六本木、朝8時。やたら壮大なことを考えた。
建築家の 中山英之さんの一風変わった展示が六本木のTOTOギャラリー・間にて開催されています。
少し時間が経ってしまったのですが、先日朝活イベントに参加して、中山さんご本人から展覧会のコンセプトや建築家としての想いを直接伺うことが出来たので、こちらにまとめておきたいと思います。
今回の企画は中山さんが設計した住宅について完成後の暮らしぶりを映像作品にまとめ、その建造物としての展示と、映像作品の上映を組み合わせた趣向を凝らしたものです。
展示物と映像作品の両方を鑑賞することで、1つの展覧会として完成します。
私は映像の世界で仕事をしているので、建築と映像がどんなかけ算を生み出すのかにとても興味がありました。
朝8時のギャラリーは満員で、映画館のロビーに見立てた展示室には今回の映像作品の中に登場する住宅の模型や、建築にあたって準備された数々の資料やメモ書きなどが遊び心を散りばめた形で展示されていました。
無機質なようでいて熱量を感じる展示
そのフロアは基本白を基調にしていて、
良い意味で無機質で、模型の建造物が実際に建ち上がり、そこに住まう人々によってどのような色彩を帯びてくるのか?と期待感が高まります。
一方で各展示物に添えられた説明書きは全て中山さん自身が鉛筆で直に壁面に描いています。走り書きのように書かれているのですが、読んでみると、そこには中山さんの想いが溢れていて、胸が熱くなりました。
砂糖は入れないでください
映像作品は、中山さん自身が撮影した訳ではなく、別の方が監督、編集を担当しています。
建築家は建てるまで。そのあとの物語が住まう人によってどう紡がれていくのか?は建築家の手を離れて独り歩きしていきます。
中山さんがそれぞれの監督にオーダーしたことは、
砂糖は入れないでください
ということだったそうです。
暮らしをエモーショナルな映像作品としてではなくドキュメンタリーとして撮影して欲しい
と。
実際、その映像は何かエモい物を写しているというより、そこでの家人の暮らしを淡々と写していました。
働き、ごはんを食べる、お風呂に入る、ゲームをする、本を読む、眠る。
子ども、夫婦の日々の暮らしを観測した定点観測のような映像。
それなのに
その数々のシーンは私の心にグッと刺さってしまいました。
最初の私の興味は中山さんの繊細かつ斬新な設計がどのように具現化されたのか?ということでしたが、
実際の映像を前にして自覚したのはその家族が実在しているという当たり前の事実への静かな衝撃でした。
作品の中では特に劇的なことは起こらないのですが、このような家族が日本、そして世界に無数に存在していることの奇跡。。それはある意味、誰にとっても自明のことなのに、実はこれまで確かめる機会もなかったのだなぁと。
親戚や友人の家に遊びに行くことはあっても、見ず知らずの人の暮らしを覗き見ることはなかなかありません。
中山さんは
ゴミを捨てるという概念は大きな宇宙からするとある地点からある地点にものを移動させただけとも言える、と語り、
建築とは人工的に空間を区切ることで、内と外を区別するということでもある。人は本来自然の大きな連動感の中で暮らしているのに、その実感を得にくくなってしまう。
これが建築の弱点だ、と話していました。
映像作品を観た私は、自分にとっては外と認識している世界が誰かにとっては「内」で、その誰かの内側のリアルな営みを目の前にしたことで、私は人工的に区切られた「内」と「外」を感覚的に意識したのだと思います。
自分のテリトリーを区切ることで得られる安心感。そのテリトリーが無数に存在するのがこの世界だとすると、ダイバーシティからは程遠いのか、、、?人間は自然?人間の営みは人工?それは自然に抗うものなのか?
六本木朝8時、うーん。ずいぶんと壮大なことを考えてしまった。。。
この展覧会で、私みたいなことを考える方は少ないのかもしれないけれど、建造物の美しさだけでなく、自然の中で生かされている人間の存在意義を不意に問われたような感覚、是非この機会に感じていただきたい!!
会期は残すところあと数日。お時間あれば是非。
最後に。
中山さんのお話を直接聞いたのは初めてでしたが、言葉の選び方のセンスが抜群で大ファンになりました。
アイスクリップでした