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親になるということ

子どもを育ててる人、これから産もうとしてる人はすごいと思う。

人一人と向き合うって大変なことなのに、それを自分のお腹を痛め、出産し、お世話をし、一からいろいろ教えていく。

そして、早くても12年の月日を捧げる訳だ。

12年。

干支が一周回って、元に戻る。
木星も地球を一周回るくらい。

それだけの年月を子に注ぐエネルギーは莫大だろうけど、その分、楽しいんだろうなぁとも思うんだ。


私自身は、ずっと子ども感覚なので、その未来を描いたことがない。

むしろ、自分が本当に人に対して責任が持てるようになった時、親のない子の親になる位の方が良いのではないかと...、これは子どもの頃から考えていることなのだけど、

後、単純に出産を経験した、いとこの話が怖すぎて、絶対私には無理だと感じたのもある。


......。


そもそもがそういう感覚なので、人が親になると言うことに関心があるし、だからこそ、死産ということが起きることに衝撃を受けた。

その結果、私はIccokaをつくり、死産をテーマにした「1/50」という作品を創ったのだから、何がきっかけで人生が変わるかわからない。



脱線。



ま、血縁だけが親子じゃないよ。

その時を一緒に過ごし、何かを与えられたとしたら、それはもう親の役割と一緒じゃないかとも思う。

個人的に強く思うのは、生きる背中をみせれたら、それはもう親なのだ。


そう考えると、私の場合、何か創作したものや表現したもので、受け取り手が何かしら感じ、少しでも人生観や生き方が変わったなら、私はオヤの役割をちょっとだけ担えたんだと感じる。


オヤの概念は、幅広い。

だって、そう考えれば世の中に存在する人は存在するだけで、それは例え小さな子であろうとも、何かしらの面ではオヤの役割をしているとも言える。

ほら、赤ちゃんがお母さんにしてくれる、とか言うしね。他にも、生徒が先生にしてくれるとか。

だとすれば、どんな人に対しても謙虚さが必要だ。


やはり、どんな人に対しても誠実であるのが一番だわ。

親になることは、その事を子どもを通して試されることなのかもしれない。


そこが他の動物と人間の違いなんだと思うし、それが人の営みの形の一面でもあるし、

だからこそ、親になるのは素敵だなぁと思う。


人が親になっていく様子をほっこり見ていこう。




出会ってくれて、記事を読んでくれて、ありがとうございます。演劇をやっています、創るのも、立つのもです。良い作品を届けれるよう、日々やって参ります!