「渾崙呑棗」を考える
こんろんどんそう
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人からの教えの意味を考えずに、ただ受け入れるだけでは本当に理解することはできないことのたとえ。
「渾崙」は丸ごとという意味。「呑棗」は植物の棗(なつめ)の実を噛まずに飲み込むこと。
棗(なつめ)の実を噛まずに丸呑みしても、棗の実の味はわからないという意味から。元は仏教の言葉で、仏の教えについていった言葉。「渾崙棗を呑む」とも読む。
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「渾」 にごる
「崙」 山の名に用いる
「呑」 のむ
「棗」 なつめ
「渾崙」 にごる、山の名
これで、「丸ごとという意味になる」ということが不思議です。
「呑棗」は、なつめをのむこと。
「まるごと、なつめの実をのみこむ」
という意味になります。
まるごと、なつめを飲み込んでも
味はわからない。
ということから、
人からの教えを、ただ受け入れるだけでは、
本当に理解することはできない。
という意味になるそうです。
まあ、個人的意見を言わせてもらえば、
なつめに限らず、
何でも「丸のみすれば味がわからないのは当たり前」
だと思います。
どうして「なつめ」なのか?
それが不思議です。???
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