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それを私は「トカトントン現象」とよぶ
『トカトントン』
これは太宰治の小説。
主人公は、どんなに素晴らしいと思っていたものでも「トカトントン」という音を聞けばたちまち、馬鹿らしく感じてしまう。
これと似たような体験を私もする。
「トカトントン」と聞くわけではないが、様々なものに形を変えてトカトントンは現れる。
例えば企画を立てるとき。これは面白い!と思って企画書を書く。
しかし次の日、書いたものを読み返すと
「なんだこれ?つまらない。」
そしてそれを繰り返す。
ここでのトカトントンは1日経過したこと、つまり時間だ。
もう一つの例は、先日授業で行った映像制作。
撮影や編集をしている時、私はノリノリだった。
そして提出。他の生徒の作品も見ることができる。
見た。
......。
「自分の作品を一から作り直したい。」これが真っ先に抱いた私の感想。
他の作品と比べ、自分のはつまらなかった。
自分の作品が、馬鹿馬鹿しく恥ずかしいものに思えた。
ここでのトカトントンは、他者の作品。
太宰治『トカトントン』を読んでから、私はこのような出来事を「トカトントン現象」と名付けた。
別に、名付けたからと言ってトカトントン現象が私の中から消えることはない。
しかし「トカトントン現象だった」と思うことで、感情の落としどころができるのだ。
一種の諦めのように感じるかもしれない。けれど後悔をしすぎてしまう私にはこの方法が合っている。そして、さっぱりと気持ちを整理し、次のアイデアに向かうことができる。