主観と客観に差が生じうる目標
5.12.火
今日は朝からサッカー部のミーティングをして、トレーニングをしてそれからは勉強し続けているという、いつもと変わらない生活をしている。
今日の朝のミーティングで自分達の組織の目標についての話し合いが行われた。
今日は「主観と客観に差が生じうる目標」について話していきたいと思う。
まず具体的な話からすると
関西大学体育会サッカー部の目標である「全員サッカーで日本一」について解像度を上げるために話し合いが行われた。
そもそもこの「全員サッカーで日本一」という目標はどういう状態であれば達成なのか。
定量的な日本一という目標に対しては主観と客観は一致しているため、日本一を達成したかしていないのかの判断は共通認識を取ることは容易である。
しかし全員サッカーで日本一という目標は特にどういう状態であればいいのかは不明瞭である。
ある選手は「日本一になった時に自分は〇〇で貢献したと胸が張って言えることである」という。
全員サッカーというものをこういう定義で考えた時に、次に起こりうるのは主観的に見た自分と客観的に見られている自分の乖離である。
自分はこれで貢献したと考えていても他社の基準は満たしていなかった場合、それは目標が達成したか
逆に自分は貢献できていないと思っていても、周りが貢献していると判断したら、それは達成なのか・・
というように主観と客観が乖離する可能性がある目標は組織に大きなモヤモヤ感にもたらす。
このままだと関西大学体育会サッカー部は日本一を取った時に
日本一という目標は達成されたけど「全員サッカーで日本一」という目標は達成されたのか、選手によって変わってしまう。
つまり何が言いたいかというと、目標は目的の手段であるがゆえに定量的で達成できたのか達成できなかったのかを明確にする必要があると思う。
そもそも目的やビションは自分達が実現したいことや存在意義であるため抽象度は高くなることが多いが、目標も目的につられて抽象度を高くすると、組織の共通認識を取りづらくなってしまう。