気づき、そして決意
(2021年3月4日「カサンドラ・デイズ」 投稿)
2013年秋から2015年春までの約一年半、私の心の動きは怒涛のようでした。
2013年秋ごろ、ASDという言葉もカサンドラという言葉も知らない中で心身の疲れがピークになり、このままではダメだと夫と再構築を試みるも希望はなく…その一年後の2014年秋にふと「予定がたてられない」などなんのあてもなく検索したら発達障害系のブログにヒット。読み進めるうちにそれまでの頭の中のモヤが一気に晴れるような、光に打たれるような衝撃を受けました。
「これだ…!」
そう確信しました。
2013年9月 ~休み方もわからなくなるほどの疲れ~
今思うと、このころの疲れ方ってやはり尋常じゃないなと思います。体が疲れ切ってるだけではなく、精神的にも常に追い詰められているようで、時間を無駄に過ごすことがまったくできませんでした。強迫観念のようなものにとらわれていました。
時間を一切無駄にできない動きは、子供たちが保育園児だった時代に身についたものでした。
預けていた保育園はとても信頼できるところだったのですが、お迎えの時間が厳しかったのです。会社帰りにわずかな一人の時間を取るのも厳しい目で見られました。
「お仕事が終わったら寄り道せず直行してくださいね。お子さん待っていますから」
そう言われていました。
確かに、仕事が終わったのに保育園に子供を預けたままのんびり友達とお茶するなんてありえません。特別な用事でもない限り、親は急ぎ迎えに行って子供を安心させるべきです。
ただ、これをやるのが母親だけ、となると、その生活の異常さに気づくと思います。
朝はバタバタと子供二人と自分の分の支度をして、保育園に連れて行き、会社に行く。
時短勤務で周りに頭を下げながら、短い時間で一人前の仕事をするため息抜きもせず働く。
お迎えの時間に間に合うよう鬼のような気持ちでその日の仕事を終わらせ、お迎えに走る。
保育園に到着し、子供たちを引き取る。
就寝まで子供の生活のサポートをして、気絶するように眠る。
目が覚めた瞬間から子供の生活のサポートが始まる。
これが8年間続きました。
仕事を続けると決めたのは自分だったのでやるしかありませんでしたが、今振り返っても過酷だったし、危険だったと思います。時間や心にこれっぽっちも余裕がありませんでした。
もちろん子供たちの可愛い笑顔や成長の楽しみに支えられていつでも元気がわきました。
私にできることなら何でもしてあげたい、という気持ちでいっぱいでした。
しかし、二人はまだまだ幼くて、なにかと手のかかる毎日でもありました。
この状況を見て理解し、負荷を少しでも軽くしてくれるパートナーだったらよかったのにと思います。