【PR】車浮代「蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人 歌麿にも写楽にも仕掛人がいた!」
・本書は、時代小説家として、20冊以上の著作を世に出すほか、江戸料理の動画配信も行う著者が、江戸時代「浮世絵黄金期」と呼ばれた時代に、喜多川歌麿、東洲斎写楽、曲亭馬琴といった名だたる浮世絵師や劇作者たちを世に送り出した「江戸の出版王」と言われた「蔦屋重三郎の生涯と功績、彼が見出した江戸文化を創った13人の絵師と作家について紹介した1冊。
・蔦屋重三郎(以下、蔦重)は、1750年に吉原で生を受ける。蔦重が数え7歳の時に両親が離婚し、2人とも吉原を離れるが、蔦重はそのまま吉原に残され、仲之町にある引手茶屋「蔦屋」を経営していた喜多川氏の養子となる。
・こうして彼は、「丸山柯理」から「喜多川柯理」へ、そして屋号である蔦屋を継いで「蔦屋重三郎」と名を改めた。
・蔦重は江戸時代の、天明〜寛政期(1781年〜1801年)に、版元として活躍した。版元とは現在にたとえれば、出版社と書店を兼ね備えた職種で、印刷所や製本所を持っている版元もあった。
・版元の社長である蔦重は、自ら編集と、出版プロデューサーの役割も果たした。蔦重がプロデュースした浮世絵師や劇作者(作家)には、次のような人物たちがいる。
◇浮世絵師……喜多川歌麿、東洲斎写楽、鍬形蕙斎(北尾政美)
◇劇作者……山東京伝(北尾政演)、曲亭馬琴、十返舎一九、恋川春町、朋誠堂喜三二
・この中で、蔦重が発掘して大出世した人物の代表格が、浮世絵師の喜多川歌麿(以下、歌麿)である。
・蔦重と出会った当初の歌麿は、画力はあるものの、いまひとつパッとしなかった浮世絵師だった。蔦重は、そんな歌麿をら恋女房ともども店舗兼自宅に住まわせ、その才能を開花させた。
・歌麿が本領を発揮するのは1789年。元号が「天明」から、「寛政」になってからである。
・この頃、松平定信による「寛政の改革」がおき、蔦重は財産の半分を没収され、男女の営みを描くような出版が、やりにくくなる。
・歌麿の美人画の代表作といえば、1790年代から始まる『婦女人相十品』や、『婦人相學十躰』のシリーズ。そして1793年に始まる『歌背撰戀之部』などの、「美人大首絵」のシリーズである。
・「大首絵」は、もともとは役者絵の世界で描かれていた、バストアップ、あるいはウエストアップの肖像画である。
・これを美人画に生かすことで、細やかな表情を描き分ける歌麿の才能は、女性の魅力的な表情を引き出すことに成功した。
・「美人大首絵」がヒットした背景には、蔦重の巧妙なプロモーションもあったことは見逃せない。
・ただ単に「女性の美しい絵」では、アート好きの人は評価しても、普通の庶民は「欲しい」とは思わない。そこで当初、蔦重は人気の遊女を描かせたり、お店の看板娘のような「評判の美人」を描き、絵に彼女たちの名前を入れて売り出すといった、現代でいうアイドルのプロマイドやグラビアのような発想を実践したことで、大当たりして売れに売れた。
・しかし、幕府は、「美人画に特定の人物の名前を入れてはいけない」というお触れを発令する、という明らかに蔦重のみをターゲットにした出版統制をおこなったのだ。
※そこで、蔦重と歌麿は「ある事」をして幕府に対抗し、人々の喝采を浴び続けた。その「ある事」の詳細は、本書をお読みください。
・本書は、「蔦屋重三郎とは何者だったのか?」「江戸文化を創った13人-蔦屋重三郎が見出した絵師・作家」という2部構成となっており、
◇蔦屋重三郎が生きた時代はどんな時代だったのか
◇蔦重はどのようにして世に躍り出たのか
◇なぜ蔦重のもとで、喜多川歌麿や曲亭馬琴といった絵師や作家が開花したのか
◇蔦重がプロデュースした絵師や作家の作品のマル秘エピソード
といった知ると江戸時代の浮世絵や物語に触れたくなるお話や、2025年の大河ドラマに興味を持つ内容が収録されている。
※2025年の大河ドラマは蔦屋重三郎が主人公で、横浜流星さんが主演を務めます!
著名な江戸時代のアーティストを世に輩出した蔦屋重三郎の功績は、現代の世界の芸術に多大な影響を与えたものだと本書を読んで感じました。日本の芸術の底力や、誇りを感じ、「影の立役者」に魅力を感じる作品となってますので、ご興味ある方はご一読ください。
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