シルクロードで、復職を決意

イーニンは、馬ににんじんぶら下げて、イソップの世界。

宿に着いたら、洗濯を手洗いして、絞っても絞っても茶色い汁が出てくる衣類と格闘。

ポロと呼ばれる、油の上に浮いた羊の肉たっぷりのチャーハンを食べて、お腹を壊して、
胃腸強いはずなのに、驚きました。

苦労して来たのに、カザフスタンの国境を見る事しかできませんでした。
そこから

カシュガルまで移動して、体調も戻り、
勧められるまま、カセットや、見れるかわからないDVDなどを買い、髪留めや、スカーフ、楽しくお買い物をして、

一通りガイドブックに載っている場所を回り、案外言葉わからなくても、

行こうと思えば行けるもんなんだな、と自信になりました。

市内のバスに乗っていたら、少年たちが、話しかけてきて、沢山写真を一緒に撮りました。

日本人はここまでは来ない!大変嬉しい!

何かの取材ですか?女優さんですか?

根気よく筆談して、楽しかった。


文通してください、と言われて、住所を書いてきたので、写真を送りますという事で、お別れしました。

よーりんりんなんやらかんやら

10037、、、

電話番号までくれた。電話かけても言葉通じないに、どーするの?みたいな。笑

なかなか面白い体験でした。

ここの人達は空港から始まり、みんなとても、剥き出しの笑顔で、遠慮がない、距離感もなく、積極的だ。


いやらしい感じはなく、爽やかだし、

親切で、紳士的で。中国人合うかも。と思いました。

日本の男性ときたら、もじもじ野郎ばっかりだし、目も合わない人多いし、この差は何だろう。

色々関わってみて、気持ちがうんと前向きになって、

適応障害なんて言われたことも忘れて、

またここに来よう!

とりあえず、家を出て、働こう!就職しよう!

大丈夫、行ける、私もここの人たちも同じ人間、この人たち見習って、積極的になろう!

つまづいて、そのままでいる場合じゃない!

つまづいても、タダで起き上がるもんか!

フッと、カシュガルまで来て、一気に前向きに。

カシュガルから西もまだまだ道が続いていて、気にはなったけど、それは、次回のお楽しみにしよう。

今回はここまでが限界で、疲れてしまいましたし、ホテルボーイが手配してくれた、航空券の日も近づいていて

引き返す事にしました。

「新ジャン」と呼ばれる、その独特な地域に本当に救われました。

一気に、寝台列車で戻ってきて、あちこち、色んな人の世話になり、飢えることなく

西安からの飛行機も乗れて

また、広州空港近くのホテルに無事に戻ってこれました。

ホテルボーイにカシュガルまで行ったことを書くと、

アイヤー!と、またひっくり返るようなジェスチャーをして笑ってました。

気持ちよく中国を去る事ができました。

実家に帰ってからは、「新ジャン」地域のカセットテープの音楽を鳴らして、掃除してたら

親に「その変な宗教みたいな音楽やめて!」と、変な宗教に入っている張本人から、注意を受けました。

そして、掃除して、軽く荷造りをしつつ、

看護の仕事を紹介してくれるところに電話をしました。

前を向く瞬間です。
もう迷いはありませんでした。ちょうど離婚して3ヶ月が経過しそうな時期でした。
切り替えていこー



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