心を動かせるものをつくれる人になりたかったこと、思い出した

心待ちにしていたゲームを金曜日からやっている。
龍が如くシリーズの最新作なのだが、始めて3日にして、もう時間を忘れるほどに楽しい。

なぜ、こんなにゲームは楽しいのだろう。
ゲームの体感時間とリアルの時間経過があまりにも違いすぎてびっくりする。

お昼くらいにゲームをはじめたのに、気がついたら夕陽が沈みかけていることなんてザラにある。

不思議なものでゲーム中はそこまでお腹も空かない。
脳から何か特殊なホルモンでも出ているのだろうか。


数年前は朝から晩までゲームをやっても疲れなかったが、最近は座りっぱなしだと腰が痛くなるし、ずっと画面を見ていることにも疲れを感じるようにもなった。

それでも、それを上回る楽しさと充実感がゲームにはある。

自分の気質も相まってなのか、他の人よりもゲームのキャラやストーリーに感情移入してしまうし、深く考える。
その結果、自分のもう一つの物語ではないが、自分事で見てしまうため、毎度毎度クリア後の余韻がすごい。

1週間くらいはそのゲームのエンディングについて考えたり、キャラごとの心情に思いを馳せたり、客観的な考えも見たくて他の人の考察を読んだりする。


とにもかくにも、ゲームは最高の娯楽だと思う。
値段はだいぶ上がってきているが、2周目をプレイすることやクリア後の要素、クリアまでのボリューム感も含めるとある程度納得できる。

むしろ、技術の進歩で映画と見まちがえるくらいのグラフィックや壮大な音楽、濃厚なストーリーなど、1万円以下でそれが味わえると思うと安いのかもしれない。


ゲームをプレイするたびに、ゲーム制作に携わっている全ての方々に感謝と敬意を感じずにはいられない。

ゲームに限らず、映画や本、漫画やアニメ、どれもこれもたくさんの方々の熱意や苦労からできているのだと思うと、本当に頭があがらない。

試行錯誤を繰り返し、意見や議論を交わし、様々な人手や想い、知識や経験が合わさって一つの作品となる。

そうして世に放たれたものが、こうして手に届いて、喜びや感動、哀しみや驚きなどを与え心をゆり動かす。

なにかをつくるということに憧れや羨ましさがあるのは、そういったところからなのかもしれない。


人の心を動かせるものをつくれる人に憧れた。
人の心を動かせるものをつくりたいと思った。

そして、誰かの心を動かせるような人になりたかったことを思い出した。

中学生の頃、周りが全部敵に見えて、何もかもうまくいかなくて、どうしたらいいのかも分からず自暴自棄になっていた。

そんな時に一つのゲームに出会った。
FF13。
いまだにあのゲームをプレイしたときの衝撃とクリアした時の感動を忘れられない。

あの時からだ。
なにかをつくる人になりたい、叶うなら誰かの心を動かせるようなものをつくれる人に。

そう、思うようになった。

一日一日を生きるのに必死で薄れていたけど、心の奥底で、まだその想いは消えていなかった。

ずっと、そこにあった。


思い出せてよかった。


ものづくりがしたいという根底には、中学生の頃のあの思い出がある。


あれから10年以上が経って様々なことが変わったけど、ゲームの面白さも、何かをつくりたいという思いも変わらなかった。


きっと何年経っても、何十年経っても、この気持ちは変わらないのだと思う。


なら、その気持ちを抱えて、その夢が叶うように生きていこう。


どんな形でもいいから、0からなにかを生み出してみたい。
そしてそれが、たった一人でもいいから誰かに届いて、あの時の自分のように心が動いてくれたら、こんなに幸せなことはない。

心を動かす、というのはちょっと傲慢かもしれない。
ただ、誰かに届けばそれだけでいい。


そこから何を得るかは、その人の自由だ。
どう受け取るか感じるかも、その人次第。


だからそこまで気負う必要もない。
私がやりたいことをやって、それが届くだけで充分なのだから。

その時にならないと本当のところは分からないけれど、今はそう思う。



久しぶりにFF13がやりたい。
PS3のゲームだったと思うが、PS5でリメイクしてくれないだろうか。


とりあえず、今は目の前の「龍が如く8外伝 Pirates in Hawaii」を楽しむことにする。






いいなと思ったら応援しよう!