適応障害と診断された東京生活2年目。退職へ
夫と夫の会社の保健室みたいなところで、
カウンセリング?診察?みたいなものを受けました。
隣に夫がいるとあまり話せず、涙も出ないのに、カウンセリングおばさんみたいな人がしきりにティッシュを勧めてくる。
あとは、指体操みたいなことをさせられて、1週間後は1人で来てね、と。
退職の手続きをして、2年持たなかったなぁ、と落ち込んでいたら
夫に「もっと強い人だと思ったのに。」と、残念そうに言われたのには凄く落ち込みました。
そう、私は強かった筈なのに、こんな筈ではなかったのに。
、期待に添えない女
残念な女
、とにかく自分を責める事しかできなかった。
責めすぎて、自己嫌悪でいっぱい。
そんな時に限って、
眼科から来ていた子が地元に帰ってしまい、
商社の子ともあまり会わなくなり、
というより、誰にも会いたくない日々が続いた。
家の布団の中から出れない。
「適応障害」
鬱じゃないんだ。鬱じゃ無いなら何でこんなにしんどいのか?
で、結局薬は出なかった。
退職したら、元気が出るどころか、逆に動けなくなった。
夫の帰りも、遅くなり、まるで私との生活を拒否しているかの様でした。
誰に相談したところで味方になってくれる人はいない。
夫に「もう保健室行きたく無いんだけど。」と言ったら
夫「自分がそう思って決めたなら、自分で言って断って!」と機嫌悪そうに言う。
自分で、もう受診しない。と電話で伝えました。
実家にも何も相談していませんでした。
夜の時間が経つのが遅い。
何回ニュースを見れば良いのか。
ある夜に、珍しくチャイムが鳴って、年寄り夫婦が引っ越して来たからと挨拶にやってきた。
ハンカチを持って。
東京で余生を過ごすのだとか。
仲が良さそうでした。
私たちも寂しいから、いつでも遊びに来てと言ってくれたことに一筋の光が見えたような気がして、翌日紅茶を持って遊びに行ったら、歓迎されませんでした。
また孤独になりました。
夫「何してくれてもかまへんから、笑ってて欲しい。何か趣味を見つけて欲しい。」
私「わかった。せっかく東京にいるんだから、英会話でもしようかな。」
夫「いいやん、いいやん。」
翌日、本当に体験に行きました。
割と楽しかったし、英語でもう1人の自分を演じれるような快感がありました。
何回かお試しをしていたら、受付に2年分の授業料を払えば格段に安くなるし、先にテキストもCDも渡せると言われ、50万くらいで契約してしまいました。
通いたい放題だったので、毎日通いました。
そこそこ顔見知りもできて、ほんの少し気分転換にはなりました。
ある時とても可愛い子が授業の後、声をかけて来ました。カフェでもしない?と。凄く嬉しかったし、オッケーしました。
顔見知りになっていた秋田の子を誘って3人でマックへ行きました。