「言語隠蔽」について。
仕事のお昼休み中に寄った本屋さんで衝動買いした本です。
カフカのこと「変身」しか知らなかったけど、読みやすいし面白いね〜
今年前期はなかなか本が読めなかったけど、今月休みを積極的に取ったらめちゃめちゃ読書欲が湧いている。本楽しく読むにはある程度まとまった時間が欲しくなるね。
さてさて、この本に面白い言葉を見つけました。
言語隠蔽。
けっこうずっとこの事象について考えることがあった。
なんかビジネス界隈では「言語化命!!」みたいな本が多くて、
「上手に言語化できる人が有能」みたいな「言葉で説明できる=本当に理解してる」みたいな風潮が蔓延ってて、それが個人的にはめちゃくちゃ納得できない。
言葉で表現できるものは多いけれども、言葉で表してしまったがために、その概念がその言葉の中に閉じ込められてしまうというもどかしさを感じます。
説明するために言語化したのに、言語化したことによって削り取られてしまう部分が大きいと何のために言語化したのかわからなくなってしまう。
この本に書いてある限りだと、
・事件の目撃者に犯人を言葉で説明してもらうと正しく犯人を特定できる確率が格段に下がる
・恋人の好きな部分を言葉で説明してもらうと、半年後に別れている確率が高かった
・ゴルファーに自分のショットについて説明してもらうと、その後の成績がガタ落ちする
という研究結果があるらしいです。
こわ。
ほんまかいな。
とにかく、何か体全体で感じたものを簡単に言葉にしてしまうと、その言葉以上の情報を全て排除してしまって、その言葉としてしか理解できなくなる。
そんなめんどくさいことをずっと考えていたが、これは「言語隠蔽」というものらしい。
この現象に「言語隠蔽」という名前を与えることによって言語隠蔽自体が言語隠蔽されるという、面白い事態にもなったりしますけれども。
ところでカフカは専業の売れっ子小説家ではなく、仕事の傍らで小説を書いていたそうなのだが、仕事嫌いが表れてしてそれがなかなか自分にも響いてきてつらい。
結局のところ、仕事してる時間に満足できる未来はやってこないんでしょうな。いくら自分の向いている職業だったとしても。
仕事が仕事として機能してる限り。
別に嫌いなわけじゃないんだよな。ただ何をしてても「もったいない」と思ってしまう。1日に9時間も費やすほど有意義な時間ではないと思う。土手で朝から日が沈むまでボエっと景色を見てる方が有意義だなと思ってしまう。
色々学びたいが、生活の心配をしないで学びに集中できるほどの経済力なんかありません。大人が子どもより学ぶのが苦手なのは、歳を取って記憶力やなんちゃらが落ちているのではなく、生活の心配が常にあるからだと思っています。
また新しいやってみたい選択肢が1つ増えたけど、いつまで自分の中で続くのか。
色々やりたいな〜と思っては数年後やら数日後に熱が冷めてしまう。というかふつうに忘れる。
カフカは仕事を「パンのための仕事」と呼んでいたそうです。
仕事が仕事である限り、それはパンのための仕事でしかない。
つらいな〜。
徹底的に社不。
働いてるけど。
常に逃げ道を探している。
たぶん逃げる。
そのうち。
合わない。今の環境が自分にめちゃくちゃ合ってないことには気づいている。ただ先があるから続ける気持ちにはなってるけど。
早く抜け出したいな〜。今すぐ抜け出して飛び級したい。
毎日馬鹿のふりをしてる気がする。こんなこと言わないほうがいいんだろうけど。
そうしたところで、今日は映画館に行って「アイスクリームフィーバー」を観てきました。
綺麗な、アンニュイな?雰囲気がちょっとわざとらしく感じられたりなんだりするのだが、そんでそんな雰囲気が昔はちょっと苦手だったりしたのだが、最近はその「わざとらしさ」みたいなものこそが創作の真髄ではないかと思えるようになってきたところです。
リアリティを求めすぎちゃうと、じゃあもうドキュメンタリーでよくない?みたいなことになりかねないのかなと思ったりして、フィクションにはリアリティがあるほうが楽しめるけど、フィクションならフィクションならではの「わざとらしさ」を入れてもいいのではないか、だってリアルで昇華できなかったものを取り入れられるのがフィクションの役割でもあるんだもの、的なことを思ったりしてきたのですよ。
いや〜。
もう近くの映画館でやってなくて、片道2時間以上車走らせたわ。
楽しいね〜。勢いで行っちゃったけど。
そんなこんなで、カフカの本はまだ半分くらいしか読み終えてないのでぼちぼち読み進めていこうと思います。
仕事は。なんとかしたい。
飛び級を。抜け道を見つけたいです。
このやろ〜。
おやすみなさい。