モンゴルのドキドキハラハラな旅①20年前

モンゴルは恐ろしい国でした。

私は鉄道で中国から入りましたが、まず、国境を越えるのに恐ろしいほどの時間がかかり、人々の必死さと気合が違いました。

パスポートを見せて通過ができなくてゴネて揉めまくっている女性を初めて見ました。
とにかくゲートが厳しく、列が進まず、飲み物も売店もなく、

なかなか国境通過ができずに途方に暮れて困っていたら、
ニコニコしたモンゴル人が特別に早く通してあげるから、パスポートと、キャッシュをくれとか言ってくる人を信じそうになったり、

トラブルが多すぎて、そばに居た中国人と仲間になって何とかして、ウランバートル行こうね、と結託していました。

中国人は肉の商売をしに行くと必死な方で、誠実な方に見えました。


中国人は、仲間が先に入国しているから、連絡を取りたいと言っていて、入国後モンゴル人に引っかかり、電話はできたものの、法外な値段を要求され、

渋々払っていました。

首都に到着する列車を待つ間、モンゴルの駅員が、ここに外人は危険だからと、私と中国人を特別室に連れてってくれて、出発するまでここにいて、と案内してくれました。

どんな怖い世界なんや。

特別室では名古屋の相撲が流れていました。

中国人が「お腹すいたし、こんなとこ居てもしゃーないから散策しよう」と言ってきて

特別室から2人で抜け出しました。

感じの良さそうな庭のあるレストランを見つけて言葉は通じなかったけど、肉のてんこ盛りが出てきて、美味しかったです。

中国人とかぶりつく怪獣の真似をしてお互いに写真を撮りました。

列車の出発を待ち乗りました。

首都に到着するまでの列車には、人相の悪い体格のいい相撲とりみたいな人ばかりで、

モンゴル人の迫力を間近で見て思い知りました。

中国人と怖いよー怖いよーと言って、通り過ぎ、
何とか食堂車に辿り着きました。

中国人とは言葉が通じないのに不思議に完全に心?感情?が通じ合っていました。

メニューも読めないし、とりあえず、チキン!


店員さんも無愛想だし、言葉もわからない。

何かしら注文できましたが、これまた恐竜になった気分になる程の肉の塊で、またかぶりつく写真を撮り合いました。

また強面の柄の悪い、いかつい人たちで埋め尽くされた寝台列車に戻りました。

そんな事あっても、爆睡して朝を迎え、起きたら自分の顔がざらざらな事に気づきました。

寝台列車の窓の隙間から砂漠の砂が入ってきて積もった?

ウランバートルに到着しても、宿に行くまで、また一悶着あり、バネのついたでっかいトラックに乗ったチンピラみたいな人に値段交渉をして中国人と送ってもらいました。

無愛想な運転手で、始終、本当に連れてってくれるのか?緊張感がありました。

中国人という相棒がいたから乗り越えられました。
やがて、中国人も仲間と合流し、私も日本人宿についてお別れになりました。

ドミトリーで、私の指定された場所は、誰か寝ていた感が満載で、傍に、お湯の入ってたであろうカップラーメンが放置
伸び切ってパンパンそうなものが置いてありました。

庭でたくさんの日本人が縁を囲んで話していたので、仲間に入りました。

みんなこの後、どこに行く?みたいな話をしてて。
私は隣にいた60手前の感じのいい男性とお話ししました。

男性はいわゆる「日食マニア」、毎年日食を求めてあらゆる場所に日食の追っかけをしているんだとか。
今年は日食はモンゴルなんだとか。
えー。知らなかった!
男性は細身でスタイルが良かった。好きな日食を追っかける事が生き甲斐なので、独身。
公務員をしていて、座りっぱなしの仕事で、日食追っかけのために、体力保持したいと、スポーツジムに通い、バランスの良い食事を食べ、節約して慎しまく生活している。全ては日食のためだ!と。

日食の魅力なんて初めて知った。
気になったのでメールアドレスを交換しました。

もう会う事はなかったのですが、この方が後に、私の支えとなり、メル友になっていました。この方は私の旅の話の送られてくるメールの感性をとても褒めてくれて、癒しになりました。

私も毎年の日食の場所と成果を楽しみに長年のメル友となるのでした。



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