
ネイサン・チェン「ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ」
・本書は、2017年の全米選手権で史上初めてひとつのプログラムで5本の4回転を成功させて「クワドキング」の称号を授かり、2022年の北京オリンピックで優勝し、五輪金メダリストとして男子フィギュアスケートの歴史に名を残したネイサン・チェン氏(以下、ネイサン氏)の自伝。
・ネイサン氏は1999年、米国ソルトレイクシティに生まれた中国系アメリカ人で、故郷ソルトレイクシティで開催されたオリンピックが開催された3歳でスケートをはじめる。
・ネイサン氏は幼少期からさまざまな支援を受けている。ネイサン氏家族のアメリカの暮らしは楽ではなく、ネイサン氏の父親も当時、ソルトレイクシティにあるユタ大学の学生で、大して稼げなかった。
・そんななか、ネイサン氏の両親は子どもたちが好きなことをつづけられるよう算段し、家族はさまざまな講座や奨学金を受けることができ、ネイサン氏や兄弟たちは音楽やダンスのレッスンにかようことができた。
・2007年の夏、ネイサン氏の父はマイケル・ワイス財団(若いスケーターに奨学金を授与する財団)を知り、その財団にメールを出し、速達郵便で200ドルが送られたのを皮切りに、以後10年以上にわたり、ネイサン氏は奨学金としえ7万5千ドルを受けとった。
・ネイサン氏は金銭的な援助だけでなく、コーチをはじめとして、多くの人々の温かな支援にも恵まれる。
・ネイサン氏のコーチたちはけっして規定の料金を請求せず、無料でレッスンを延長して数えきれないほどの時間をネイサン氏と氷の上で過ごした。
・また、スケート靴やブレードのメーカーからは、製品を提供してもらい、ネイサン氏の急な依頼に応じて、無料でブレードを研いでくれた人たちが何人もいた。
・ネイサン氏のスケート費用の捻出のために、ネイサン氏の母親も大きな犠牲を払った。地元の病院の通訳(中国語しか話せない患者が医師とやりとりするのを手助けする仕事)になり、ネイサン氏が学校に行っているあいだにさまざまなパート仕事をしていた。さらに、よその家の掃除の仕事をしていた。
※ネイサン氏のスケート人生のはじまりについては、本書をお読みください。
・ネイサン氏は2018年の平昌オリンピックに選出される。しかし、ネイサン氏の心は恐怖でいっぱいで、「絶対になにがなんでも勝たなくてはいけない」という気持ちだけであった。
・当日の団体戦ではジャンプのミスや転倒など、予定していた演技がうまくできなかった。
・個人戦ショートプログラムに挑んだ際、母親から「明日のフリーはノーミスで滑って。あなたならできる」というお願いを受け、6本の4回転ジャンプで一度もころばす、フリープログラムでは1位を取ることができた。
・フリープログラムでトップに立ったとはいえ、結果は5位であった。それでもネイサン氏は、フリープログラムをやりとげたことに誇りを感じたし、すべての選手がオリンピックの瞬間を経験できたことを嬉しく思っていたとのこと。
※その経験を踏まえて、どのようなプロセスを経て、北京オリンピックで金メダリストになれたのかについての詳細は、本書をお読みください。
・本書では、「ネイサン氏がスケートを始めた経緯」「ジュニア時代の活躍」「平昌オリンピックでの挫折」「コロナ禍でどのように過ごしたか」「北京オリンピックで金メダルを獲得するまでの秘話」など、ネイサン・チェン氏が北京オリンピックでメダルを獲得するまでのエピソードが赤裸々に書かれた内容となっている。
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