生命ほど大事なものはありません。
自分の命を大切にできて、初めて他人を大切にできる、私はそういう考え方です。

しかし、その選択により、病んだり怪我をする状況ではないのであれば、期間を決めて少しだけ挑戦してみる。
(この期間の設定は非常に難しいけれど、初めは数時間、数日、数週間単位の短期間で少しずつ延ばしていく)

ただ、心が壊れていないかどうかは期間に関係なく毎日一回は確認する時間を持ちながら。
(心の痛みは気付きにくいものです)

そして、決めた期間が来たら振り返り、できるようになったこと、気持ちの上で良い変化があったかどうかを探します。

そしてもしそれが見つかったなら、保育園の先生が幼児を褒めるように、些細なことでもガンガン褒めるのです。
ジャンジャン持ち上げるように褒めるのです。

それで気分がのれば、きっともう少し挑戦できると思います。

ただ、探して見つからなかったら…
次の道を考えつつ、もう少しだけ振り返る時間・期間を取ります。
質問を投げかけて答えが出ないまま過ごすと、頭の中にその疑問が残っていて、答えが見つかることがあります。

それでも見つからなければ、その選択が誤っていたということが分かった
という気付きを得られたと捉えて、
前向きに次の選択、次の道を模索すれば良いと思います。

その次の選択は、確実に今回の選択より良いものが選べるはず。
だって今回の選択は間違いだったと気付いたのだから、その選択肢は選ばないだろうから。

そうやって確率を上げていく作業こそが、
誤ったと後悔するような選択肢を正解にしていくことになると私は思っています。

人生いろいろ。
20代では間違った選択でも、30代なら正解かもしれない。
あの時はダメだったけど…今なら大丈夫かもしれない。そんなこともあるかもしれません。

しかし、それを知っているのと知らないのとでは雲泥の差があります。

知っていること・経験したことはその人の財産。他の人と同じような体験でも、全く同じということはありえません。
年齢やタイミング、状況、得意不得意、感情が全く同じだなんてあり得ないのだから、全く同じ経験・体験にはなり得ないですよね。

だから、自分よりも辛い人はいるからこんなことで弱音を吐いてはいけない…
なんて思わなくていいのです。
辛い時はきちんと自分で辛いことを認識して認めてあげる。
そして、労わってあげる。
その上で、元気になれる道を探す。
そして少し前が向けるようになったら、その経験を正解にするにはどうしたら良いか模索してみるのです。

自分の辛く苦しい経験・体験は、誰かの為に活かせたら、昇華されていくと思います。

話が聞けて良かった、教えてもらって良かった、同じ境遇の人がいるとわかっただけで救われた、
そんな風に言ってもらえたら、嬉しいですよね。

自分の辛く苦しい経験があったからこそ、誰かを救うという素晴らしく新しい経験に繋がったのだから。
それは紛れもなく辛い思いをしたあなたでなければできないこと。

その経験を他人に明かすことは、そう容易いことではありません。
しかし、そこで一歩踏み出すことも選択の一つ。
それをするかしないかは、あなたの心や身体と相談すれば良いのです。
チャレンジするタイミングや心境かどうかを自分と相談してみるのです。
無理にする必要はどこにもありません。
自分の道を正解にするのに必要だと判断し、やってみようと思えるならやってみるのも一つ。
それも選択。

あってでもこっちでも、人との会話の中でも自分の心の中でも選択、選択、選択…選択にまみれています。

人生は一度きり。
自分を大切にしつつ、自分のことを信じて、自分の心の声も聞いて、未来の自分が『あの時こっちを選んで良かった』、『あの時こっちを選んだから今私はこんなことができている』、『こっちを選んで正解だった』と言える選択を一つでも増やしていきたいと私は思います。

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