東京新婚生活2年目…1人でネパール何を求めていったのかな
初めてのネパール、2月は…かなり寒かったです。
飛行機がいっぱい置いてある、滑走路横の飛行場で突然、降ろされて。
えっ。
バスケットボールのカゴみたいなものに荷物を積まれて、手動で運ばれて、
そのカゴから自分の荷物を取り出して、arriveの建物にみんなで歩いて向かう
何て新鮮なんだ!!
到着した時に、ビザ持ってるか、持ってないか?と聞かれて
持っていないと言うと、30💲支払えばさっさとその場でビザを貼り付けてくれて、
入国したら、したでタクシーの声掛けの嵐で、市内にやって来て。
1人悲しげな貧相な顔の男性が声をかけて来て
何度聞いても一泊5ドル、シングル、ホットシャー、暖房ありと言うので
え?500円?!!
と思いながらついていくと、本当に普通に5$でした。
その兄ちゃんが、ネパール人の俺とお参り回れば、全部無料になるよーと
言われて、荷物置いて、すぐついていく事になりました。
確かに、無料になりました。
ネパール市街を一望できる展望台とか、一緒に回って、
途中…私の靴が何かに刺さり、異物感で歩きにくくなり、靴屋に寄ってもらって、破格の値段の靴を買って、
履いていた靴を処分して欲しいと、店の人に言うと、にいちゃんが、
ノープロブレム!!マイシスターユーズ!
と、包みました。
兄ちゃんは聞いたことのない、ネパールのど田舎に牛と住んでて、母親と妹はひたすらずーっと牛の世話をして生きてるんだよと言いました。
自分だけが首都カトマンズで出稼ぎをしている状態でした。
その兄ちゃんの寮?らしきところでは、入ってすぐに…大釜みたいなものに蓋がしてあって
なんだろうと思っていたら
生活用水でした。
これを横にある、風呂の柄杓みたいなもので汲んで大事に使ってると。
とても清潔とは言えない。。そして、私の履けなくなった靴を置きました。
寮には他におとなしそうなネパーリー1人と。やたら明るくてふざけたネパーリーがいて、4人で
チャイを飲みました。
彼らは農村の貧乏人達で、出稼ぎで寮に住んでて、タバコも1本づつしか買えないレベルで、1本を買いに行っては、戻って来て、と、せわしない。
色々お世話になったし案内してくれたし、
タバコを1箱づつプレゼントしました。
その後電気もない様なしけた寮で4人でタバコふかしながら、他愛のない話をして、
ネパールは、あれもこれもプロブレム!と、笑いをとって自分たちの生活を嘆いていましたが
どこか楽しそうでした。
翌朝、早朝1人で散歩。
霧もやが晴れない天気の中、どでかいホウキで、掃除しているおばさんの埃と、砂に塗れて空気が悪く、呼吸困難になりそうな中歩き回って、
雨がしとしと降って来て
傾斜のある道から雨と共に、血液がダラーーーーと流れて来て、えっ?、
と思ったら、毎朝どこかの寺で生贄のヤギをが犠牲になっているとか?
雨はどりゃぶりになり、乗合のバンがバスになったものに乗り、パタンという街を目指しましたが、
乗ってくる人々がジャロ、ジャロ、ジャロと言って乗ってくるので、
ジャロは寒い意味なんだなって思ったり、何もかも新鮮でした。
翌朝、ダルカレーを食べにお店に入ったら、やや年配の日本人の男女6人が入って来て、
お話ししたら、電気を村につけるボランティアをしに来ているとのことでした。
おばさんが「さ!消毒して召し上がりましょう!」と、スプーンとフォークを執拗に消毒して拭いているところが
同じ民族として、やらしさを感じました。
6人は「いただきます!」と合掌して食べ始めました。
お節介なおばさんが私に「ネパールに何しに来たの?」
「なるべく貧乏な格好して歩きなさいよ。」と言って来て、何か、またやらしさを感じました。
今日はとある山に行きたくて、バスを探していましたが見つからず、
バイクタクシー?が連れてってやるよーと、荷物括り付けて乗せてくれて、
砂埃あげて坂道を登って行ったら途中、ヘリコプターが凄い砂埃を上げてゆっくり降りてきて私たちは砂だらけになりました。
バイク乗せてくれている人が「あんたんとこの国の人だよ。」と言ってて、見ていると本当に日本人観光客がヘリから降りて来ました。
彼らに、「あんたがバイクで登って来ているの、見えたよ」と言われました。
バイクタクシーにお金を支払い、小さな宿に入ると、隣の部屋に若い日本人男性が2人いて、挨拶をしました。
何でもこの山奥に2人で2週間も籠っているのだとか!
何故?
それは大麻をするためだよだとか。
観光は?
そんなものしに来てない、興味もない。
ひたすら、大麻に溺れる生活を1ヶ月してから、何事もなかったかのように日本でまた暮らす。
また、1ヶ月だけ来る。なんの問題もないと。
それっきり、1度も会話していない。
色んな人がいすぎて、面白い!
夜は寒すぎて、眠れず、フロントの男性たちが誘いに来てくれて、フロアで、寒さを凌ぐために爆音でダンスしてて、
ダンスに疲れたら、布団にくるまってダルマになるというのを繰り返してて
参加しました。
動いてないと、震えてしまう。
そんな騒ぎの中、他国の観光客もやって来て、ダンスして動き回って
止まったら寒い、辛いんだけど楽しく、踊り明かして、夜明けに、みんな、爆睡…
その後、私は歩いて下山をした。
途中、牛乳を背負った小さな男性や、石を抱えた男性たちが、せっせと歩いてくるのをみながら、
道の悪い道を下山しました。
翌日は、ポカラという街に、バスで向かいました。
確か恐ろしいくらいの山道を恐ろしく時間をかけて行って、
着いたところは本当に田舎で、子供が外で、理科の勉強してて、おかあさんが隣で鳥さばいてて、
夕方になると手作りっぽいコンビニ?の前でギターを弾く少年。群がる村人。
そんな平和な中、ある家でテレビを見る様に言われてみると、暴動が放映されてて、火炎瓶を投げたり、
火のついた棒やら、旗を持った人が群がって?
え?何やら首相が亡くなりそうな画像とか、なんなんこれ?
これ?どこ?と聞くと、カトマンズだよ!と言われて
えー!となって。
とりあえずストライキが起こってるから、バスで帰れないよ、と言われて。
えーーーー
でもこういう事はしょっちゅうらしく、すぐ治るからねーと、
結局、カトマンズまでは、飛行機で帰って来ました。
何やらネパールの音楽カセットをいただき、カトマンズでは初めに宿とか、街を案内してくれたお兄ちゃんと、住所交換して帰国になりました。
飛行機の中で、
あ!
一気に現実に戻されました。
これから向かうのは、現実なんだ。
お腹が痛くなって、ロイヤルネパールの後ろで、優雅に寝て帰って来ました。
不思議なことに、旅の最中、1秒たりとも、東京の生活のことや、仕事の事、夫の事を思い出さずに、集中していたのです。
これが1番不思議な体験でした。
こんなにも海外というものは刺激が強すぎてななか、現実が忘れることができるんだ!
それに気づいてからは
海外に虜になってしまいました。