
国際開発学を学ぶきっかけ
世界平和の第一歩は、自分が今この時を満ち足りた気持ちで過ごすことなんじゃないかと思う。
自分が幸せだと思えて、できればそれを誰かと共有できること。もしくは誰かを幸せにすること。
発展途上国で思い出すこと。よくアフリカの子供達は食べるものもないのよ!食べ物があるだけありがたいんだから、残さず食べなさい!と親が子供に言うのを聞く。漫画やドラマとかでも見る。
なんかずれてる気がしてしまうのは何故なのだろう。てか、論理的になんか足りないのだ。確かに飢餓に苦しむ人がいるのも事実だけど、でも、子どもにそう言う親たちのほとんどは、アフリカに行ったことなんてない。
他にも疑問はある。なぜそこにアジアは出てこないのだろう。アフリカがインドに置き換わる家庭もあるのかもしれない。あと高学歴ならバングラデシュとか。
食べ物があるのがありがたいというのもわかる。でもなんかそれって、、
自分はアフリカの子供達に対してどういう気持ちを抱けばいいんだろう。私だけお腹いっぱい食べてごめんなさい、とか?
お母さん食べさせてくれてありがとう、は分かる。問題はかわいそうな人と比べて、それよりはましだ、現状に感謝すべきだという不条理。
生まれる場所は選べない。そうだけど、私は誰々よりお金持ちだから、ラッキー。ってこと?
私が思うのは、誰かと比べてましだからという理由で感じる感謝や幸福感などばったもんだってことだ。
じゃあなんでお母さんは、お父さんは、アフリカの子供達を助けに行かないのだろうと思わなかっただろうか。なぜ食べ物を送らないのだろう。なんでそこにある格差を知っていて何もしないのだろう。
国が違うから?遠く離れている国での現状を聞いてもリアリティがないから?アフリカは優越感による幸福や充足を感じるためだけのファンタジーランドなのか。
そういうことを考えていたのもあって、今留学先で国際開発学という学問を勉強している。