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これからへの期待。

(2354字)

めちゃくちゃトレンドニュースになってるから私が言うまでもないけど、嵐が活動休止を発表した。


私もめちゃくちゃびっくりした。

嵐を長く追いかけている人も、「嵐知ってる」くらいの人も、衝撃と寂しさを感じる人は計り知れないほどいると思う。


でも、私は、今後の5人に、今まで以上の期待が膨らんでいる。


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今回の活動休止は、大野さんの提案だったと記事に書かれている。

大野さんのコメントの一部。

2017年6月中旬ごろに僕はメンバー4人に集まってもらい、自分の気持ち、思いを話しました。その内容は2020年をもって自分の嵐としての活動を終えたいと嵐20周年、そして2020年という区切りで一度嵐をたたみ5人それぞれの道を歩んでもいいのではないかと、また、勝手ではありますが一度、何事にも縛られず自由な生活をしたいと自分の思いを伝えました。


大野さんの「自由な生活をしたい」と言ったような類の発言は何度か聞いたことがある気がする。




私の話をすると、小学生の時から妹が嵐のファンで、その影響で私もバラエティを観たり、曲を聴いたりしていた。

当時、櫻井さんが慶應に通いながらジャニーズの活動をしていたと聞いていて、私は何もかも彼に負けていると思った。

中学3年の受験期には「勉強もスポーツも頑張ってああいう人になる」みたいなことを日記に書き、高校内で一番厳しかった部活に入る一押しにもなった。

その後、大野さんの歌やダンスの実力、絵の才能と謙虚な姿勢も私の価値観に影響した。

「好きなことを死ぬほどやる」といった彼のスタンスをすごく尊敬した。

つまり、私はファンクラブに入ったこともないし、ライブにも行ったことはないけれど、嵐の存在はけっこう私の価値観や人生を変えてきた。


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今回の大野さんのコメントを見て、やっぱり

「さすがだな」

と思った。


彼は、自分の欲求に正直で、それこそが、あれ程の実力を培えたおおもとの才能であると私は思っている。

一昨日の記事で、アートについて書いたけど、大野さんはある意味「異常なほどのアーティスト」なんだと思う。



現代社会の特徴なのか普遍的なことなのかわからないが、アーティストがアーティストとして生きるには、少し息苦しい、閉塞感のある世の中だと感じる。


そしてアーティストとは対照的に、エンターテイナーやアイドルがその特徴を増しやすくなったのではないかと。


映像技術の進化によってエンタメの幅はぐんと拡がった。
動画サイト、音楽アプリ、SNSで提供しやすくもなった。
ネットの中で自分のキャラクターを創りだした。
写真は加工され、自分の偶像を創りだした。
動画配信サイトで、架空空間によってファンとの場を共有するようになった。



ただし、こういった芸能の世界には制限が付きまとう。

下手なことをすればすぐ炎上、売れなければ仕事はない、ただし売れたら寝られない、ファンを増やすためにプロフィールの脚色をする場合もある、仕事とは全く関係ないプライベートの人間関係まで把握し国民からチェックされる。

芸能事務所もお金が必要、だから売れる芸能人にする、だから需要する人たち、つまり私たち側が求めている人材にしなければならない、だから、芸能人は、需要する人たちがネガティブに思うことは我慢、あるいは隠さなくてはいけない。

例えフェイクニュースを世間が信じて、それによって顔も知らない人たちから罵倒されたとしても、

彼らは人気を失わないように、言い返さずニコニコとしていなければならない。



それは、アーティストのやることじゃない。

アーティストは、元来自分本位な生き物。


自分の内側を自分のしたいように表現する。

そこには体裁も道徳心も正義感もない。
ただ衝動に任されて溢れてくるものを、そのまま外に出すだけ。


商業主義の芸能界で人は、自己犠牲的でなければ許されない。
ファンの、世間の期待を汲み取り、それに沿って活動することで認めてもらえる。


嵐は、人気になりすぎたが故に、アーティストであることを許されてこなかった。
嵐以外にも言えることだけど。
まだ成人してもいない頃からそれぞれ「自分の欲求」を見えないところへ隠し、そのまま20年が過ぎた。


「自分の欲求」を自分自身から隠し続けると、いざ出そうとしたときに見つからなくなる。
他者によく見られることを良しとしてきた人間にとって、自分のしたいことを探すのはとても困難なこと。


今回の活動休止を聞いて安心したのは、嵐はまだ「自分の欲求」を見失ってなかったこと。
他者から承認される快感を知り、このまま他者の期待に沿い続ければ今までのようにうまくいくことがわかっていながら、その道を選択しなかった。

それは「他者の期待に沿う」ことよりも「自分の欲求に従う」という、アーティストとしての意思の表れであると私は勝手に感じた。


たしかに今までと同じように活動を続けても、嵐はうまくいくと思う。


でも、私は嵐が一旦嵐を辞めたときに、それぞれが何をしたいと思い、何を表現するのか、とても楽しみである。

今まで「嵐」のために彼らが自分を犠牲にしたことはたくさんあると思う。
その中で、彼らの腹の底に眠っていたもの、たくさんの思いに気づき、何らかの形になって自分の内側から外側に出てくるのではないかと期待している。


5人がこれまで何を思ってきたか、そして、それを今後どう表現するのか、彼らはしがらみをとっていき、アーティストとしての進化を遂げた姿を、あるいは作品を見せてくれるのではないかと、何年、十何年にわたって期待し続ける。


ぜひ、すきなことをしてほしい。
申し訳ないと、思わないでほしい。
「嵐」として戻ってくるのは「皆のために」じゃなく「戻りたい」と思ったときにしてほしい。


これからも、彼らがアーティストとして生きることを願う。










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