看護師4年目に突入した時の話

看護師3年目は
混合病棟で半年間過ごしました。

沢山の出会いがあり、本当に充実していました。

この時代看護師になる様な子は大体貧乏の長女でしたが、ごく稀に、お嬢様もいました。

年上のその人は、実家の土地も、なるほどと頷けるくらいの場所で、他府県で隣の隣なのですが、


実家に帰る時はタクシーを使用していました。

片道3万円!

その人は、そこそこ美人でした。とにかく脚が綺麗で、彼氏が海外にいるとかで独身でした。

私らにも振る舞いが凄くて、その脚になりたーいと言えば、愛用しているマッサージ店に連れてってくれてマッサージを奢ってくれたり

その後も、ご飯付きです。
なかなか入ったことのない上品な店に、看護師みんなでキャーキャー言いながら、沢山の料理を10分未満で平らげた時は、

お店の人が「さすが!看護師さん!」と言ってサービスしてくれて、楽しかったなぁ。

てゆうか、こんなに金持ちなのに何で仕事してるんやろう?!

ちゃんと三交代をこなしている先輩でした。

ある時、一緒に夜勤に入ったら、そのお嬢が、病棟の食器棚を開けたり、閉めたり、不可解な事をしていて

他の人が言うにはこの前は、カーテンを開けたり閉めたりしていたと。

後で分かったのですが、海外にいる彼氏?と別れたそうでした。

皆んな色々あるんやなぁと、思いました。

混合病棟での半年目過ぎる2月頃、混合病棟の婦長さんに呼び出されました。

婦長「来月から脳外科に戻ってください。脳外科の婦長に貴方を戻す様に頼まれました。脳外科,今年も半分くらい辞めるから、4月になる前の3月に、経験者である貴方が欲しいみたいで。」


鳥肌が立ちました。

またやり直せる!

そんな気持ちがしたし、私を必要としてくれる場所が存在してくれている事に、感動しました。

また、大仏パーマの婦長の元に帰る事になりました。

ていうか、来月って!あと2週間も無いし!

凄く嬉しい。やっぱり自分は、脳外科に戻りたかったんだな、心残りだったんだな、と思いました。

混合病棟はたったの半年で終わってしまいましたが。

脳外科に行く事に決まった時は嬉しかったけど、緊張と不安が一気に押し寄せました。

やはり、重みが、、、、
あんだけ苦しんだ過去があるのですから

胸騒ぎな日々を過ごしながら、混合病棟の仲間に別れを告げる2週間を過ごしました。



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